第42話 フォックスの父リカルド

(な、何ですの?)


 おそらく、急に発生した激しい寒気を伴う何かが原因でしょう。


「やってみろ」


 リカルドが短く声を発したと同時に、寒気は鋭さを増していきます。まるで首筋に包丁でも突き付けられているような、鋭利で危うさを感じさせる寒気が。


 武術に疎いメアリーには、その寒気の名が殺気と呼ばれるモノである事も、リカルドから放出されている事も解らず、ただ怯えるように身体を震わせました。


「ただ今度この子にお前が危害を加えようとするなら、その前に死ぬと思え」


「……殺すというのは言い過ぎでした。何の罪もない相手を殺してまで守るくらいなら、確かにバレてしまった方がマシなのかもしれません」


 強くなっていくリカルドの殺気に怯んだのか。それとも本当に言い過ぎだったと考え直したのか。


 怒鳴っていた男は語調を緩め、物騒な発言を引っ込めます。


「けれど、今更真実を明らかにしてどうなるんです? 真実なんて知らずとも国は正常に回っています。余計な混乱を招くだけで、誰も得なんてしません。このまま隠し通せるのなら、絶対に隠すべきでしょう?」


 それでも、過去を隠し通さなければならないという思いだけは譲れないようでした。


 物騒な発言がなくなっただけで、主張は全く変わりません。


「安心しろ。おおやけに漏れるのは俺としても本意ではない。俺達の罪を明らかにするなら、然るべき場所、然るべき時、然るべき相手が揃った時だけだ」


「俺達の罪? 隠さなければならない過去というのは、消えてしまった騎士団と関係ある事なのでしょうか」


 殺気が消え、冷静になり始めたメアリーに気になる単語が飛び込んできました。


 てっきり過去とは義父殺しに関わる何かであり、リカルド本人に関わる事だと思っていたからです。


「それが騎士だった俺に残された唯一つの贖罪だろうし、ここまで生かされてきた俺の役目だろうからな……」


「……解りました。我らの団長が言うんです。もう二度と手は出しません。どんな結末が待っているにせよ、貴方を信じて待ちましょう」


 更に新しい情報を得ようと耳を澄ますメアリーの予想を裏切り、何も得られないまま会話が終わるかに思えました。


「目を瞑るには犠牲は大きかった。どれだけ正当化しようとしても、私達がしたのは騎士にはあるまじき行為であり、卑劣な暗殺であった事には変わりません。それでも――」


 しかし、いきなり放たれた男の言葉に、目隠しの下でメアリーは目を丸くします。


(私達? 暗殺? 義父を殺したのは、ムテキン様かリカルドではなかったのですか?)


 ミュリエルもクイナも、二人以外には殺せない状況だと言っていた。


 その容疑者の一人であるムテキン本人は、自分自身が殺したとまで言っている。


 そんな状況すら、騎士団全員で仕組んで作り出したものだったのだろうか?


「私達は誰一人、団長が間違っていたなんて思っていません。今でも私達は貴方の部下であった事を誇りに思っていますし、もしあの時に戻れたとしても、同じ道を歩むでしょう」


 悩むメアリーの耳に届いた男の声は、迷いを感じさせない清々しいものであり、とても嫉妬やら出世の為に殺した人間が発する声とは思えませんでした。


 少なくとも自分達が正しかったと思えるだけの何かがあった、という事なのでしょう。


(義父は、義父は一体何をしたんですの?)


 メアリーは、そこで可能性すら考えてすらいなかったある事に気付きました。


 政治的な要因でもなく、事故でもなく――


 そもそも義父が殺されなければならないほどの悪事に手を染めていた可能性です。


 騎士団が揃って討伐するほどの大きな悪事に。


(歴代最高の騎士団長とまで言われていた義父が?)


 馬鹿なと思うも否定はしきれませんでした。


 義父の全てを知っている訳ではないですし、自分が見ていたのは綺麗な部分だけだったのかもしれない。


 ――だって、一緒に暮らしていたのに変態的な趣味の一つも知らなかったのですから。


「……この子が目を覚ます前に早く行け。脅迫も何もしていない今なら、事を荒立てずに済むだろう」


「はい、申し訳ありませんでした」


 本当に申し訳無さそうに答えて、足音を殺す事もせずに男は立ち去っていきました。


「随分と、部下にお優しいですのね」


 男が居なくなっただろう頃合いを見計らって、メアリーはリカルドに声を掛けます。


「すまないな。こんな目に遭わせてしまって……」


 皮肉にしか聞こえない馬鹿丁寧な言葉でしたが、リカルドは気にしていないようでした。


 部下だろう男と話していた時とはまるで違う柔らかい声で答えたかと思うと、おそらくリカルドのものだろう手は、どこか不器用な動きでメアリーの縄を外し始めました。


「わざわざ外さなくても、切るなり引き千切るなりしてはどうですの?」


 もたもたと縄を外す動きは、メアリーが痛くないように気を遣ってくれているからだというのは、見えていなくても解りましたが、別に箱入りのお姫様でもないのにそこまで丁寧に扱われる謂れはありません。


 それ以前に、自分の義父を殺したかもしれない相手とあっては、口調が刺々しくなるのも仕方がないと言えました。


「これ以上、痛い目に合わせたくはない。俺みたいな男に触れられているのが不快なのは解るが、もう少しだけ我慢してくれ」


 メアリーの敵意なんて気にもせず、リカルドは馬鹿丁寧にも思えるゆっくりとした動きで縄を外していきます。


(……確かに親子ですわね)


 そのリカルドの反応は、フォックスと初めて会った時の事を思い出させるものでした。


 自分がどれだけ敵意や悪意を向けようとも、自分が悪い部分は悪いと自覚し、その件に関しては申し訳なさそうにしていた部分も、それ以外には人の言う事を聞こうとしない部分も、何もかも覚えが有り過ぎます。

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