第28話 恋する乙女は強くて怖い

「元に戻したり知恵全部とかじゃなくて、せめて普通の人並みだけ知恵を戻すんならどれくらいの代償を払えばいいの? それなら、誰かを恨むほどの代償は要らないんじゃないかな?」


「んー、そうねえ」


 泉の精は値踏みでもするようにリルムを眺めます。


 遠慮の無い視線でしたが、不思議とリルムは不快に感じませんでした。


「貴女の場合、戦闘能力かしら? 少し重い物を持つだけでもキツクなるくらい筋力が落ちて、いくら鍛錬しても力が戻らなくなる。剣士や騎士としての道は一切絶たれるわ」


「…………」


 リルムは言葉もなく驚く事しか出来ませんでした。


 彼女に取って武術、というより剣の道は人生のほとんどを費やしてきたものです。


 それを全て失うと言われ、おいそれと返答が出来る訳がありません。


「そうね。夜の六時から朝の六時の十二時間だけ、元の賢さに戻るっていうのはどう? それなら一時的に力がなくなるだけで何とか出来ると思うわよ?」


 無言のまま動かないリルムの姿が、泉の精にはあまりに哀れに見えたのか。


 新しい代償を提案してくれますが、


「ほとんど寝てる時間じゃん! 午前六時から午後六時じゃ無理なの?」


 さっきまで固まっていた事なんてなかったかのように、激しくリルムは突っ込みました。


 寝ている時だけマトモに戻られても、嬉しくも何ともないからです。


「あら、そっちがいいの? ベットで可愛がって貰えないわよ?」


「い、いきなりエッチな方向に話を持ってかないでよ!」


 からかうような泉の精の言葉に、真っ赤になってリルムは怒鳴り返しました。


 ちなみに真っ赤になるくらい具体的な事を一瞬で想像しましたが、内容は秘密です。


「純情なのは可愛らしくて好きだけど、よく考えてみてよ? どうせ昼はずっと仕事だし、今の状態でも仕事は問題なく出来ているんでしょ? それだったら仕事じゃない時間に賢くなった方が良いと思わない?」


「う、あ、えっと、その……」


 言葉の意味を考え、そして正確に理解してしまいリルムの頭は混乱しました。


 少ない休みの時の事を考えるよりも、夜だけでもマトモな方がいいんじゃないか、でもデートとかしてみたいし、など色々と乙女として悩む事が多かったからです。


「それで、昼と夜どっちにするの?」


「そ、それは……」


 泉の精に詰め寄られてリルムが後ずさった瞬間、カシャン、という音が響きます。


 それはリルムの剣と鎧が擦れた音でした。


「……」


 その音が響いたのは、ただの偶然だったのかもしれません。


 しかし、リルムには剣と鎧が自分を叱っているように感じました。


(どうしてボクは自分の都合でしか考えられないのかな……)


 リルムはバツの悪そうな表情を浮かべ、自分を恥じました。


 というのも、リルムが剣を始めたのは姉であるアデラレーゼのように誰かを守れる人間になりたかったからである。それなのに、赤の他人どころか好きな相手の事なのに自分の都合でしかものを考えてなくて恥ずかしかったのだ。


(ボクの都合じゃない。少しでもムテキンにとって良い方を選ばないと……)


 リルムは一度目を瞑り、深呼吸して考え込みました。


(昼と夜、どっちがムテキンに取っていいか……)


 数秒の後、開かれた目には何かを決意した強い意志の光が宿っていました。


「……ねえ、ボクの全部を代償にしたら強さはそのままで、知恵だけ全部戻してあげるって事も出来るかな?」


「全部? そんな言葉を軽はずみに言うのは止めなさい。それって命も含めて全部って意味にしか聞こえないわよ」


「うん、命も含めて全部。ボクからなら、何を奪ってもいいって言っているつもり」


「本気?」


「うん、本気」


 信じられないという表情で尋ね返してきた泉の精に、リルムは迷い無く頷き返します。


「貴女がどれだけあの子の事を好きなのかは解らない。同じ女として、命懸けの恋愛ってモノを否定する気もないわ」


 そこで泉の精は言葉を区切ると、侮蔑の感情を隠さない目でリルムを見ました。


「でもね、貴女のは恋や愛なんてものじゃない。ただの憧れ。助けてもらった印象を自分の恋心と勘違いしただけの想い。しかも悲劇のヒロイン気取りの自己犠牲。そんなものに力を貸してやる気に私はなれないわ」


