第46話 崩れる

「見ろ、無念が」


 五社に言われて伊織が天を見れば、無念だったものが、消し炭になって消えてしまった。大元である無念ネズミがいなくなれば、無念の作ったこの幻影の世界も、バラバラと崩れ落ちていく。


「佐内の兄貴、これ、大丈夫ですか?」

 

 辰巳が怯えて、五社にくっついてくる。

 五社は、それをうっとうしそうに引っぺがす。


「大丈夫だ。護符の結界に大人しく入っていろ」


 五社の言う通り、幻影も街はガラス細工のように脆く崩れ去っていくが、護符に囲まれた空間だけは、何事もない。


「妖の影響を受けんように、護符が守ってくれておるのじゃ」


 伊織の腕の中のタマが、教えてくれる。


「タマさん、タマさんは妖なのに、大丈夫なのですか?」

「だから、こうやって、大人しく可愛らしい猫の姿をしておるじゃろうが。良いか、このタマは、妖の中でも、陽の存在と申したではないか……」


 陰陽の話を始めようとして、また、理解できずに首をかしげている子ども達を見て、タマは、諦めた。


「人間と仲良しの、可愛らしい猫ちゃんである姿のタマ、護符が襲うわけがないのじゃ」

「タマさん、それはさすがに説明を端折り過ぎでは」


 五社が呆れる。


「仕方ないのじゃ。佐内がもっとちゃんと陰陽について教えておらんから、説明が難しいのじゃ」


 タマが、プリプリと怒っている。


「見ろよ。竹林に戻って来た」


 周囲の黒雲はすっかり晴れて、今は朝焼けの空の下に竹林が広がっている。

 伊織達の仲間の周りには、大勢の人が、倒れている。


「伊織よ。すまんな。結局、結界の中に入る分の人間しか助けられなかったの」

「タマさん……」


 タマさんは、無念ネズミに攫われた人たちを、皆助けたいという伊織の言葉を覚えていてくれたのだ。


「タマさん。僕たちだって、殺されるところだったのを。頑張ってくれたのは、分かっています」


 タマが、回りくどいやり方で無念ネズミを揶揄うように翻弄していたのは、皆を助けたいという伊織の願いを汲んでくれたからなのだろう。


「兄様! 兄様!」


 由岐が、陽介の頬を叩きながら、呼びかける。


「タマさん、兄様は大丈夫なの?」

「陽介は、操られてた時間が長かったからの。なかなか術も解けぬのであろう。ほれ、由岐。陽介の心の臓は、ちゃんと動いているであろう? 心配せずとも、じきに目をさます」


 タマに言われて、由岐は、陽介の胸に耳をあててみる。

 確かに、タマの言う通り、陽介の心臓は、どくどくと脈打って、生きていることを証てくれている。


「明日の朝頃じゃろうな」

「じゃあ、この倒れている他の人たちも?」

「ああ、そうじゃろう。放っておけ。霊験あらたかな護符が貼られているのじゃ。放っておいて、大丈夫だ。気がつけば、自分でなんとかしおるであろう」

「ええ、乱暴ですね」


 放っておけというタマに、伊織が反論する。


「しかしの。この人数じゃ。面倒を見切れるものでもない」


 貧乏所帯の『天然またたび流』である。これほどの人数を世話してやれる余裕なぞない。

 結局、辰巳が近くに寺の住職に相談にいくことになり、一同は、道場へと帰宅した。


 




 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る