第50話 薬

「ご安心ください。研究は住職が、この外だか部屋だか分からない部屋でやっておりますが、薬の加工は、別の私が掃除した部屋でやっております」


 寺の小僧は、薬の入った鉄瓶を、綺麗な青磁の茶碗と共におくと、両手を畳に揃えて一礼をし入り口まで下がる。


「なんだか、住職が妖で、小僧さんが人間みたいよね」


 由岐が呟けば、「こら、失礼だぞ」と、陽介が制する。


「いえ、失礼などとは。本来、皆様そうお思いになるのです。見抜く方が珍しい」


 小僧が嬉しそうに笑う。

 人間っぽいと言われて、うまく化られていると言われたようで嬉しいのだろう。


「住職ほど人間らしい人間もなかなかおらんのじゃがの」


 伊織の膝の上のタマが、口添える。


「ええ、こんな虫部屋の主なのに?」


 由岐は思い切り首をすくめる。

 よほど嫌なのだろう。この部屋が。

 先ほどから伊織にくっついて離れないのだ。

 道場で虫が出た時も、由岐は自分では始末できずに、タマや伊織、蔵之助に頼むほどであるから、今も同じようにいざという時には、伊織を盾にしようという算段なのであろう。


「由岐、そんなに嫌なら、外に出て待っていますか?」

「それは嫌。兄様の薬の話なのに!」

「仕方ないのう。住職、薬を早く」

「まあ、待て。まずは説明をせんと。他の者にも飲ませるのであろう?」


 住職が目配せをすれば、小僧が、すっと粗末な巾着袋をだしてくる。


「中には、薬が複数入っております。これを鉄瓶に入れて煎じれば、良いのですが、その用法は、これに書かれております」


 小僧は、進み出て、伊織の前に用法の書かれた紙と巾着袋を置く。


「佐内様はお元気ですか」

「ええ。本日は道場におります」

「そうですか。では、佐内様にも、こちらをお見せになって、お読みくださいますよう」


 伊織が紙を開いて読めば、丁寧にどのタイミングでどのくらいの量を湯に薬を入れるのか、どのくらいの時間、薬を蒸らすのかなど、事細かに指示されている。


「五社先生は、いつもこちらでお世話になっているとか」

「ええ。懇意にさせてもらっています。こちらから、佐内様のお力をお借りすることもございます。伊織様も、今後はよしなに」


 よしなにと、言われても、伊織も困るのだが、『天然またたび流』に居続けるならば、五社やタマの使いで訪れることもあるだろうと、素直に伊織は小僧に頭を下げる。


 伊織は、受け取った巾着袋と紙を大切にしまう。

 小僧は、湯呑に鉄瓶から薬を注ぐ。注がれた薄茶色の液体からは、薬草の匂いがする。


「さ、ゆっくりと飲み干してください。和尚が妖の呪いを解くために作った特別な薬でございます」


 小僧に勧められて、陽介が口をつける。

 苦いのか、陽介の顔が歪む。


「どう? 兄様、効きそう?」


 湯呑を傾けて、全て飲み干してじっとしている陽介に、由岐はじれったくなって尋ねる。


「そう早くには効かん。もそっとゆっくりと体に染み渡らねば」


 そう言う和尚も、陽介の様子に興味津々である。

 陽介は、フッと意識を失って、パタンと倒れてしまう。


「ありゃ、ちと濃かったか? いや……しかし、あれ以上薄くするのは……」


 陽介の様子を見て、住職が頭を掻く。

 慌てて伊織と由岐が、陽介を支えるが、どうやら生きてはいるようだ。 


「和尚、この薬、人間の飲むのは……」

「タマ、正解じゃ。初めてじゃ」

「ちょっと! 兄様で人体実験?」

「由岐、残念なことじゃが、ここで口にするものは、気を付けねば、何が入っとるかわからん」

「え……」

「仕方なかろう? こんな場所じゃから、人は来ぬ。新しく作った薬は、客の体を使って確かめねばならぬのじゃ」

「ほんに困った人間じゃ。佐内が何度酷い目に合ったか」


 やれやれと、タマが首を横に振る。


「あ、ひょっとして、今、僕に『よしなに』って言ったのは、新しい検体にする気でしたか?」

「はっはっは! まあ、そんなこともあるだろうし、ないだろうし」


 とんでもない住職だ。

 伊織の顔が引きつる。


「それ、それよりもタマ、ゆっくりしていれば、逃すぞ?」


 薄い黒雲が、陽介の耳からそろりとにじみ出てくる。


「おお、出て来おったな」


 伊織の膝でずっとくつろいでいたタマが、陽介の耳から出てきた黒雲を前足てクルクルと器用にからめとって、パクンと食べてしまう。


「タマさん、大丈夫なんですか? そんなの食べて」

「こんな小さな欠片、どうってことない」

「これは……何なのですか?」

「無念の欠片……ともいうものかの」

「無念はあの時、タマさんの炎と護符の力で死んだのではないのですか?」

「まあ、死んだの。だが、妖を舐めてはいかん。その執念の欠片は、それ、このように残って、呪いをなす。金毛九尾は、封印された後も、その瘴気を出し続けておるではないか」

「殺生石のお話ですね」


 殺生石。それは、都で帝に仇なした九尾狐を封印した場所にあるという。

 その石の周囲では、九尾狐の瘴気にあてられて、生き物が死ぬのだという。


「そうじゃ。」

「まあ、狐側からすれば、あの話には異議だらけなのですがね」


 小僧は不満そうであった。

 黒雲が耳から出てきたことで、陽介の体に変化があったのか、ゆっくりと陽介が目を覚ます。

 

「由岐……」

「兄様! 大事ないですか?」


 陽介が、目を覚まし、ゆっくりと起き上がる。


「どうじゃ、まだ頭痛はするか?」

「いえ……不思議なくらい頭がすっきりしております」

「ふむ。大丈夫そうじゃの。成功じゃ」

「良き薬をありがとうございます」


 そう頭を下げる陽介の様を見て、住職は満足そうに髭をさすっていた。

 

 


 

 

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