第9話 安酒
五社が一人で安酒を飲んでいるとタマが襖を開けて入ってくる。
パタンと襖を閉めて、ゆっくりと五社のあぐらをかいた上にタマが座る。
「アイツらは寝たか?」
「ああ、模擬試合でヘトヘトだったからな。ぐっすりだ」
「開けた襖を閉めるところを見ると、やはり猫又だな」
「当たり前じゃ。隙間風は寒かろう? 猫から猫又になって出来るようになったことの中でも、群を抜いて便利なことの一つじゃ。やらぬ手はない」
そういうことを言っているのではないのだがな……。五社はタマの減らず口に口角を少し上げて呆れる。
タマはそんな五社の様子に意も介さずに、前足の桃色の肉球を舐めて手入れをしている。
「タマさんも飲むか?」
「要らん! そんな水っぽい酒!」
「仕方ないだろう? 水で薄めなければ、すぐに無くなる」
「まぁ、真理じゃの。貧乏を極めておるゆえ」
肴もなしに、欠けた茶碗の酒を少しずつ飲む五社の上で喉をゴロゴロと鳴らしてタマがくつろぐ。
明治の世になって十年、武士は禄を失った。大名ならば政府に雇われて豪勢な生活を送っているようだが、末端は悲惨だ。
特に徳川方に加担した五社のような者には、何の補償もない。
突然職を失い放り出されて、日々の生活にも困っているところに、昨年の廃刀令で、刀を持って歩くことさえ禁じられてしまった。
もはや、道場を営む意味すら分からぬ状況で、それでも行く宛のない三人の子どもを抱えてしまっては、五社が何とかするしかなかった。
「ご機嫌だな、タマさん」
「ああ、皆が健やかに大きゅうなっているからの」
「全くだ」
「由岐を拾った時から始まったのだよ」
「俺は、あの日に全て終わったと思ったのだが」
「なんのなんの」
タマの頭を五社が掻いてやれば、タマが気持ち良さそうに目を細める。
そう……十年前のあの時。
付き従っていた藩が負け、五社はタマに助けられて命だけはかろうじて残されたような状態だった。
侍の世が終わった。
ならば、腹切って果てようかと、五社が死に場所を探していた時に、幼い由岐が泣いているのを見つけたのだ。
父の首を抱いて血塗れで泣く由岐は、幕府軍に追われているところであった。
五社とタマが助けなければ、由岐は死んでいただろう。
由岐を説得して、父の首を埋めて弔わせ、五社とタマが由岐を引き取ったのだ。
「ガキばっかりどんどん増えやがる」
蔵之助が増え伊織が増えて、道場は賑やかになった。
「それこそ、あることの理じゃ。それこそ天啓であろうぞ」
天啓ね……。
こんな看板も失ったオンボロ道場に何の天啓があるものか、と五社は顔を歪める。
「おかげでなかなか死に場所が見つからねぇ」
「それこそ、天啓が決めるものじゃ。良いから大人しく内職でもして、子らの腹を満たしてやれ」
ヘイヘイと、タマに五社は返答する。
「あ、かまぼこは積極的にもらうが良いぞ! あれは人の世の傑作じゃ!」
タマがそう付け加えた。
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