第23話 戻らぬ二人

 伊織と蔵之助が帰って来ない。

 由岐と辰巳とタマが慌て出したのは、日が暮れてからであった。

 

「買い物に出た時に、何かに出くわしたか?」


 珍しくタマが毛を逆立ててピリピリしている。

 それもそのはずである。昨日、あの妖の黒い雲の話をしたばかりなのだ。

 昨日の今日で、伊織達がいないのであれば、その件に関連しているのではないかと、タマも心配なのだ。


「分からない。何があったの?」


 由岐の瞳には、涙が浮かんでいる。蔵之助と伊織が、こんなに遅くまで、何も言わずに帰って来なかったことなんて、今までにない。

 特に今は、五社がいない。由岐の不安は、いや増すばかりだ。


「タマさん、失礼するよ」


 表で声がして入ってきたのは、近くの寺の住職であった。

 キョロリと住職は道場を見回す。


「伊織と蔵之助は?」

「それが、今、いないのよ……」


 普段から親しくしている住職に、由岐が素直に返答する。


「ふむ……。やはりそうか……」

「住職、何かご存知か?」


 タマが聞き返す。


「ふむ。夕方に伊織と蔵之助に会った時に、竹林の黒雲の話をしたのじゃ」

「竹林の黒雲? 黒雲を見たのか、住職」


 普段とは違う毛を逆立てたタマの様子に、住職が、事態を察したようだった。

 住職の顔にも不安の色が浮かぶ。 


「見た。では、やはり伊織と蔵之助は、あの黒雲を追って……」


 話すべきではなかったと、住職が後悔をこぼす。

 住職は、昼間に野菜売りの所で出会った伊織達と話した内容を、タマ達にも聞かせる。


「じゃ、じゃあ妖の黒雲のところへ、伊織達が……」


 由岐は、伊織達が神隠しにあって帰って来ないという最悪の想像をして、青ざめる。


「さ、佐内の兄貴を、探しに行かんと!」

「辰巳! 待て!」


 五社を探しに行こうと草鞋を履く辰巳を、タマが止める。


「タマさん! でも、佐内の兄貴がおらへんかったら、どうしたらええのか!」

「分かっておる。佐内には知らせるべきじゃ。だが、お主は、佐内の居所を知らんじゃろう?」


 霊験あらたかな寺社とは聞いていても、確かに辰巳には、五社の居所は分からない。やみくもに飛び出したところで、人に訪ね歩くだけで、時間は経ってしまうだろう。


「恐らくここじゃ」


 住職が、袂から出したのは、小さな護符であった。

 その護符に寺の名前が書かれている。


「これは?」

「ふむ。前に、佐内に、この護符をもらってくるように使いを頼んだことがあっての」


 聞けば、物の怪が出るようになった家があり、それを退けるために住職が頼んだのだという。


「霊験あらたかな寺社へ行くと言って佐内が出たのであれば、きっとこの場所へは立ち寄るはずじゃ」

「ほな! ほな、そこへ!」


 辰巳は、住職から護符を受け取ると、走っていってしまった。

 全力で逃げる五社の居所を突き止めて道場へ来た辰巳だから、ここは辰巳に任せるのが適任だろうと、タマは辰巳をそのまま行かせる。

 

「はあ……」


 首を横に振りながら、住職がため息をつく。


「住職?」

「本当は、タマさんか佐内がいる時に話すべきであったのだが、小僧が口を滑らせてしまったのだよ。まことに申し訳ない。胸騒ぎがして、ここへ来たのだが……まだ身間に合うか? タマさん」

「さあ、どうじゃろうの。だが、伊織達とて、幼いながらも、このタマの弟子じゃ。おいそれとは負けんよ」


 ひょいと、三和土たたきへタマが降りる。


「タマさん?」

「辰巳の足がいくら早かろうと、佐内に追いつくのは、明日になってからだろう。そこから佐内が帰って来たとして、どんなに早くとも、明後日以降となるじゃろう? それじゃあ、間に合わん」

「私も一緒に行く!」

「ダメじゃ!」


 ぴしゃりとタマに止められて、由岐はピクリと震える。


「伊織も蔵之助もおらず、このタマも出るのじゃぞ? 由岐は、何かあった時に道場を守る必要がある」

「でも!」


 由岐だって、伊織達が心配なのだ。出来ればタマについていきたい。


「でも、ではない。これは命令じゃ。付いて来ることは、許さぬ!」


 ギロリと睨むタマの目が怖いくらいに光っている。

 タマに気圧されて、由岐はそれ以上は何も言い返せなかった。


「住職、由岐を見張っていてくれ!」


 タマは、そう言って道場を飛び出して行った。

 伊織達を助けるために、竹林の黒雲のところへ。

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