第47話 その男の名は――

「解ったわ……」


 当たり前のように答えた『お互い様』という言葉に、ムテキンもリルムの事を好きになってくれているんだろうと感じながらも、それでもアデラレーゼは何も言えなかった。


 ムテキンの笑顔は、あまりに晴れやかで迷いがなかったから。


 そんな表情をした人間の意志を変えられる言葉なんて、アデラレーゼの中にはなかった。


「アデラ。君が罪を背負う必要なんてない。ここは私がやろう」


 今の今まで事の成り行きを見守るしか出来てなかった王子は、初めて口を開くとアデラレーゼから剣を受け取ろうとします。


 表情や声だけなら平静を装えているものの、手先が震えているのをアデラレーゼは見逃しませんでした。


「……詳しい事が解るまでムテキンを呼び出すのを待とうって貴方は言ってくれたのに、呼び出したのは私よ? 貴方の言うとおり、もうちょっと待っていれば何か解かっていたのかもしれないのにね。責任は持つわ」


 別に王子も、こんな事態を予想していた訳ではない。ただ噂が流れているというだけでは、動くに動けなかっただけだ。そして、いくら私用として片付けようとしても王族が騎士団長を呼び出した時点で、私用だとは誰も思わない。何かしらの報告を出さねば、より噂が濃くなるだけだ。


 それでも王子と違いアデラレーゼが動いたのは、ムテキンを信じていたからだった。


 アデラレーゼの知っているムテキンは、まあ阿呆だ。どうしようもないくらい阿呆だ。もう何考えているか、サッパリ解からないくらいだ。


 でも、善悪の区別が付かない訳でも、誰かに迷惑を掛けたりする訳でもない。勤勉に仕事をこなし、仕事がなかったら自主的に警備を始め、それ以外は鍛錬をしているという騎士の鏡とも言える人間というか、真面目なアデラレーゼでさえドン引きするくらいの真面目人間なのだ。


 更に言えば、リルムの恩人でもある。


 そんな人間が人殺しとして疑われているのが嫌だった。


 女王としてではなく、リルムの姉として黙っていられなかった。


「慣れない事なんてするんじゃないわね……」


 いつもなら絶対にしない公私混同。恩人を救いたかったという気持ちだけを優先してしまった行動。


 その代償や責任は、あまりに重いものだった。


「……こんな役目を任せてしまって申し訳ありません。少々事情があって、自力では死ぬのは難しいみたいでしたから」


 泉の精は知恵を元に戻したが、ムテキンの能力を奪った訳ではない。


 どんな騎士にも倒せない事も最高の騎士の一つの特性であり、それは自分の剣で自分を殺せないという事でもあったらしい。


 その名の通り、無敵とも言える騎士を倒せるのは、騎士の主である王族だけだったのだ。


「……貴方のせいにする気はないわ。私の浅はかな行動が貴方を死に追いやってしまった事を、私は一生忘れない」


 細かい事情は今でもアデラレーゼには解らない。


 けれども、譲れない想いがあり相手が引いてくれない事が解ってしまったから、もう仕方なかった。


 そして仕方ないで済ませていいほど、人の命は軽くもなかった。


(ごめん、リルム。貴女の大事な人、守れなかったわ)


 心の中だけで謝罪して、アデラレーゼは振り上げた剣を強く握り締めます。


「待って、アデラお姉様!」


 タイミング悪く意識を取り戻したリルムの静止の声も空しく、ムテキンの首を刎ねようとアデラレーゼの剣が振り下ろされました。


 


   ○   ○


 


 ムテキンが謁見の間に呼び出され、自分の視界に入った時から、かつてリカルドと呼ばれていた男は物思いに耽っていた。


(アデラレーゼは立派な女王陛下になりつつある)


 舞踏会に来なかった時は、血の繋がらない家族と上手くいかず、孤立してしまっているのではないかと心配したが丸く収まってよかった。


(取り返しの付かない事になる前に、メアリーを助けられてよかった)


 事件が終われば、もう余計な事に首を突っ込んで怪我をする必要もないだろう。器量も良いし家柄も良いから馬鹿な男が寄ってくるかもしれんが、まあミュリエルも居るし、変な男相手に後悔もしまい。大事な相手を見付けて幸せに暮らせる筈。


(ムテキンを元に戻す為とはいえ、リルムの気持ちを利用したのは心残りだが――)


 あの人が蘇った日、初めて魔法が御伽噺じゃなく実在するモノだと信じた。


 泉の精に会ってムテキンの頭を治してもらおうとしたのに、森に入れば、いつも謎の物体に襲われ蹴散らすので精一杯で泉を探すどころか奥へと進む事も出来なくて、自分のような悪人には会う資格もないのだろうと思って、彼女を犠牲にしてしまった。


(ようやく国も良い方へと動き始めてるんだ)


 景気も回復の兆しを僅かに見せ始めたばかりで、まだ油断なんて出来ない。


 それでも王子達なら乗り切ってくれるだろう。


(もう、俺の役目は一つだけの筈だ……)


 後はムテキンの無実を証明する為に、俺が犠牲になればいい。


 やはり、今から真実なんて明らかにしたって誰も得などしない。


 解り易い黒幕や敵が一人居れば、信じてもいい答えがあるなら、そこで納得してそれ以上は調べない人間が多い。その黒幕には俺が居る。


(心残りは、助かったムテキンが何とかしてくれるだろう……)


 生き残ったムテキンがリルムの想いに答えるのかは解らない。


 だが、自分の為に犠牲になった事を知っていて放ってなどおけまい。


 間違いなく、自分の力の及ぶ限り、あらゆる不幸からリルムを守る筈だ。


(それで、国も、あの人の娘達も、俺なんかに見守られる必要なんてなくなる)


 そう思っている筈なのに。後は行動に移すだけの筈なのに。


 リカルドは、何も出来ないでいた。


(……未練、かな?)


 もしムテキンが騎士団長の殺害を否定してくれたなら。アデラレーゼが全てを丸く治めてくれたなら。誰もが納得して終わりにくれたなら。


(俺は、まだ生きていていいんじゃないか? 死ななくていいんじゃないか?)


 リカルドは自分が期待している事に気付いて、人知れず驚きと新鮮味を覚えていた。


 だが、そんな期待を打ち砕くようにムテキンは死を選ぼうとしていて、アデラレーゼは女王という立場から剣を振り上げるしかなかった。


 男の見ている目の前でアデラレーゼの剣はムテキンへと振り下ろされようとし――


「やはり俺が死ぬしか丸く収まる道はないな……」


 かつてリカルドと呼ばれていた男――


 エロイゼ大臣は、ムテキンを守る為に飛び出していた。

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