第43話 タマ、変じる

「どうやら無事逃げておるようじゃな」

「愚かな猫が、自らを犠牲にしたか。泣けるの」


 タマを取り込もうとしていた黒雲は、タマの炎に焼かれて諦めたのか、壁際にこびりついている。

 眷属をけしかけて焼き払われ、黒雲に取り込むことにも失敗した。それでどうしてこのように強気なのか、タマには見当もつかなかった。

 まだ何か罠を仕掛けているのかと、タマは警戒する。


「犠牲? 犠牲になる気は、全くないがの」


 警戒を気取られないように、平静を保ってタマは返答する。


 無念の道場の中。

 タマと無念は睨み合っていた。

 人型に戻った無念が、道場の崩れかけた壁に掛かっていた剣をタマに投げてよこす。


「剣術で勝負しよう。卑怯者」

「卑怯も何も、クソネズミが勝手に尻尾を巻いて逃げたのは、ずいぶんと昔のこと」


 タマも人型に変じて、無念の投げた剣を取る。


「なんとも懐かしい、憎たらしい姿だ」

「なんともよく覚えおるの」


 タマが化けたのは、『天然またたび流』開祖である、普通の猫であった時の飼い主の姿。


「この姿にもう一度負けるが良い。ドブ鼠」

「なんだ。やはり覚えてあったか」

「今、思い出した。このタマと勝軒を知っているネズミなんて、あれしかおらん」


 ニィッと明るくタマが笑顔を見せる。

 西岡無念に覚えはないが、このネズミをタマは知っている。

 開祖の勝軒しょうけんと一緒に、タマが追い立てたネズミだ。

 家に棲みついて、並みの猫では殺せなかったネズミがいた。

 勝軒が困り果てて助けを求めたのが、タマであった。

 すでに老猫になり、猫又となりかけていたタマであったが、ネズミもまた、妖と成りかけていたのであろう。瘴気を纏い、無念ネズミは、タマと対峙したが、タマの方が気迫も妖力も勝っていた。

 無念ネズミは、ほとんど戦わずにタマに負けて去っていたのだ。


「殺さず見過ごしてやったというのに、ずいぶんな奴だ」


 真っ直ぐに中段に構えたタマに対して、無念が八相に構える。

 無念の剣が黒い瘴気を纏っている。

 タマの構えた剣も青白い炎に包まれる。


 互いにけん制しながら、じりじりと間合いは詰まる。

 足元は、瓦礫だらけであるのに、タマも無念も構えを崩さずに動くのは、双方とも妖であるからだろうか。

 人間の形をしていても、人間では出来ない動きである。


「死ね! 猫め!」


 打ち込んでくる無念の剣は鋭いが、受けるタマの動きは軽やかで、無念の刃はあっさりとタマは受け流す。


「はぁ! その脇、先ほど佐内に突かれた所が痛んでおるな。動きが一歩遅れるではないか」

「ぬかせ!」


 意地になってタマの足を払う無念の攻撃は、ひらりとタマは跳んで避ける。

 力の差は歴然であった。無念の振るう剣をタマに風のようにひらりと躱す。

 天井を蹴り、壁を走り、くるりと翻って翻弄するタマに、無念はイライラと焦りをみせる。


 フッと視界からタマが消えた一瞬のことだった。

 今まで、攻撃らしい攻撃をせずに無念を翻弄していたタマの攻撃が、無念の右目を狙う。

 無念は咄嗟に避けるが、タマの刃は、無念の右目から視力を奪う。


「キュワワワワ!」


 右目を失って剣を捨てた無念が、叫び声をあげて、また巨大なネズミに変じる。


「なんじゃ! お前が人間になって剣で勝負しろと言ったのではないか。卑怯はどっちだ」

 

 文句を言うタマであったが、咄嗟によけそびれて、無念の前足に掴まれてもがく。

 黒雲になる術を持たぬタマは、掴まれてしまってなかなか避けることが出来ずに、ジタバタと暴れる。


「愚かなり。勝てば良いのじゃ」

「……それは、同感じゃが……」


 そこで納得している場合ではない。

 ギリギリと爪を立てられれば、さらに抜け出すのは困難になる。


「やはり、黒雲の術も会得しておくべきであったか……」


 今さらながらに後悔してハァとため息をつくタマに、クククッと無念が笑っていた。

  

 

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