第21話 闇の中

 蔵之助が正気に戻ったのを喜んだのは束の間であった。

 真っ暗闇、伊織と蔵之助は、自分達があの黒雲の中に巻き込まれたのだと気づく。

 

「うわ……なんだよこれ」


 空気の重さに、蔵之助が不満の声を漏らす。

 手足にまつわりつくような、ベッタリとした空気は、湿度が高いのであろうか。

 不快で肺の底まで、どんよりとした重たいモノが溜まっていく気がする。


「どうしましょう。帰り道が分かりません」

「え……」


 伊織の言う通り、背後にあるはずの出口がない。

 伊織達が来た道は、すっかり塞がれて、薄暗い竹林がずっと続いている。


「ここは……何でしょうね?」


 目が慣れてきた伊織と蔵之助は、足元の道に気づく。

 道に沿ったはるか遠くの方には、灯りがぽつぽつと灯っているのが見える。


「行ってみようか」

「そうですね……でも、ちょっと待ってください」


 伊織は、持っていた手拭いをちぎって、周囲の竹の一本に結び付ける。


「これで、入り口がここら辺であった目印になるでしょう?」

「さすが伊織だ」

「だって、戻って来れないと困りますから」


 だが、ここでじっとしていてもどうしようもない。

 帰り道が消えてしまった限り、動かなければ出る方法は分からない。


 時々、違った手拭いをそこら辺の木々に結えて目印にしながらも、トボトボと歩き始める二人の前に、人影がみえる。


「良かった! 人がいた!」


 歩くことに疲れ初めていた蔵之助が、喜んで人影に走り寄るが、人影は何の反応も示さない。

 人影の正体は、武士風の男。男は、帯刀している。


「え……刀を持っている……」


 往来で帯刀してはならないと決められてから、刀を持って出歩く人間は減った。

 五社達だって、刀は道場に置いて、丸腰のままで歩いている。

 田舎町と言えども、無頼でなければ、帯刀して歩きはしない。すぐに憲兵に捕まってしまうだろう。


 伊織達を無視して同じ歩調で歩き続ける男の様に、伊織は見覚えがあった。


「さっきの蔵之助みたいだ」


 妖に魅入られて、ただ黒雲に向かって歩き続けていた先ほどの蔵之助と同じだと、伊織は気づいた。


「おっさん! おい!」


 蔵之助の呼びかけには、やはり男は全く答えない。


「無理ですよ。この人、何かに操られているんです」

「ええ?」

「さっきの蔵之助もこんな状態でした」

「え、俺も?」


 自分が目の前の男と同じ状態であったと伊織に言われて、蔵之助はゾッとする。

 何も見ていない、死んだ魚のような目。土くれのような無表情。ただ、同じ歩調で歩き続ける男の様は、まるで幽鬼のようであった。


「蔵之助の場合は、咄嗟に耳にかじりついたら、元に戻ったのですが……」

「え、耳?」


 さっと自分の耳を触って、蔵之助は怪我をしていることに気づく。


「道理でジンジンすると思ったら」

「……気づくの遅いと思います……ともかく、何か刺激を与えらた戻りませんかね?」

「何か刺激……」


 蔵之助が、道に落ちていた小石を拾って、男に投げてみる。

 小石は、男の頭に当たるが、それだけだった。

 男が正気に戻る気配はない。


「もっとですかね?」

「ええ……俺、おっさんに噛みつくのは嫌だぜ?」

「僕だって嫌ですよ。でも、背に腹は代えられませんよね?」


 蔵之助は、嫌々ながらも男の腕に噛みついてみる。


「うへぇ」


 ペッペッと唾を吐きながら、もう一度男を見てみるが、先程となんの変化もない。

 ひたすら同じ歩調で、真っ直ぐと歩き続けている。


「駄目みたいですね……」

「何だよ。噛み損かよ」


 腹いせいに蔵之助が男の背を蹴るが、やはり男の様子に変化はない。


「もう放っておこうぜ」

「でも、この方だって妖に取り憑かれて……」


 言いかけて、伊織の言葉が止まる。

 前方を見て驚いたのだ。


 そこには、幾人も虚な面持ちの人が往来していた。


「こんな人数……とても救えないです……」

「どうしよう」


 伊織と蔵之助が立ち尽くしている間に、件の男は、人混みに紛れて何処かへ行ってしまった。

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