第40話 伊織の覚悟

「馬鹿! 伊織! わざとね!」


 由岐が半泣きである。

 大きな瞳に涙を溜めて、慌てて瓦礫の下敷きになった陽介を引っ張り出す。

 もちろん伊織も手伝うが、責められるのは不本意だ。


「だって、僕らはこうでもしなきゃ死んでましたよ?」


 由岐の言う通り、伊織は、わざと陽介が下敷きになるように仕掛けた。

 天井が崩落すると気づいて、咄嗟に考えたのだ。

 陽介が一瞬でも隙を見せれば反射的に攻撃してくることは、先程の陽介の攻撃で分かっていた。

 だから、由岐と自分が引く間合いをはかって、陽介が丁度崩落する天井の下敷きになるように調整したのだ。


 企みは、うまくいった。

 もちろん、陽介が崩落に巻き込まれて死ぬ可能性はあるが、そこを気にしているほどの余裕は、伊織達になかったはずだ。


「伊織……、私を庇ったでしょ?」


 バレていた。

 由岐を陽介の視界から離れる方向へ跳ぶように指示することで、伊織は、陽介の注意を自分に向けたのだ。


「だって……」


 だって、由岐には生きていてほしいから。そう言いたくて、伊織は、言葉に詰まってしまった。


「今度そんな馬鹿な真似したら、あんたが死んでても殺すから! いいわね!」

「いや、死んでたら殺せませんし」

「い い わ ね ?」


 由岐の言葉は矛盾だらけで意味が分からなかったが、伊織は、由岐の迫力に負けて「はい」と答えた。


「生きてますかね?」


 意識のない陽介の脈をはかる由岐に、おずおずの伊織が尋ねる。


「不吉なこと言わないで!」


 由岐がギロリと伊織を睨む。

 どうやら、陽介は生きているらしい。

 良かったと安堵する間もなく、禍々しい気配を感じて、伊織はゾッと全身が凍る。

 

「由岐、早く陽介を正気に戻してください。無念がこちらに来ました」


 天井の崩落は、伊織達に幸運ももたらしたが、厄介事も連れてきたようだ。


 瓦礫の山の上から、人型に変化した無念が恐ろしい形相で睨んでいる。


「由岐は、陽介を戻してください。僕が無念を引き受けます」


 伊織は、刀を構えて無念を睨み返す。


「戻すったって、どうすれば良いのよ」

「耳ですよ。耳を強く齧ってください。僕たちには、猫の爪はありませんから」


 陽介の介抱をする由岐を見ていて、由岐の耳裏にタマの爪痕が残っていたことに、伊織は気づいたのだ。

 前回、蔵之助を助けた時は、伊織は耳を齧った。タマが由岐の耳に爪を立てて戻したのであれば、それが正解のはずだ。 


「小倅、俺に敵うとでも?」


 低い地を這うような無念の声に、伊織の全身は総毛立つ。


「タマさんは?」

「クソ猫は、俺の眷属ともたもた遊んでおるわ。その間に大事な子猫を殺されるとも知らずに」


 カカカッと無念が笑う。

 伊織は、由岐と陽介を庇うように背に隠して立つ。


「方針を変えたのですか? タマさんの前に全員並べて、いたぶって殺す気だったでしょう? 操って、互いに刺し違えさせる気でしたか?」


 そうでなければ、蔵之助も由岐もとっくの昔に死んでいたはずだ。

 こんな回りくどいやり方は、しないはずだと、伊織は気づいた。


「よく見ておるの。子猫よ」


 無念がニヤリと意地の悪い笑みを浮かべる。


 時間を稼がなければ。


 伊織の頭は、その一心であった。

 無念がその気になれば、伊織など一瞬で切り殺されるであろう。

 無造作に持った無念の剣は、陽介の比ではない殺気を、伊織は感じる。


 時間が経てば、蔵之助も陽介も正気を取り戻すだろし、タマも助けにくるだろう。

 ならば、伊織がここで命掛けで時間を稼げば、誰かが生き残る。

 そうすれば、勝負には負けたとしても、それは伊織にとっては実質的な勝利だ。


「健気よのう」


 見下した目で、冷笑を無念が浮かべていた。


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