第4話 模擬試合 伊織対蔵之助

 どうしよう。

 蔵の助や由岐と戦うだなんて。

 降って湧いた災難に、伊織は動揺する。

 

 だが、着実に準備は進んでいく。

 道場に五社とタマ、伊織、由岐、蔵之助で集合して、準備を進めていく。

 壁に掛けられた真剣をスラリと五社が抜いて具合が確かめれば、伊織もこれからあれを持って兄弟弟子と戦うのかと緊張する。

 真剣で戦うのであれば、ほんの少しの気のゆるみで、誰かの命が失われる。


「無茶よ。竹光ですら心配なのに、真剣だなんて伊織を殺しかねないわ」


 心配してくれるのは有り難いが、どうあっても伊織が負けるとしか由岐は考えていないようだった。

 同い年の蔵之助、二歳年上の由岐、力と技で敵う相手ではないが、伊織には、そうしても由岐や蔵之助の言うような圧倒的な差の相手とは思えないのは、伊織の驕りであろうか。


「仕方ないのぉ……では、佐内よ、竹光の先に墨を付ける。それで真剣の代わりとすればいかがかの?」

「まあ、その方が、俺も後が楽か……剣術を習っておいて今さら何甘えているんだと言いたい気持ちはあるが、まだ子どもだ。仕方ない」


 竹光に墨を付ければ、触れるだけで墨がつく。

 触れた瞬間に勝敗が決まる真剣を模すのには、妥当であろう。

 タマの提案を受け入れて、五社が三本の竹光を用意して、その鈍い刃に墨を付ける。



「良いか? 勝負は一度きり。まずは伊織、蔵之助と試合じゃ」


 タマが仕切って、五社が審判につく。

 真剣でなくなったからか、勝利を確信しているのか、蔵之助の顔は明るい。


「伊織よ……」


 タマが寄って来て、伊織に耳打ちする。


「え? それだけで良いんですか?」

「ああ。それで良い」


 タマの提案に伊織は驚く。

 本当に、それだけで良いのだろうか? 道場破りに看板を持っていかれて、『天然またたび流』の剣術に疑問を持つ蔵之助と由岐に、その力を知らしめるために、一番小さくて力も弱い伊織に対決させるのではなかったか。

 それならば、圧倒的な勝利を伊織が上げなければならないと思ったのに、拍子抜けだ。


 タマの耳打ちした提案は、三つだった。

 その一つが、『勝てずとも良い。負けなければ良いのじゃ』だった。


「構え!」


 五社の掛け声で、伊織と蔵之助は剣を構えて、互いに見合う。

 蔵之助は、気合の入った上段で伊織を睨んでいる。

 道場破りにあっさり負けた……というか、相手にもされなかった鬱憤を、伊織に向けているのであろう。気迫は十分だ。


 対する伊織は、タマの助言で肩の力が抜けている。

 構えは、下段。剣先の重みに自然な高さで剣を蔵之助に向ける。


「始め!」


 五社の言葉に、タマを膝に乗せた由岐が見守る中で、試合が始まる。


「やぁぁぁ!」


 初めに仕掛けてきたのは、蔵之助であった。

 いつも通りの荒っぽい大ぶりな剣先が、伊織を狙う。

 だが、一撃で仕留めようとした蔵之助の剣は、伊織の剣に流されて打撃が反れてしまう。


「ちっ!」


 圧倒的に格下と思っている伊織に躱されて、蔵之助が舌打ちする。

 伊織は、タマの言葉を思い出す。


『相手の剣は、受けずに流せ』


 そう言われて、思い出せば、今まで蔵之助の剣を受けては弾かれていた。

 ……そうか。受けなくても、攻撃として当たらなければ良いんだ。


 勝たなくても良い、攻撃を受けなくても良い。

 そう言われれば、伊織は守備に集中できて、心に余裕が出来る。

 心に余裕が出来れば、蔵之助の打ち込みに粗が多いことが、目にとまってくる。


 伊織とは反対に、蔵之助は、いつもより打撃が入らないことに苛立ち、ただでさえ道場破りにコケにされて、タマにかまぼこを取られてカッカしていたのからか、冷静さを失っている。


 気迫、勢いは強いが、蔵之助の動きは自然と無駄が多くなり、視野も狭くなったようで、まるで伊織の動きが見えていない。

 無駄な動きが多いせいか、逃げる伊織を追い詰める蔵之助の息が荒くなり、肩が疲れで上下し始めた。


タマのアドバイスは、あと一つ。『蔵之助が疲れて肩で息を始めれば、攻撃しても良い。ただ、振りかぶる必要はない。ちょこんと剣先を前に出してやれば良い』。


 そう言っていたのだ。

 

「ちょこまかと逃げやがって!」


 叫び打ち込む蔵之助の勢いを利用して、すっと蔵之助の踏み込んでいく先に伊織は剣を伸ばした。


 勢いよく踏み込んできた蔵之助は、伊織の剣に気づいても止まれはしない。

 まるで自ら吸い込まれるように、伊織の剣先に突っ込んでいく。


「あっ!」


 見ていた由岐の口から声が漏れる。伊織の剣は、確実に蔵之助の鳩尾みぞおちを狙っている。鳩尾は急所。この勢いでは、蔵之助は大けがをしてしまう。


「そこまでだ」


 すんでのところで、五社が蔵之助の体を支えて、伊織の剣先を抑える。

 蔵之助の鳩尾には薄っすら墨が付き、五社の手は、墨で黒く染まっていた。


「勝負あったの! 伊織の勝ちじゃ!」


 由岐の膝の上で満足そうにタマが笑った。


 






 



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