第29話 数珠

 五社がサエを抱きかかえたまま村へ行けば、サエは一つの家の前で突然降りて走り出す。


「おじちゃん! こっち!」


 あんなに叱られると帰るのを渋っていたサエだが、内心はやはり帰りたかったのだろう。母に会いたかったのであろう。

 花が綻んだような満面の笑みで、五社を案内する。


 一緒に謝ってやると約束したのだから、五社もサエが導くままに家の前に立つ。


 五社の手拭いには、落とさないように包んだ先ほどの紐の切れた数珠が入っている。

 那智黒石で作られた数珠は、決して粗末なものではない。

 現在の三重県熊川市のみで産出されるこの石は、黒く艶やかで、碁石などに使われる石であり、その価値は高い。


 サエの着物といい、この数珠に使われいる石といい、サエの父は、相当身分の高い人物だったのではないだろうかと五社は推測する。


 今、目の前のサエのウチは、ただの小作人の荒屋にしか見えないが、この家に住むに至るまでの紆余曲折を想像すれば、五社の胸はズキリと痛む。


 時代が大きく変わったのである。

 そこから時流に乗って富むものもいれば、不器用で時流に乗れずに没落したものも多い。


「申し! サエ殿に案内されて参りました。五社佐内と申します」


 板戸の前で五社が声を掛ければ、サエに手を引かれた女人が、中から顔を出す。


「サエから話を伺いました、さ、中へ」


 サエの母と思われるたおやかな女人は、五社を家の中へと誘う。


「いや、女人だけの家に不躾に上がるわけには。ここで、数珠をお返して、サエと一緒に謝るという約束を果たせばそれで」


 誘いを固辞する五社に、フフッと女人が笑いを漏らす。


「私とて、人を見る目はございます。滅多な無体は働かない御仁と思います故、中へどうぞと申しております。さ、もう暗いですし、お腹も空いていらっしゃいましょう」


 空腹を見透かされて、五社は頭を掻く。

 中からは、先ほどから旨そうな匂いが漂っているのだ。

 おそらくは、サエと一緒に食べようと用意していたのであろう。


「その……かたじけない」


 ぐうと鳴る腹に負けて、五社は家の中へと入る。


 草履を脱ぎ、サエの母に渡されたタライの水で足を拭えば、背にサエが纏わりついてくる。


「サエ、ほら、はしゃいでいる場合ではないぞ! 大切な物を壊したのだから、母上に謝らなければ」

「はぁい!」


 不貞腐れながらも、サエは良い返事をする。五社は、優しくサエの頭を撫でてから、サエと一緒に並んで座る。

 五社が手拭いに包んであった数珠をその場に広げれば、夕餉の準備を始めていたサエの母が、手を止めて五社とサエの前に向き合って座る。


 小さな手を前について、サエが精一杯に勇気を振り絞って母に詫びを述べる。


「申し訳ありません。お父ちゃんの形見の数珠、サエが壊してしまいました」

「いけませんよ、サエ。触りたい時は、母に断りを入れてからと前から申しておりますでしょう?」

「はい……」


 弱気に返事するサエが、チラリと五社を見る。味方しろと言うのだろう。そういう約束であった。


「ご母堂、今日のところは、拙者に免じて勘弁してやってくれまいか? あ、数珠ならば紐をいただければ、拙者がすぐに直しますゆえ」


五社もサエに倣って手をつけば、サエの母がフフッと堪らずに吹き出す。


「サエは良き味方を見つけましたね。分かりました。今回は、客人に免じて許して差し上げましょう。ですが、次は許しませんからね。さぁ、夕餉にいたしましょう」


 母の言葉に、腹の減っていたサエは、「はい!」と元気よく答えた。


 山菜の汁と玄米の夕餉を馳走になった後、五社は約束通りに、サエの母から分けてもらった紐を使って器用に数珠を直していく。

 五社から離れないサエは、五社のあぐらの膝を枕に眠ってしまった。


「お上手ですこと」


 白湯を腕に入れて、サエの母が五社に差し出す。


「子ども三人育てるのに、内職三昧で。この手の作業は得意なんだ」

「三人も! まだお若く見えますが」

「いや、三人とも拾った子です。今やかけがえのない家族ですが、これが手のかかるのなんの」


 全ての数珠玉を紐に通して、後は結ぶだけ。


「つゆ結びで良いか?」

「はい。お願い申し上げます」


 五社は紐をつゆ結びに結んで、サエの母に数珠を返す。

 サエの母は、うやうやしく数珠を拝すると、それを位牌の前に供える。


「夫君の位牌か?」

「ええ。元々病弱な方でしたが、このご時世で無理して慣れぬ畑仕事の末に」


 位牌を見つめたサエの母は、過去を思い出してか表情を曇らせる。

 かける言葉を持たぬ五社は、入れてもらった白湯を飲み干すと、静かに位牌に手を合わせる。


「さて、馳走になりました。サエを頼む」

「あらあら、日も暮れましたし、ゆっくりとなされたら良いですのに。もう外は真っ暗てですよ?」

「心配無用。猫又に指南されて、闇を歩く術は心得ております」


 眠るサエを母に渡すと、五社は草履を履き始める。


「女所帯に、そこまで不躾も出来ませんでしょう。それに、先を急ぎます故」

「左様でございますか」


 先を急ぐと言われれば、サエの母には引き留めることもできない。


「また、日を改めてサエの様子を見に来ます」

「様子を見に来て下さいますなら、サエも喜びましょう。きっとですよ」

「また、いつか」


 五社は、サッと一礼すると板戸を開けた。

 開けた先には、平凡な夜の村が広がっているはずであった。

 

「なっ!」


 闇よりもさらに黒いものが、モヤのように地面にたなびいていた。

 人影がある。

 血に塗れた侍が一人、刀を持って立っている。


「ご母堂、しっかり閉めてサエを守ってやって下さい!」

「お待ちください! これを!」


 家伝の刀なのであろうか。

 一振りの刀を五社に手渡す。


「かたじけない!」


 五社は、刀を受け取って、板戸を閉めた。

 

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