第10話 立ち塞がりしはミュリエル
「何をしている!」
鋭い声と共に一人の女性が姿を現しました。
「ヴァ、ヴァルキリー将軍!」
アデラレーゼの継母である、ミュリエルです。
いつでも振るえるように右手に真っ赤なゴツイ鞭を持ち、その瞳はこれから戦場にでも出るかのように鋭くなっています。
「わざわざご足労頂かなくても、もう捕まえる所です」
ミュリエルの気迫に驚いているのか。それとも戦女神と噂されるほどの有名人に驚いているのか。
僅かに震える声で答えつつ、衛兵は敬礼しました。
「そう、それは良かった。急いで駆け付けた甲斐があったわ。何とか間に合ったみたいで、ね」
ミュリエルは微笑むと、持っていた赤い鞭を勢い良く振り上げ――
そして、見せ付けるかのように大きな動作で振り下ろしました。
アデラレーゼ達に向かって。
「ぜ、全員退避!」
慌ててアデラレーゼ達を取り囲んでいた衛兵達が飛びのきます。
「つっ!」
アデラレーゼは恐怖に目を瞑った瞬間――
一呼吸遅れでやってきた、赤い閃光にすら見える鞭が石畳の床を砕く音が響きました。
砂煙が立ち込め、一瞬でアデラレーゼと魔法使いを包み込みます。
石畳が砕かれるほどの鞭に晒されたアデラレーゼでしたが、
「……あれ? 何とも、ない?」
驚くべく事に痣どころかカスリ傷一つ付いてしませんでした。
別に魔法使いが庇った訳でもなく、最初からミュリエルの鞭は外れていたのです。
戦場で名高きヴァルキリー将軍も、長い主婦生活で鞭捌きは鈍ってしまったのでしょうか?
「ヴァ、ヴァルキリー将軍? 一体何を……」
いいえ、ヴァルキリー将軍とまで呼ばれたミュリエルの鞭捌きは健在でした。
ミュリエルの鞭は器用にしなり、アデラレーゼと魔法使いを取り囲んでいた衛兵達だけを見事に引き離していたのです。
「その子だけはね、何があっても捕まえさせる訳にはいかないの」
戸惑い、動きを止めた衛兵達を尻目にミュリエルは歩き出すと、アデラレーゼ達を庇うように立ち塞がりました。
「綺麗ね、アデラレーゼ。ドレスもちゃんとサイズが合っててよかったわ。髪を下ろしているのは初めて見たけど、よく似合っているわよ」
そして衛兵達に向けていた表情とは打って変わった優しい表情で、アデラレーゼに微笑み掛けます。
「ど、どうして? ほとんど顔なんて合わせてないし、ドレスだってずっと着てなかったし、化粧なんて何年もしてなかったのにどうして私だって……」
「いくら血が繋がっていないからって、その程度で私が大事な娘の事を見間違うと思う?」
「お、お義母様……」
感極まり涙が出てきたアデラレーゼは一言呟くので精一杯です。
「初めて母と呼んでくれたわね、アデラレーゼ」
そのアデラレーゼの短い一言だけで満足そうな笑みを浮かべると、ミュリエルはアデラレーゼの背を押して、無理やり通路の奥へと進ませました。
「行きなさい、アデラレーゼ。ここは私が食い止めるわ」
そして、背中を向けると再び衛兵達の前に立ち塞がります。
言葉と同様、その背中からも迷いを一切感じさせません。
「ゆくぞ、アデラレーゼ。ミュリエルの決意を無駄にしてはいかん」
「でも、お義母様が……」
「大丈夫じゃ、ミュリエルはこう見えてこの国に大いに貢献した偉大な女将軍。例え結婚して引退した身とはいえ、捕まえられても酷い扱いは受けまい」
「そういう事。だから私の事は気にせず早く行きなさい」
魔法使いの言葉に、背を向けたままミュリエルは答えます。
振り返ってくれないミュリエルに、アデラレーゼの心に不安だけが募ります。
「頼んだぞ、ミュリエル」
「ええ、娘の事は任せたわ!」
しかし、アデラレーゼの不安に合わせて状況は待ってはくれません。
言葉と同時にミュリエルの鞭が大きく振るわれ、衛兵達が怯みました。
その瞬間、絶妙なタイミングで魔法使いはアデラレーゼを抱えると走り出します。
「いやっ! 離して! お義母様が……」
「ええい、喋るでない。舌を噛むぞ」
「お義母様ーーーー!」
アデラレーゼの絶叫が響いたかと思うと、ドンドン遠くなっていきます。
そして、アデラレーゼの声が聞こえなくなった時です。
「フフ、お義母様。お義母様だって……」
ミュリエルの顔がニヘラニヘラとだらしなく緩みきった顔に崩れました。
その顔で鞭を持っている姿は、どう見ても危ない人であり、傍から見たら、不審者として衛兵に追われているようにしか見えません。
「今日の私は嬉し過ぎて手加減出来ないわよ! 掛かって来なさい!」
そのニヤけた顔のままミュリエルは叫ぶと、威嚇するように赤い鞭をしならせます。
ちょっとしたホラー物の姿に衛兵達が動きを止めました。
「数では勝っている。取り囲んで羽交い絞めにするぞ!」
しかし、そこは城を守る衛兵。
叫ぶ事により気合を入れなおすと、素早くミュリエルを取り囲みます。
(逃がす時間くらいは稼げるかしらね?)
明らかに勝ち目が無い不利な戦いにミュリエルはそんな事を思いましたが――
そんな不利な状況にも関わらず、何故か腰に付けている黒い小さめの鞭だけは決して抜こうとはしませんでした。
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