第20話 ヒーロー参上、その名はムテキン

(助けて! お姉様! お母様!)


 口を押さえられ、言葉にならない悲鳴を上げるリルム。


 それは騎士として、いえ、生まれて初めてリルムが誰かに助けを求めた瞬間でした。


 苦しくて辛い事があっても、それは傍に誰かが居るという安心の中のものであったり、時間を掛けて努力すればどうにかなる事だったり。


 あるいは、どうにかならなくても諦めたり我慢すれば済む事しかなかったのです。


 本当の意味での無力感や絶望感を覚えたのは、これが初めてでした。


「安心しろ。痛い事はしねえし、暴れなきゃ五分も掛からんさ」


 賊の腕がリルムの胸元へと伸びます。


(キスも男の人も好きになった事ないのに、こんなの……)


 どれだけ願ってみたところで、身体を押さえ付けられているリルムには何も出来ません。 


 ただただ恐怖に身体を強張らせます。


「どんな事情があるのかは知らないが、嫌がる女性を押し倒す人間を捨て置けぬな……」


 賊の手がリルムの胸元に触れようとした時でした。


 賊の背後から精悍な声が響き渡ります。


「だ、誰だ!」


 いきなりの声に、賊はリルムの口を塞いでいた手を離しました。


 しかし、リルムを押さえ付けている賊は振り返って相手を確認する事が出来ません。


「む、こちらからでは話し難いな。すぐにそちらへ回ろう」


 そんな賊を気遣ったのでしょう。


 声の主は瞬間移動でもするかのような速さで賊の正面へと回り込みました。


「王国騎士団所属のムテキンだ。それより我が国の騎士に貴様は何をしている」


 そして、格好良く名乗りを上げたはいいですが間抜けです。


 果てしなく間抜けな姿です。


「あ、アホの人! どうしてその動きでボクを助けてくれないのさ!」


 その間抜けこそ、最強の騎士であり、かなりオツムが残念なムテキンでした。


 あまりにもアホ過ぎる姿に極めて正当な突っ込みをするリルムでしたが、


「やはり訓練ではなく助けが必要な状況だったようだな」


「確認しなくても見れば解るじゃん!」


 ムテキンに大真面目にボケ返されてしまい、先ほどまでとは別の意味で涙目になります。


 ですが、お気楽漫才シーンを続ける訳にもいきません。


「……テメエ馬鹿だろ」


 何故なら、危機は全く去っていないのですから。


「いいか、そこから一歩でも近付いたり誰か呼ぼうとしてみろ? この女騎士の身体に一生消えない傷が残るぜ?」


 賊が低い声を出してムテキンに指示を出します。


 いくら相手が最強と名高い騎士とはいえ、人質を取った上に阿呆という状況です。


 賊は焦る事無く体重でリルムを押さえ付けると、空いた手で短剣を取り出しました。


「う、くぅっ……」


 腕などで押さえ付けられていた時と違い、腹に直接重みが掛かってリルムが苦しげにうめき声を上げます。


「助けて……」


 痛みで何も考えられなくなる中、ムテキンに心の中だけでも助けを求めます。


「確認するが、近付かなければいいのだな?」


 この場に居る誰も気付きませんでしたが、風もないのにムテキンの髪が揺れました。


「ああ、そうだ。もし少しでも近付く兆しが見えたら命まで奪う気はねえが、こっちの女騎士には相応の対応をさせてもらう。いくらアンタが馬鹿でも、この意味は解るよな?」


 賊が短剣をリルムの頬に近付けつつ、ムテキンを睨み付けます。


「ムンッ!」


 ですが、ムテキンはそんな事お構い無しと言わんばかりに短く鋭い声を発しました。


 するとどうでしょう。


 リルムの上に跨っていた賊が、何の兆しも見せず豪快に吹っ飛んでいきました。


 勿論ですが、ムテキンは一歩も動いていません。


「い、今の何? 真空波とか衝撃波?」


 ムテキンの方を見ていたリルムでしたが、何が起きたかサッパリ解りませんでした。


 有り得ないと思いつつも、目で追えない速度で腕を動かして、風圧か何かで相手を吹き飛ばしたんじゃないかと想像します。


「真空波など飛ばさなくても、気合で相手を吹き飛ばすくらい造作も無い事です」


 しかし、現実はリルムの予想を超えていたようです。


 腕どころか指先一つ動かさずにムテキンは相手を倒していたのです。


「う、嘘でしょ? いくら強いからってそんな事出来る訳……」


「事実、そこの男は倒れていますが……」


 どうもムテキンの強さのレベルは、リルムと次元そのものが違うのでしょう。


「それでは私はこの男を入牢させた後、本来の任務へ戻らせて頂きます」


 当たり前の事実を話すような口調でムテキンは言葉を繋ぐと、気絶して白目を向いている賊を背負ってこの場から離れていきます。


 倒れているせいか。


 やたらと大きく見える背中が見えなくなるまで、リルムはじっと見詰め続けていました。


「お礼、言い忘れちゃった……」


 驚きの連続に立ち上がる事すら忘れていたリルムは、倒れたままの姿でポツンと消えてしまいそうな小さな声で呟きます。


 その小さな呟きに反して、妙にうるさく響く心臓の音を感じながら。


 


  ○   ○


 


 余談となりますが、捕まった賊は取調官にこう言ったそうです。


「違う、誤解だ! 俺は下着を取りたかっただけでそれ以上の事をする気はねえ! パンツとブラが取りたかっただけなんだ!」


 事実、その証言を裏付けるかのように賊の部屋からは女性物の下着が多く見付かりましたが、罪は全く軽くはならず、多額の罰金と志願者女性達による百叩き――主に勇ましい妊婦な未亡人の鞭――でようやく釈放されたそうです。

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