第5話 模擬試合 伊織対由岐

 蔵之助が、ペタンとその場に崩れ落ちる。格下の伊織に負けたのがショックだったのだろう。


「嘘だろ?」

「嘘でも何でも、伊織の勝ちだ」


 容赦ない五社の言葉に、蔵之助は返事が出来ない。


「クソッ! まぐれだ! もう一度やれば負けない!」

「愚か者め。真剣であったら、蔵之助は死んでおったのだぞ!」


 自らの負けを信じられない蔵之助に、タマが叱責する。

 ピョンと跳んできて、ペシペシと前足の肉球で蔵之助の頭をはたく。蔵之助は、「痛てぇ!」と頭を抱えて、タマから逃れようと道場を走り回る。


 ……そうだ。蔵之助を殺していたのだ。

 伊織は、蔵之助の鳩尾に付いた薄い墨と五社の手にベッタリ付いた墨を見て、改めて気づく。

 真剣勝負であれば、その時に五社は、こんな風に止めてくれたのであろうか。

 そうなれば、伊織は師匠である五社の片手を切り落としていたことになる。


「馬鹿め。真剣の時は、違う止め方をする。見くびるな」


 青くなった伊織に気づいて、五社がクシャクシャと頭を撫でる。


「は、はい。すみません」

「伊織……よくやったな。きちんと基礎が出来ているから、切っ先がブレなかった」

「あ、ありがとうございます!」


 五社に褒められて、伊織の顔は紅潮する。


「ほれ、次の試合であろう? 由岐!」


 まだ蔵之助を頭をはたき続けるタマに言われて、由岐が「は、はい!」と。立ち上がる。

 先ほど蔵之助の立っていたところに由岐が立って剣を構える。

 目の前で蔵之助が負けたのを見ていたからだろうか。構えから、伊織を警戒しているのが分かる。

 スッと由岐が構えたのは、八相の構え。剣先を天に向けて真っ直ぐに由岐が構える。確か……あの構えは、兜をかぶった時に有効なのではなかったか……。ここで今、それを見せつけるのは、伊織を威嚇して自分が格上で、より多くの技を体得しているのだと見せつけるためであろうか。

 書物では知っているが伊織が初めて見る構え。技を多彩に操る由岐ならではということだろう。


 伊織は、先ほどと同じ下段の構え。付け焼刃で奇をてらっても、自分には使いこなせないように伊織は思うからだ。


「何よその構え。二番煎じ、見飽きたわよ」

「うっ」

「何の工夫もないじゃない」

「そう言われましても、僕にはまだこれしか出来ませんし」


 由岐に散々な言われ方をしたが、伊織は構えを変える気はない。ただ、そこにあるように自然と構える。それだけだ。


「始め!」


 五社の掛け声で、蔵之助の時と同じように試合が始まる。

 

「勝たなくても良い、ただ負けないように」「受けるのではなく流す」「打ち込まず触れるだけ」タマの声が伊織の頭の中でこだまする。


 じっと構えて待てば、ジリジリと由岐が間を詰めてくる。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る