第40話 思い込みは事実すら捻じ曲げて

(そういう事、ですか……)


 メアリーは気付いてしまいました。


 フォックスがクイナの正体に気付かない理由を。


 それはクインとシイナの兄妹が似過ぎている事や、フォックス自身が鈍感と言っていいほど鈍いと言う事もあるでしょう。


 だが、何よりも大きい理由は――


(もう彼の中でシイナさんは死んでしまった人なのですね……)


 最初から、シイナという選択肢が抜けてしまっている事だった。


 シイナにしか見えなかったとまで言っているのに、そのシイナ本人だと思えない。


 シイナは死んでしまったから、もう居る訳がないと無意識の内に決め込んでいる。


(それなのに、いつまでもシイナさんへの愛を貫き続けたいんですのね)


 そんなフォックスが示した愛の形は、心変わりせずクイナを愛し続ける事だった。


 似ている誰かを代わりにしたり、新しい恋を探したり、もしかしたら生きているかもという希望を持ったりもしない。


 死という事実を受け入れ、二度と会えないと解っていようとも変わらない気持ちで愛を示そうとしたのだ。


(意志が強いというか、不器用な人ですわね……)


 少しだけ、ほんの少しだけですが今ならメアリーはフォックスの事を好きになれそうな気がしていました。


(せめて下着泥棒になる前にお会いしたかったですわ)


 もし出会う時期さえ違えば、好きになるかどうかは置いといて、尊敬出来る相手にはなったかもしれないのに。


「女に戻ったら、またフォックスは俺の前から居なくなる。アイツが傍に居ないのは、男として見られている事なんて比べられないくらい辛かった……」


(昨日、ずっと彼の事しか見ていませんでしたものね)


 静かな声で語るクイナではありましたが、メアリーはクイナの想いを確かに感じ取り、そして頭を下げました。


「……事情も知らず色々言ってしまい、申し訳ありません」


 元々、無関係でしかない自分には口を出す権利なんて何もなかったと気付いて。


「気にするな。俺も君の立場だったら、同じ事を言ったかもしれない」


 そんなメアリーにクイナは薄っすらと微笑んだ。


 確かに無関係で何か言われる筋合いはないのかもしれないけれど、それでもメアリーが野次馬根性や押し付けだけでなく、自分の事を思って発言していたと解っているから。


「……いえ、お気遣いなく」


「スマナイ、俺の話が長くなってしまったな。それで本当は何が知りたかったんだ? 俺達の事が知りたかった訳じゃあないのだろう?」


 縮こまった様子で話すメアリーを気遣ったのだろう。


 クイナは少しだけ声の調子を軽くし、話題を振ってくれます。


 メアリーが本当に知りたかった話題を。


「それは、その……」


 無駄にクイナを傷付けてしまった自分に尋ねる権利があるのが、メアリーは迷います。


「貴方が彼に隠しているもう一つの事についてです。性別や素性の件は私が関与していい事でないのは解りました。ですからもう一つ、戦争と義父の件について聞かせて貰えないでしょうか? 何かご存知なのでしょう?」


 ですが、それでも結局は尋ねました。


 どうしても妹であるリルムに元気を取り戻して欲しかったから。


「それは……」


 前のように話を打ち切ろうとせず、ただ言い難そうにクイナは言葉を濁しました。


「貴方はムテキン様以外に義父を殺せそうな人間に心当たりがありそうでしたが、それを話してくれる訳にはいきませんか? 彼には言い難い相手だろうということまでは想像しているのですけれど……」


 クイナが続きを話す切っ掛けにならないかと、メアリーは自分の予想を話します。


「……一つ聞いてもいいか?」


「何でしょう?」


 いきなりの質問に多少の驚きを覚えつつも、メアリーは続きを促します。


「君の妹の幸せと、君が調べている事件。その間にどんな関係がある?」


 クイナの口から出たのは、メアリーの事ではなく妹であるリルムに関わる事でした。


「妹はムテキン様を好いています。それこそ、出来る事ならば一生添い遂げたいと思っているくらいに」


(……勝手に貴方の気持ちを他人に伝えてしまう事を許して、リルム)


