第2話 屋根裏住みのアデラレーゼ

「こんな所までしっかり掃除して、本当、あの子には頭が上がらないわ……」


 屋根裏へと辿り着いたミュリエルは、自分のドレスに埃一つ付かなかった事に感心を通り越して苦笑を浮かべました。


 そして、一つ深呼吸した後に屋根裏部屋の扉を叩きます。


「あら、誰かしら?」


 コンコンというノックの音に帰ってきたのはミュリエルの予想に反して明るく、ハキハキとした声でした。


 夫が生きていた時から久しく聞いてなかった愛娘の明るげな声に、ミュリエルは嬉しさで顔を綻ばせます。


「私よ、アデラレーゼ。今日の舞踏会、本当に行かなくていいのかしら?」


「ええ。申し訳無いとは思いますが、どうしても行きたくないです。私みたいな女に舞踏会なんて似合わ――」


「アデラレーゼ!」


 急に後ろ向きな発言を始めたアデラレーゼの言葉を遮るように、ミュリエルの大きな声が響きました。


「血は繋がって無くてもあなたは私の自慢の娘よ。そんな風に自分を卑下しないで頂戴」


「……ごめんなさい」


「いえ、いきなり怒鳴ってしまって悪かったわね。いい、留守を任せるからと言って何かあったら迷わず逃げるのよ。この家も財産も何もかも大事ではあるけど、あなたは比べられないくらい大事なんだから」


「はい、解りました」


「それじゃあ行ってくるわ。お土産買ってくるけど欲しい物とかある?」


「いえ、特には……」


「そう、それじゃあ行ってくるわ」


 アデラレーゼの言葉にミュリエルは寂しげな表情を浮かべ扉を見詰めます。


 ミュリエルは解ってしまったのです。


 ノックをした時、まだアデラレーゼの声は明るかった。


 その明るさがなくなったのは、自分が声を掛けたと解った時だという事を。


「やっぱり私、嫌われているのかしらね」


 寂しげにミュリエルは呟きました。


 


   ○   ○


 


 ミュリエル達がお城に向かってすぐの事でした。


 屋敷の中から一人の少女が姿を現しました。


 長い赤髪を一つ結びにした、メイド服を着た長身の少女です。


 ですが服装的は箒でも持ってそうなものですが握っているのが剣な辺り、どうも服はただの趣味のようでした。


「買い物以外で外に出るのは久しぶりね……」


 一言、誰に言うでもなく呟くと彼女は黙々と剣を振り始めます。


 この少女こそアデラレーゼ。


 ミュリエルの義理の娘であり、メアリーとリルムの義理の姉です。


「部屋の中と違って壁にぶつかる心配がなくていいわ」


 剣を振るうアデラレーゼですが、相当な鍛錬を日頃から積んでいるのでしょう。


 その剣捌きは見事な物であり、並の騎士では太刀打ち出来そうにないくらい鋭いものでした。


 それもある意味では、当たり前なのかもしれません。


「まだまだお父様の動きには遠いわね……」


 彼女に剣を教えたのは今は亡き父であり、元騎士団長でもあった男なのです。


(お父様……)


 剣を振りながらアデラレーゼが思い出すのは、今となって遠い昔の日々。


(あの頃はお仕事ばかりで滅多に会えなかったわ)


 まだ父も母も生きていた頃。


 仕事が忙しくて父は滅多に家には居なかった。


(寂しくなかったって言えば嘘になるけど……)


 それでも騎士団長として活躍している父の事は誇りだった。


 強くて優しくて、たくさんの人から尊敬されている父がアデラレーゼは大好きだった。


(でも、お母様が死んでお父様は騎士を辞めしまった……)


 後を任せられる人が居るし、仕事ばかりしてたからそろそろ静かに暮らしていきたい。


 そんな事を父は言っていた。


 きっとそれ自体は本当だろう。


 でも、それだけじゃないのはアデラレーゼにだって解った。


(お母様が居なくなって私が一人で家に居る事になるのが心配だったのよね……)


 その優しさは嬉しかった。一緒に居るのがアデラレーゼには楽しくて仕方なかった。


 騎士としてずっと生きてきた父は家事なんてまるで出来なくて家の事は全部アデラレーゼがしていたが、それでも本当に楽しかったのだ。


(けれど、お父様はミュリエルさんと再婚した)


 家事に明け暮れるアデラレーゼの事を心配したのかもしれない。


 あるいは子育てに母親は必要なのだと思ったのかもしれない。


 どちらにせよ、理由の一つに自分の事があるのだろうとアデラレーゼは思った。


(ミュリエルさんの事は好き……)


 父とは違う部隊だったがミュリエルも城に勤める騎士であり、稀代の女将軍でした。


 だから武芸的な意味での強さは勿論兼ね備えてましたが、それ以上にアデラレーゼが惹かれたのは人としての心の強さの方でした。


 時に優しく時に厳しい。


 甘やかしたりするだけでなく、自分達が間違えたり危険な事をしようとしたら、怒ってでも止めてくれる。


 悲しい時には傍に居てくれるし、嬉しい事があった時には自分の事のように一緒に喜んでくれる。


「(家事が全く出来ないのは驚かされたけどね)」


 料理をすれば謎の蠢く液体を作るし、掃除で壁に穴を開けた事もある。


 街に野菜を買いに行った筈なのにマンドラゴラを買ってきた事もあった。


「(どうしてかミュリエルさんが買いに行った時に限って、変な物仕入れてるみたいなのよね……)」


 でも、だからどうしたのかという話なのだ。


 その程度の事で嫌いになんてならないくらい、アデラレーゼにとってミュリエルは人としても母親としても魅力的だ。


 むしろそのくらい欠点があった方が可愛らしくて身近に感じられ、もっともっと好きになったくらいだ。


「(胸も大きいしね……)」


 完全無欠に真っ平なアデラレーゼと違って。


(あの頃は楽しかったな……)


 大好きな父、憧れるほど素敵なミュリエル。リルムとメアリーの二人の姉妹とも話があって楽しかった。


 時々実の母の事を思い出して寂しくなる事はあったけれど――


 それでも、その頃のアデラレーゼの世界は幸福に満ち溢れていた。


 ただ、それも過去の話。


(お父様……)


 彼女の父はもうこの世に居ないのです。


 他国との戦争でした。


 いくら騎士を辞めたとはいえ、緊急事態なら呼び出しも受けるでしょう。


 そしてそれが戦争ならば、帰って来れる保障なんてありません。


(私なんかの為に騎士を辞めて勘が鈍ったから……)


 けれどアデラレーゼは割り切れませんでした。


 自分の為に騎士を辞め、長く現場から離れていたから死んでしまった。


 ずっと騎士を続けていたなら死ななかった。


 そうとしか思えなかったのです。


(私が心配されないくらい強くなかったせいで、皆不幸にしてしまう……)


 強い大人になりたかった。


 誰かに迷惑を掛けず一人で生きていける、そんな大人になりたかった。


 そんな想いが、アデラレーゼを家事に打ち込ませ、剣を振らせているのでした。


(お父様、少しくらい私は強くなれてるのかしら?)


 剣を振る中、アデラレーゼが心の中で問い掛けた。


 その時です。


「舞踏会の日じゃと言うのに、お主は一体何をしておる?」


 アデラレーゼに話し掛ける野太い男の声がありました。

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