第21話 初恋は阿呆男でした
さて、それから一週間が経過した訳なのですが――
「む・か・つ・くーーーー! 何あの脳みそ筋肉馬鹿!」
リルムは城内にある自分の部屋で怒りを隠さない叫びを上げていました。
叩き付けるように振り下ろされた拳に、テーブルがガタガタと揺れ、机の上に載せられていたティーカップから紅茶が少し零れます。
「リルム。少しは言葉を選びなさいな。貴女の恩人なのでしょう?」
あまりの大声と恩人に対しての無礼な発言に、テーブルを挟んでリルムの対面に座っていたメアリーは顔をしかめます。
「大事な恩人だよ。だからボク、何かちゃんとしたお礼をしようって思ったんだよ?」
メアリーの言葉に少しだけ冷静になれたのでしょう。
リルムは零れてしまった紅茶を見て申し訳なさそうな表情をして事情を説明すると――
「それなのに『警備の邪魔になるので話し掛けないで下さい』だの『貴女から何か貰う義理などありません』だの、何だよ、あの脳筋……」
拗ねたようにリルムは吐き捨てます。
ちなみに脳筋とは脳みそまで筋肉という意味の侮蔑的な言葉です。
「へえ、そうなの……」
メアリーがリルムの態度に少し口元を緩ませつつ、紅茶を口にしました。
いつも剣の事しか話さない妹が、男の事で騒ぎ立てている姿が、何だか微笑ましかったからです。
「それでも危険なところ助けてもらった訳だしさ。何かお礼したかったけど物は受け取ってくれそうになかったから、次の休みに食事でも行かないかって言ったんだよ」
「食事に誘った、ね」
「そうしたらなんて言ったと思う? 『そんな事をしている暇があったら騎士として剣を磨くか、城の警備でもしてはどうです?』だよ? 酷過ぎるよ。生まれて始めて男の人を食事に誘ったのにさ……」
最初の勢いもどこへやら。
リルムは、しょんぼりと項垂れてしまいました。
「真面目な方、というには少々度が過ぎる気がしますね……」
そんなリルムの姿に今までの微笑ましそうな表情から一転。
まるで苦い物でも飲んだかのようにメアリーは渋い顔をすると、飲んでいた紅茶をテーブルに置いて慰めようとするものの、良い言葉が浮かばず事実の確認しか出来ません。
「うん……。いいヤツって思ったボクが馬鹿みたい……」
「……リルムの中でムテキン様はもう、悪い人になってしまったの?」
暗い表情を見せるリルムに思わずメアリーは尋ねました。
メアリーは気付いていたからです。
数日前、リルムがコソコソと舞踏会の時に着ていたドレスを引っ張り出していた事を。
そして紛れもなく、これがリルムの初恋なのだと。
「いや、良い人なんだよ? 助けてくれたのに恩着せがましくしないし、誰も見てないのに警備だってサボらず真面目にやってるし、おかしいくらい強い癖に全然威張ってもないしさ。ボクに対する扱いにはムカついてるけど、騎士としても人間としても尊敬してる。助けてくれた事だって凄く、本当に凄く感謝してる……」
必死でリリルムは言葉を並べ立て、ムテキンへの想いを語ります。
そこにあるのはムテキンへの温かくも大きな気持ち。
「……でもさ。少しくらいはボクの話聞いてくれたっていいじゃん。そんなにボクの事嫌いなのかな?」
そして、同じくらい大きな寂しさに似た何かでした。
「それはムテキン様本人に聞いてみない事には解りませんが、嫌われるような事をした覚えがあるのですか?」
本人ですら。
いえ、本人だからこそ持て余してしまう大きな気持ちを自分の言葉で迷わしてしまわないよう、あえてメアリーは慰めようともせず尋ね返します。
「騎士なのに侵入者一人捕らえられないどころか逆に捕まるし、チビな癖に胸ばっか大きくてバランス悪いし、筋肉ばっかで全然女の子っぽくないし、嫌われててもおかしく――」
ですが、一週間も無視に近い扱いを受け続けたリルムの心は既にボロボロだったらしく、もはや被害妄想にすら達していそうなネガティブ発言を連発し始めたのですが――
「何を言ってるの! 出る場所は出てて引き締まっている場所は引き締まったナイスバディ。おまけに小柄でプリティーな貴方を可愛いと思わない男の方がどうかしているわ!」
一体、どこから聞いていてどこから現れたのでしょう?
