第17話 王子は踏まれて喜ぶ人らしい
「疲れたあ。もう暫く机仕事はしたくないよ……」
城に用意された自分の部屋に戻るなり、リルムはベッドへと飛び込みました。
「嫁入り前の女とあろう者がみっともないですよ、リルム?」
はしたないリルムの姿に、最初から部屋に居たメアリーが渋い表情を見せます。
お城に世話になる身で部屋を複数貰うと逆に気を遣うから、という事で二人は同じ部屋で暮らしているのです。
「メアリー姉様以外、誰も見てないからいいじゃん? 普段から女の子らしくとか気にしてたら疲れちゃうよ」
「こういうものは普段からの心掛けが大事なのです。いざ女の子らしくしようと思ってもすぐには出来ないでしょう?」
疲れているリルムを気遣ってでしょう。
紅茶ではなく疲労回復に効果があるというハーブティーを入れながら、メアリーがリルムを嗜めます。
「そりゃ炊事洗濯掃除、ボクはどれも出来ないけどさー」
話しながらも自然な動作でハーブティーを入れるメアリーの姿に、リルムは少し拗ねながら答えました。
壊滅的な家事音痴のミュリエル、妹に家事をさせたがらなかったアデラレーゼ。
この二人が居る環境では料理一つ出来なかったメアリーですが、お城に住むようになってメイド達に習う内に、アデラレーゼ以上の家事能力を手に入れていたのです。
「もう少しくらいボクも料理が出来たらいいんだけどなあ……」
ベッドから下りて、席に着いたリルムは自分の料理の腕を思い出してげんなりしました。
リルムの料理技能は、メイド達の手ほどきのお陰か。母であるミュリエルより多少マシではあるものの、それでも結構酷かったりします。
「もっとも、その元気さがリルムの良い所でもありますからね。もし恋をするのなら、その良さを好いてくれる相手と恋が出来ればいいのですけど……」
そんなリルムの悩みを表情と長年の付き合いから察したのでしょう。
メアリーはハーブティーを机の上に置きつつ、リルムに柔らかく微笑みました。
「れ、恋愛って言えばさ。アデラお姉様と王子様、上手くいってるのかな?」
リルムは顔を赤くして、話の矛先を義理の姉であるアデラレーゼへと移します。
褒められたのが恥ずかしいのも大いにありましたが、それ以上に自分をネタに恋愛話をされるのが苦手だったからです。
密かに可愛いお嫁さんというものに憧れており、料理の練習もしているリルムなのですが、まだ恋というものをした事がないのもあって自身の恋愛には実感が沸かないのでした。
「お姉様の事ですから王子様の特殊な要望にも喜んで応え、周りが羨むほど仲睦まじく過ごしているのではないかと思いますわ」
「特殊な要望って言うと。あの、特殊な要望だよね?」
「ええ。あの、求婚の時にしていた特殊な要望ですわね」
やたらと『あの』を強調するも、具体的な内容に二人は触れません。
自分を踏んでくれ、などという変態染みたというか変態そのものの要望は、たとえ自分の事ではなくとも乙女な二人には口にし難いのです。
「えー、絶対ないよ。だってアデラお姉様だよ? あのアデラお姉様が、そんな変な事する訳ないじゃん?」
少しだけ悩んだリルムは開口一番、叫ぶようにしてメアリーの意見を否定しました。
文武両道にして、家事万能でリルムの憧れそのものとも言える女性が、変態的……もとい一風変わった趣味に興じているなど想像したくもないからでした。
「そうかしら? お姉様だからこそ有り得ると私は思いますわ。優しく、誰かの為に自分を犠牲に出来る女性ですからね。愛する人が望むならどんな事にも応えるのではないか、と私は思っていますわ」
しかし、どうやらメアリーはリルムとは考えが違うようでした。
確信に満ちた声には迷いが一切なく、先程の答えが揺らぐ気配はありません。
「……それ、微妙に褒めてなくない?」
相手に尽くす女性と言えば聞こえはいいですが、言い換えると自己の気持ちを押し殺して我慢しているだけの女性に聞こえてリルムは微妙に厳しい顔をします。
「乙女として最高の褒め言葉のつもりですけれど?」
「そ、そうなんだ……」
ここでも迷いのないメアリーの声に毒気を抜かれたというか拍子抜けしたというか。
リルムは間抜けな声で返事をしつつ、思い出したようにハーブティーへ口を付けます。
メアリーも習うようにハーブティーを飲みました。
「でも、あのアデラお姉様がそんな事するかなあ?」
ハーブの効能か。
それとも静かになったからなのか。
少し考えてみたものの、どうしてもリルムにはアデラレーゼが王子を踏んでいる姿というものが想像出来ないのです。
一見、アデラレーゼは怒ると手が出るタイプに見えますが、よほどの事がない限り手を出さない人であり、リルムは剣の稽古以外で手を出された事は一度もありません。
(あの時だってボクが居なかったら、きっとアデラお姉様は……)
そして、リルムの記憶では、アデラレーゼが誰かに手を出したのは自分が虐められていた時に助けにきてくれた時だけです。
「……ねえ、メアリー姉様?」
コトン、とリルムはティーカップを置いてメアリーへと声を掛けます。
ハーブティーは半分近く残っていました。
「何かしら?」
ティーカップを手に持ったままメアリーが尋ね返します。
さほど重要な事でないと思っている訳ではなく、重い悩みならあまり緊張させるのも酷だと思っているからです。
「そんなに自信あるならさ、ボクと賭けをしてみない? アデラお姉様が、その、本当に王子様を踏んでいるのか、さ?」
「……賭けようにも、そもそも確認なんて出来ないでしょう? まさかその為だけに城内の警備を突破するなどという危険を犯す気かしら?」
メアリーの持つカップが動揺で僅かに揺れますが、リルムは気付かずに話を続けます。
「実は今夜のアデラお姉様の警護はボクが担当なんだ。だから、そのさ……」
そこでリルムは言葉を濁しました。
悪い事をしているという自覚はあるのでしょう。
自分から覗きに行こうとは言い出せません。
「そう、ですわね……」
コトン、とメアリーがティーカップを置く音が響きました。
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