第18話 朝

  次の日の朝、伊織が目覚めた頃には、もう五社の姿は道場になかった。

 台所では、辰巳が楽しそうに菜を切っている。


「えっと……五社先生はどちらへ?」

「伊織君、おはよう。佐内の兄貴は、黒雲の妖について聞きに行くとかで、出かけたで。何でも、霊験あらたかな寺社に心当たりがあって、そこで話を聞いてみるんやそうで」

「そう……ですか」


 鼻歌を歌いながら菜を刻む辰巳の手際の良さに、伊織は感心する。


「すごくお上手ですね」

「ありがとう。これでも、昔は蕎麦屋をやっていたんや。料理は手の物や」

「え、元々武士ではなかったのですか?」

「ああ。騒乱が起きた時に、これはチャンスやと思って、混乱に乗じて刀を取って、武士を名乗ってみたんやけれども……あれやね、やっぱり付け焼刃では難しいわ」

「そりゃ……切り合いですから」


 何とも物好きもいたものである。こんな殺し合いばかりの世界に自ら入っていこうだなんて。

 伊織は、自らの両親を思い出す。伊織には優しかった両親は、あの混乱のさなかに伊織だけ残して命を落としてしまった。

 五社とタマに拾われなければ、伊織には、明日なんてものはなかっただろう。

 おぼろげに浮かぶ両親の思い出を、フルフルと伊織は首を横に振って吹き飛ばす。


 バタバタと蔵之助の足音が近づく。

 蔵之助は、伊織と辰巳だけしかいない台所を見て、あからさまに残念そうな表情を浮かべる。


「何? 五社先生、出掛けちゃったの? 俺も一緒に行きたかった~!」

「俺も一緒に行きたかったんやけれども、断わられてしまいましたわ」


 蔵之助と辰巳が意気投合する。

 伊織だって、五社と一緒に行きたかった。

 昨日帰宅した五社話を聞いてから、ずっと蔵之助と寝所で五社の戦い方が見たかったとぼやいていたのだ。


 帯刀した複数の相手に、丸腰の五社がどう戦ったのか。普通に考えれば、串刺しは免れないはずなのに、何をどうしたら勝てたのか、気になったのだ。


「あ……ねえ! 辰巳さん」

「辰巳って呼び捨てでええよ。あんさんの方が、兄弟子やし」


 呼び捨てにして良いと言われても伊織も困るのだ。

 一番下っ端である伊織、こんなに大きな弟弟子おとうとでしができるとは思いもよらなかった。


「えっと……辰巳……、辰巳は、五社先生の戦いをじかに見たんでしょう?」

「ええ。見ましたよ。ほんまにびっくりや。あんな無茶苦茶なの初めてや」


 辰巳が、うっとりと目を閉じる。

 いいなあ。と、蔵之助が羨ましがる。


「先生だったら、妖相手にも勝てるんでしょうが……」

「うん。俺達じゃ、まだたらないかなぁ……」


 『天然またたび流』の看板を持っていってしまった道場破り、西岡無念が、妖であろうが、妖にかどわかされた被害者であろうが、この近辺で被害が出ているということは、最後には、その妖と対決しなければならないだろう。

 五社がいない時に妖が攻めてきたらどうすれば良いのだろう。

 見たこともない黒雲を纏った妖を想像して、伊織は身震いする。


「まあ、タマさんもいるし、大丈夫だよ。みんなでやっつければ!」


 こういう時、蔵之助の明るい考え方は、伊織には助かる。

 考えすぎてしまう気来のある伊織には、蔵之助の明るさは、羨ましいくらいだ。


「いっそ、俺達で探し出して、先生を驚かしてやれば良いんだよ!」

「え、それは……」


 時々、蔵之助の考えなしの行動は、伊織には困るのだ。

 

「それええなぁ! 蔵之助君!」

「だろう?」

「ちょっと、辰巳までそんなことを言わないでくださいよ!」


 どうやら、辰巳が加わったことで、今まで以上に、蔵之助の行動を制するのが大変になりそうだ。

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