凄まじい叫び声と共に鼻息を荒くしたミュリエルが登場し、リルムのネガティブ発言を遮りました。
「お、お母様? 身体の方は大丈夫ですか?」
突然の登場と予想外のハイテンションにメアリーの口から心配の声が漏れます。
別に高血圧を心配されるほど、ミュリエルは年ではありません。
ですが、何とミュリエルは妊娠していたのです。
――相手などは長女アデラレーゼ編から何となく察して下されば幸いです。
「それで、どこの目が腐った男なのかしら。リルムにこんな顔させている不届き者は……」
興奮し過ぎているからでしょう。
ミュリエルは愛娘であるメアリーの心配の言葉など聞こえていないらしく、今からでも相手をブチのめしに行くとでも言いたそうな雰囲気です。
赤い鞭がビシバシと予行練習でもするかのように床を鳴らしました。
「その、お母様? 不届き者というよりは底抜けに鈍い方というか……。リルムの事を救って下さったムテキン様なので、恩人相手に鞭はちょっと……」
「うん。ボクの事助けてくれた人だから絶対に酷い事しないで」
妊娠してからというのも、滅多な事では鞭を抜かなくなったミュリエルが言葉だけで止まってくれるとは思っていません。
それでも止めようとリルムは強めにお願いします。
「……あの子、ね」
意外にもミュリエルは大人しく鞭を収めると、悩むように瞳を閉じます。
それは静かでありながら、どこか悲しげな表情でした。
冷たさすら感じさせる静謐な美貌に、実の娘でありながら二人は息を飲みます。
「リルム。貴女は異性としてムテキンの事が好きなのかしら?」
目を開いたミュリエルは静かに問い掛けます。
何かを押し殺しているような、静かで色のない声。
「え、それはその……」
突然の言葉でありながら、誤魔化しや建前で話していいような軽い雰囲気でなかったのでリルムは言葉に詰まります。
(ボクは、本当はどう思っているんだろう……)
悩んだのは数秒。
「ボクは――」
「ここで無理に答えてしまわなくていいわ。誰かの目を気にせず、取り繕わず、自分の気持ちに正直になって自分なりの答えを出しなさい」
ミュリエルは有無を言わさない口調でリルムが答えるのを止めます。
「本気でないのなら助けてもらったという感謝の気持ち以外は全て忘れなさい。もし、考えた上で本気で好きなのなら――」
そこでミュリエルは言い淀みました。
数回、口を開いたり閉じたりするだけで何か言いたそうにするも声に出しません。
「エロイゼ大臣にムテキンの事を尋ねなさい。私から言えるのはそれだけよ」
そして、まるで言いたかった言葉とは別の言葉でも発したような苦い表情で、一瞬リルムを見詰めたかと思うと返事も待たずに部屋を出て行きました。
現れるのも突然なら、去るのも突然。
嵐のように慌しいミュリエルに、リルムは暫く唖然としていましたが、
「ねえ、メアリー姉様? その自殺したくなるような名前の大臣って誰?」
ミュリエルが残していった言葉の中で、もっとも気になった単語を口にします。
――まあ、どうしてもギャグにしか聞こえない名前ですし。
「エロイゼ・セクハラーノ。舞踏会の日にお母様にベタベタしていた人よ、リルム。正直に言わせてもらえば、姉としては近寄って欲しくない人ですわね」
ですが、どうやら実在する人物の名前のようでした。
というよりも、それほど面識こそありませんが一応はリルムも知っている相手です。
「ああ、あの変態大臣。そんな名前だったんだ……」
名前通りの変態と言うか、そんな名前だから変態になったんじゃないかとか。
相変わらず好きにはなれそうにはありませんが、ちょっとエロイゼ大臣に同情を覚えずには居られないリルムなのでした。
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