 吐き捨てるようにリルムに向かって断りの言葉を放った泉の精でしたが――


「ううん、ボクは恋に命は懸けられないよ」


 リルムは気負う事無い軽い静かな声で、泉の精の言葉を否定しました。


 そして、胸に手を当て宣誓でもするように語ります。


「ボクさ、ムテキンに命と同じくらい大事なモノを守ってもらったんだ」


 それは女の子として大切なモノ。


 一生を添い遂げる相手とまでは言わなくても、せめて好きな相手にと思っている形のあるようなないようなもの。


 そして、女として男を信じる気持ちと誰かに恋する気持ち。


 それは騎士として大事なモノ。


 少しばかり強くなったからと言って、驕っていた自分の心。


 そして、姉の為に始めた最初の気持ち。


 それは人として大切なモノ。


 もしかしたら痛みや恨みで歪んでしまっていたかもしれない心。


 そして、人間として誰かを信じて誰かを想う気持ち。


「だからさ、今度はボクがムテキンの大事なモノを取り戻してあげたい。女の子として好きな人に何かしたいっていうのもあるけど、騎士として借りは返したいんだ」


「……さっきの話を忘れたの? 貴女を助けたのはあの子の意志じゃない。私の魔法の影響で義務のように貴女を守っただけなのよ。わざわざ感謝するような事じゃないわ」


「ううん。意志とか義務とかは関係ないよ。ボクがムテキンに助けてもらった、大事なモノを守ってもらえた。それだけがボクにとっての事実だからさ。今度はボクが何かしてあげたいんだ。好きになってもらいたいとは思うけど、それとはまた別問題で恩を返したい。ボクもムテキンを助けたい。それじゃ駄目かな?」


 必死に頼み込む訳でもなく、ただ静かにリルムは自分の気持ちを語ります。


 それは下手に頼まれるより何倍も断り難い真っ直ぐな想いでした。


「……あの子は恩を返される事なんてきっと望まない。感謝するどころか悲しむだけよ。自分のせいで貴女が犠牲になったって泣いて、一生後悔するわ」


 だから泉の精はリルムの方から折れてくれてはくれないか、と遠回しに無駄なお節介だと告げます。


「うん。それでいいよ。ボクだって頼んでもないのに勝手に助けられたからね。だからボクも勝手に助ける、勝手に押し付ける。借りは返さないとね」


 しかし、それでもリルムの気持ちは全く変わりません。


 無駄なお節介と解っていて、ムテキンに押し付けようというのです。


「それにさ、ボクの事思って泣いたりしてくれるならちょっと嬉しいかなって思うしね。一生、ボクを忘れないってのもそれならそれで、その……」


 もじもじと尻すぼみに話すと、リルムは顔を赤くして俯きます。


 その姿は、どこかアデラレーゼが王子の事を語り照れている姿に似ていました。


「怖い女ね、貴女って」


 言葉とは裏腹に、泉の精は柔らかい目でリルムを見詰めます。


 どこか羨ましげでありながら、同時に、どこか悲しそうな哀れむ瞳で。


「うん。ミュスカデ家の女は恋すると強くて怖くなるんだ」


 そんな視線など意にも介さず、リルムは明るく笑い返しました。


 今のリルムには何となくだけど解る気がするのだ。


 アデラレーゼやミュリエルが好きな人の為に、何かをしてあげたかっという気持ちが。


 きっとそれは自分を押し殺した犠牲とか、そんな薄っぺらなものじゃない。


 好きとか憧れとかの先にある、誰かの事を心から想う愛っていう名の気持ちなんだと。


「……負けたわ。それじゃあ、貴女の願いを叶えてあげる」


 諦めたように息を吐くと、泉の精はリルムに近付き手をかざしました。


「代償は貴方が剣に費やした鍛錬、そして今後の貴女の騎士としての将来。それと真実を知る義務」


「真実?」


「……その真実を知った時、きっと貴女があの子に抱いている気持ちは消えるわ」


 きょとん、とリルムは首を傾げて考え込みました。


 いきなり真実だの何だのと言われても、心当たりがまるでなかったからです。


「これは同じ女として、貴女の事が好きになったから特別に助言」


「え? 精霊さんは確かに綺麗だけどボクそういう趣味は……」


「茶化さないの。本気で襲われたい?」


「ヤ、ヤダよ! 初めては好きな人がいい!」


 慌てた感じでリルムは胸元を手で覆います。


「……イチイチ可愛いわね」


 そう呟くと泉の精はコホンと咳払いし、真面目な顔をしました。


「貴女にはこれから大きい試練が待ち受けている。それは泣くほど苦しくて、全てを投げ出したくなるくらい大きな事。その原因である私を貴女は恨むと思う」


「無理やり頼み込んだのはボクの方だよ? これで死ぬ事になっても恨まないよ」


「……ごめんなさい。貴女と会えた事は嬉しかったけど、出来る事なら会いたくはなかったわ」


「精霊さん?」


 悲しげな声にリルムは問い掛けましたが、泉の精は無言で腕をリルムの顔の方へと伸ばしてきます。


 トン、という軽い感じで泉の精の指がリルムの額に触れた途端――


 何か大きなものが額から流れてくるような感覚がリルムを襲いました。


「貴女の騎士としての道を代償に。あの子の知恵を元に」


 そして、急激に何かが抜けていくような感覚と共に、リルムの意識が薄れていきます。


「願わくは貴女に幸せが訪れますように」


 薄れいく意識の中で、リルムは最後にそんな言葉を聞いた気がした。

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