 申し訳なさを覚えながらも、リルムの想いを話します。


 ここで話さなければ、事件を解き明かす鍵は手に入らないように思えたからです。


「なるほど。だから女の幸せ、か……」


 クイナは納得したように頷き、何かに想いを馳せるように目を瞑りました。


 別に結婚が女の幸せの全てとまでは言いませんが、それでも心の底から愛する相手と結ばれるのであれば幸せの形の一つと言えるでしょう。


 それは今も昔も変わらずに存在する、結婚を夢見る女性の数が示しています。


「……リカルド・クロスバーンという名前を聞いた事があるか?」


 その幸せが自分には手に入れられないモノだと思っているクイナには何か思う事があったのかもしれません。クイナは重たげに口を開きます。


「どこかで聞き覚えのあるような気はしますけれど、心当たりはありませんわね」


「君の義父が死んだ時や戦争時に騎士団長をしていた方であり、アイツの父君の名前だ。あの人が殺したとは思えないし、俺自身、ムテキンが殺したんだと思っている」


 クイナの言葉を聞いて、メアリーは思い出しました。


「思い出しましたわ。クロスバーンと言えば我がミュスカデ家と並んで騎士の二大名家と呼ばれている有名な家系ではないですか……」


 同時に、どうしてそんな有名人を思い出せなかったのかと悔やみます。


「それでも、ムテキンの他に殺せる可能性や機会があった人間が居るなら、あの人以外には居ないだろうな……」


 懐かしむように話す声色からは、言外に、そんな事は有り得ないという想いがひしひしと伝わってきました。


「少しでも可能性がある限り、私はその可能性を追い求めてみようと思いますわ。どこに行けばリカルド様にお会い出来ますか?」


「……それは、無理だ」


 それでも諦める訳にいかず問い掛けるメアリーの声に、クイナは暗い表情を見せます。


「言い難いのは解ります。少しでいいですから何か――」


 その暗さをかつての上司であり、想い人の父親を売れと言われた事に対する後ろめたさと判断し、ヒントだけでも望んだメアリーにクイナは思いも寄らない言葉を返しました。


「そうじゃない。あの人も、あの戦いのすぐ後に死んでしまったからだ」


 それはメアリーが騎士の二大名家とまで呼ばれていたクロスバーン家を思い出せなかった理由でした。


 当主だったリカルドは死んでおり、家系を継がなければいけない筈の一人息子であるフォックスは行方知れず。


 もう世間的にはクロスバーン家は滅亡した家系として扱われていたのです。


「げ、原因は一体なんですの? 戦争は終わっていたのでしょう?」


 ようやく事件の核心に迫れそうだったのに、ようやく人伝でなく事件に関わる人間に辿り付けそうだったのに。


 その糸が急にプツンと切れ、思わずメアリーは叫んでいました。


「詳しい死因は俺には解らないが戦争の時に受けた傷が原因だと聞いている。だが、ムテキンに殺されたという噂が俺達の中では流れていた」


「俺……達?」


 クイナのその言葉に何か予感めいたものを感じて、メアリーは尋ねます。


「言っていなかったか? 俺達はあの人、リカルド様の部下で騎士だった。まあ、アイツが居なくなった時に身体壊して、戦争にも出られなかったせいで、実際に何があったかまでは俺には解らないんだけどな」


「そ、そんな……」


 クイナの言葉に、メアリーは雷に打たれたような衝撃を覚えて立ち尽くしました。


 何故なら――


 このクイナの話こそ、ある意味ではメアリーが求めていた話とも言えたからです。


 あくまでメアリーは事件の真相を探ろうとしていたのであり、その結果、ムテキンの無実を望んでいたに過ぎません。


 ですが、皮肉にも、唯一手に入れた事件に繋がりそうな話は、ムテキンの容疑をより深く印象付ける事しか出来ませんでした。


 ムテキンこそが義父殺しの犯人であるのは疑いようがない。それこそが揺ぎ無い真実であるとでも言うように。

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