第28話 子ども

 朝、道場を出立してから五社は霊験あらたかな寺へと急いでいた。

 理由は何かは分からないが、周囲で動き出した不穏な気配が気になる。

 目指す寺の住職は、以前に近隣の寺の住職に頼まれて呪符をもらいに行ったことがある。今回も、同じようにもらえればと思ったのだ。

 もうずいぶんと歩いてきた。

 日も暮れはじめて、今夜の宿を探していると、泣いている子どもが地蔵の隣にしゃがんでいる。古い着物をこの子ども用にし仕立て直したのだろうが、元々それなりに高価な着物であったことは、その上品な生地にうかがえる。


「どうした? 家に帰れないのか?」


 顔を覆って泣きじゃくる子どもに声をかければ、泣いていた子どもが目を上げる。

 

「おじちゃんは……あやかし?」


 八つくらいの年頃であろう、まだ幼い子どもは、おそるおそる五社に聞いてくる。


「確かに、この時分に声をかけてくるなんて、妖かと思うよな」


 子どもの様子があまりにも可愛らしくて、五社はつい笑ってしまう。


「なんで笑うの?」

「いや、すまん。道場に残してきた連中の小さい頃を思い出して、つい」


 由岐も蔵之助も伊織も、今目の前にいる少女のように幼かった。毎晩のように誰かが泣いて、タマと二人で慰めるだけでも大仕事で、剣術を教えるどころの話ではなかった。我ながらどうして行く先々で子どもを拾ってしまったのかとうんざりしたものだ。慣れない育児に閉口し、毎日、三人を養うためにぶっ倒れるまで働いた。 

 だが、三人の子どもの存在が、一度全てを失った五社を救ったのだと、今では思う。


「おじちゃんの家にも子どもがいるの?」

「ああ。ずいぶん大きくなったが、まだクソガキどもだ」


 話している内にずい分打ち解けてきたようで、子どもの表情は柔らかくなってくる。


「サエ」

「うん?」

「名前、サエって言うの」


 手を握ってきたサエの手を五社は優しく握り返してやる。


「サエは、家はどこだ?」

「あすこ!」


 サエの指さす方向には、村がある。かつて江戸であった街には、ガス灯が立ち並び始めたというが、まだまだ田舎にその恩恵はない。

 山間の小さな村は、家々からポツポツと灯りが漏れていた。


「送っていってやろうか?」


 五社がサエの顔を覗きながら聞けば、フルフルとサエが首を横に振る。


「お母ちゃんに怒られるから」

「なんでだ。お母ちゃんは、サエがいないと心配しているだろうに」

「でも、大事なモノを壊してしまったから」

「大事なモノ?」


 こくこくと首を縦に振るサエは、五社とつないでいない方の手を伸ばして、五社に何かを渡してくる。

 見れば、それは数珠であった。

 紐がちぎれて、珠がバラバラになっている。


「これは?」

「お父ちゃんの形見の数珠。触っていたら千切れちゃったの。頑張って珠はぜんぶ集めたのでも、くっつかないの」


 泣き止んでいたサエが、またワアワアと泣きはじめる。

 見たところ、紐がちぎれただけで、新しい紐を通してやれば、簡単に直りそうだ。


「ほれ、泣くな。目がこぼれ落ちるぞ」


 五社が泣くサエを抱き上げて背をポンポンと叩いてやれば、また少しサエが落ち着く。

 子ども独特の、ちょっとしたことでコロコロと変わる表情が可愛らしい。

 

「これ、お母ちゃんに見せたか?」

「ううん。だって、怒られるの怖くって」

「大丈夫だ。このくらいなら、大人ならすぐに直せる」

「本当に?」

「ああ。本当だ。……だが、ここじゃあ、明かりもないし、道具も無い。一緒にお母ちゃんに謝ってやるから、お母ちゃんが心配して病気になる前に帰ろう」

「え、お母ちゃん、心配いっぱいしたら病気になっちゃうの?」


 びっくりしてサエが目を丸くする。


「本当だとも。親ってのはな、病気になっちまうくらいに心配するもんなんだ」


 そう……自分で言っておいて、五社は、蔵之助の親を思い出して、心がチクンと痛む。今では誰よりも明るい蔵之助であるが、蔵之助の親は、蔵之助を口減らしのために人買いに売ろうとしていたのだ。

 あの時の絶望した蔵之助の顔は忘れられない。親に裏切られるということは、小さな子どもにとっては耐えられないことだったはずだ。それが、あんな風に元気で明るく成長したのは、蔵之助自身の精神の強さがあったからであろう。


「おじちゃん?」


 つい考え込んでしまった五社に、サエが大きな瞳を向けている。


「ああ、すまん。さあ、サエの家に送ってやろうな」


 五社の言葉に、サエは「うん!」と、今度は元気に返事をした。



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