第25話 行けども行けども

 歩き回っても、先へは進まない。

 

「うわっ! この地蔵さん、さっきもみたよ」


 蔵之助が、頭を抱える。

 気づいてみれば、色々と奇妙なことが起こっている。


 何度も同じ地蔵の横を通り過ぎる。

 時々、頭がフワフワして眩暈がする。

 足が宙を絡まる感覚がする。

 先ほどからずっと、悪寒が止まらない。


「ううっ!」


 ゾクゾクと背筋を凍らせる悪寒に、伊織がとうとううずくまる。

 ずっと何刻も歩き続けているから、足も限界で震えている。


「お、おい! 大丈夫か?」


 蔵之助が、伊織を心配して覗き込む。

 のぞき込む蔵之助の顔色が悪いのは、きっと蔵之助自身も体調が悪くなっているのであろう。


「すみません。頑張って歩かなきゃいけないのに」


 無理に立ち上がろうとする伊織を、蔵之助が制止する。


「休憩しよう。実は俺も限界なんだ」


 蔵之助は、伊織を支えて、地蔵の隣へと誘導する。

 二人して並んで座って、体力を回復しようとするが、この鬱屈した重たい空気の中で、ずっと悪寒がしているのだから、なかなか上手くいかない。

 二人して、ただ互いを支え合って震えている。


「見つかってしまっていたんでしょうか?」

「さあな。だが、きっと妖の術には違いないな」


 ここでもし、敵が来たならば、一瞬で切り捨てられて命を落としてしまうであろう。伊織も蔵之助も、もう抵抗する気力がない。


「寒いです」

「うん。寒い」


 二人の全身が震え出す。このまま死んでしまえば、あの「桜崎陽介」とかいう若者のことを、由岐に報告してやれなくなるな……。いなくなったことを知って、五社達は、どんな顔をするのだろうか。

 伊織は、つい、自分が亡くなった後のことへと思考が向いてしまう。


 両親が亡くなった時のことが、ぼんやりと頭に浮かんでくる。

 伊織の両親は、薩摩や長州方に物資を提供する商人であった。

 あのころに、今の明治政府の加担をしたのであるから、先見の明があったというべきなのであろうが、物資を供給することを、幕府側の人間が良く思うわけがなかった。

 謀反に加担する悪人として、ある日夜討ちにあって切り殺されてしまったのだ。


 何事もなく商いも終わって、番頭も丁稚も、もちろん伊織達家族も、皆ゆっくりと寝静まっていた時に、幾人もの侍が店に押しかけて来た。


 一家全滅。


 店の者は切り殺されて、金目の物は、全て没収という体で持ち去られた。

 伊織は、侍たちにひっつかまれて、連れ去られるところであった。

 もがいてももがいても離してくれない侍たちが、伊織に何をさせようとしていたのかは、幼かった伊織には、何も分からない。

 売り飛ばすつもりだったのか、母と似ていた伊織を女の子と間違えたのか、自分達の下働きをさせようとしたのか。いずれにせよ、伊織の末路は明るい物ではなかっただろう。


 野菜か何かのように乱暴に担ぎ上げられる伊織を助けてくれたのは、タマと五社だった。


 鮮やかな剣技で、あっという間に侍たちは、五社に討たれて倒れたのは、今でも伊織の脳裏に焼き付いている。


「タマさん……五社先生……助けて……」


 朦朧とする頭で、伊織は助けを呼んだ。

 ニャーン! と、遠くにタマの鳴き声が聞こえる。


 急に、爽やかな風が目の前を通り過ぎる。


「そんな状態になるまで無茶しおって!」


 とんでもなく怒ったタマの顔が、伊織の目の前にあった。


「た、タマさん! 蔵之助! タマさんだ!」


 蔵之助を伊織は揺さぶる。蔵之助は気を失っているようで、返事をしない。


「タマさん!」

「分かっておる! ひとまず逃げるぞ!」


 目の前で、タマがぐんぐん大きくなって、虎のようになる。


「乗れ!」


 タマに促されて、伊織は蔵之助をまず前に座らせて、その後ろに自分が座って蔵之助を支える。


「走るぞ! ちゃんと掴まっているのじゃぞ!」


 タマはそういうと、伊織達を乗せたまま風のような速さで走り出した。

 タマの周りには、炎が舞い上がっている。

 炎は、周囲の幻影を焼きながら、タマ達に道を作る。


 ゴウッと大きな音と共に業火が立ち上り、タマの前に一本の炎の道を作る。

 

 不思議なことに、あれだけしていた悪寒が、タマの背に乗っている内に楽になってくる。


「幻影を焼いて道を作っている! このまま外に飛び出るぞ! しっかり掴まれ!」


 タマに言われて、伊織は蔵之助の体を抱えてタマの体にしがみつく。

 黒い空間に、何かが切り裂いたような爪痕が残っている。タマの作ったひっかき傷だ。

 その爪痕の隙間から、元の世界がチラリと見える。


 案の定、タマは、その爪痕めがけて飛び込んでいく。

 

「全く! ウチの子ネコたちは、どうしてこうも世話が焼けるじゃ!」


 そうタマがプリプリと怒りはじめた時には、伊織達が、元の世界の竹藪の中に戻っていた。



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