第6話 酷い名前のエロイゼ大臣

 舞踏会とは名ばかりで、ほとんど食事会になった舞踏会場。


「さすがに王国自ら開催したとあって大盛況だな」


「そうですわね、大臣」


 そこでミュリエルとエロイゼ大臣が向かい合って、話をしていました。


「ところでヴァルキリー将軍」


 他愛無い世間話を打ち切るように、エロイゼ大臣はミュリエルの異名を口にします。


 今は未亡人のミュリエルですが、将軍として戦場に出ていた頃。


 鞭を豪快に振り回し、たくさんの敵兵を殺さず捕虜にしまくっただけでなく、特殊な趣味に目覚めさせて寝返らせた事から、倒れた戦士をヴァルハラへと誘う戦女神にあやかり、ヴァルキリー将軍などと呼ばれていたのです。


「今はミュスカデ家に嫁いだ、ただの女でしかありませんわ、大臣」


 ですが、それも戦場を駆け抜けていた過去の日の事。


 今は三人の子を持つ未亡人、ミュリエル・ミュスカデでしかありません。


「それは失礼した。にしても折角、魅力的なドレスを着ているのに、その鞭は無粋というものだろう? どれ、私が預か――」


 エロイゼ大臣が鼻の下を伸ばしながらミュリエルの腰の鞭、というよりお尻に向けて手を伸ばしたその時でした。


 ピシャリ、という何か大きな音が響き、大臣は慌てて手を引っ込めます。


「もしそれに触れたら余生を病院のベッドの上で過ごしてもらいますわよ、お偉い大臣様?」


 いつの間に抜き放ったのか。


 ミュリエルの手に赤くて大きくなゴツイ鞭が握られていました。


 さきほどの音は、この鞭が地面を叩いた音だったのです。


「……失礼。そちの所には娘が三人居た筈じゃが、もう一人は如何した? もし無理やり家事でもやらせて留守番させているようなら、いくらヴァルキリー将軍と言えども――」


「その、娘は……」


「子どもは国の宝。良い国が良い大人を作り、良い大人が良い親になる、良い親が良い子を育て、そして良い子が良い大人になり国を作っていく。虐待でもしてようものなら、私の手で撫で回すように罰を与えねばなるまい。フヒヒッ」


 大臣が自分の手を開いたり閉じたり、ワキワキと卑猥な雰囲気で動かします。


 この大臣。


 セクハラしたいのか、仕事したいのか、よく解りません。


「その、娘も今夜の舞踏会は楽しみにしていたのですが、体調を崩してしまいまして……。私事で誠に勝手ですが、今日は早めに帰らせて頂けないでしょうか?」


 歯切れの悪い言葉でミュリエルはエロイゼ大臣に答えます。


 国に仕えていた身としては、いくら相手が変態大臣であっても嘘を吐くのが後ろめたかったからかもしれません。


 しかし、だからと言って口が裂けても本当の事なんて言えません。


 王国主催の舞踏会に王家から直々に招待状を受け取ったにも関わらず、大した事情も無いのにボイコットしましたなんて事は。


「むう、それは心配だろう。後で城の者に薬と見舞いの品を持ってくるように通達しておこう」


「ありがとうございます」


 深々とミュリエルは頭を下げました。


 感謝の念も大いにありましたが、それ以上に申し訳なくて顔を上げていられなかったのです。


「家に残した娘の事は心配かもしれんが、大いに楽しんでくれ」


「ええ、そうさせて頂きますわ、大臣」


 ミュリエルは大臣の言葉に答えると、鞭を腰へと差し、早々に大臣から離れます。


 大臣も他に用事がないのか、王子の座る玉座の傍へと戻っていきました。


「大丈夫、お母様? エッチな事されてない?」


「……わたくし、あの方はどうしても好きになれませんわ」


 大臣から十分に離れた事を確認したところで、心配そうにミュリエルを眺めていたリルムとメアリーが小走りで駆け寄ってきました。


「大丈夫だからそんな顔しないで頂戴、二人とも。それと気持ちは解るけどね、メアリー。あの方にも色々あったのよ……」


 なだめるようにミュリエルは二人の頭を撫でると、少し遠い目をします。


「色々ってそんなに何かあったの、お母様?」


「昔は真面目な方だったんだけど、退屈だとか刺激が足りないって理由で妻だった方に浮気されたらしいの。挙句に離婚時には手切れ金と慰謝料で財産のほとんどを奪われてしまって、それからあんな風になってしまったみたいでね……」


 女性として何か思う事でもあるのか。


 それとも他に何か事情でもあるのか。


 ミュリエルの声は何だかちょっと暗い上に力がありません。


「うわー……。それはボクでもグレそう」


「相手の方の浮気が原因だったのでしょう? どうしてそんな事に……」


「……数年前、戦争で先代の王が亡くなる前は戦の方が忙しくてね。国内の法を整備している余裕がなかったのよ。今の王子様が政治に関わるようになってから、色々と変わったけどね」


 大臣のセクハラにも敬語を崩さないようなミュリエルが、亡くなっているとはいえ王に様という敬称を付けなかった事にメアリーもリルムも気付きませんでした。


「……それでも。どんな理由があろうとレディにあのような破廉恥な発言、許せるものではないです。ただの八つ当たりではないですか」


 何とも言えない顔で黙り込んだリルムと違い、メアリーは再び表情を引き締めると大臣を睨み付けます。


 それでもどこか辛そうな顔なのは、やはり大臣に同情しているからでしょう。


「そうね。どんな理由があるにせよ悪い事は悪い事だし、誰かに迷惑を掛けていいって事にも、何しても許されるって事にもならないわね」


 言いながらミュリエルがメアリーの頭を撫でた時です。


 突然、城内にどよめきが沸き起こりました。


 何事かと思い、ミュリエル達は騒ぎの方へと顔を向けます。


 そこでミュリエル達は見たのです。


「凄く美しい方ですね」


「スラってしててドレスよく似合ってるなあ……。背がちっちゃいのに胸ばっかり大きいボクとは大違い……」


 筋肉の塊のような男に連れられ、とても美しい女性が舞台の方に向かっていくのを。


「ええ、そうね。本当に綺麗だわ……」


 うっとりと、それでいてどこか寂しげに囁いてミュリエルは目を細めます。


 それは複雑な感情が入り混じっているのに、不思議と嬉しげな表情でありました。


「お母様、どうしたの?」


「何でもないわ。それに、貴方は貴方で可愛らしいから気にしないでいいのよ、リルム」


 そしてリルムに声を掛けられ、思い出したかのように頭を撫でます。


(いつもは貴方達の方が何倍も綺麗よって言うのに、どうしたのかしら?)


 いつも親馬鹿のミュリエルにしては珍しい反応に、首を傾げるメアリーです。

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