第52話 亡霊を裁くのは亡霊なのか?
「綺麗に話が終わった時に申し訳ねえが、こっちにもこっちで事情があってな……」
フォックスでした。
抜け道を使ったメアリーと違い、厳重な警備を見つからないように潜り抜けてきたらしく、少し疲れた様子が見えます。
「ど、どうして貴方がここに居るんですの?」
メアリーは驚きに思わず訪ねます。
何故なら、侵入を手伝ってもらうか悩んだものの、リルムと鉢合わせて欲しくなかったから、念の為に外で待機していてもらった筈だったからです。
「し、下着ドロの人……」
案の定、リルムは怯えた声を出し、素早くムテキンが背中へとリルムを庇いました。
「あの時の事は済まねえ、騎士の嬢ちゃん。本当なら俺もなるべく顔を合わせないようにするつもりだったんだが、どうしても譲れない用事があってな……」
短い言葉ながら、本当に申し訳なさそうに謝罪の言葉を口にすると、フォックスはリカルドの方へと顔を向けて言いました。
「親父。アンタは言ったよな。メアリーの調査を手伝ったらシイナの死んだ原因を教えてくれるってな」
「依頼主はお母様ではなかったんですの!」
それではリカルドは自らを捕まえさせる為に、フォックスを雇った事になります。
「教えてくれ。シイナは、シイナはどうして死んだんだ! 何で死ぬような羽目になっちまったんだ!」
驚きに声も出ないメアリーを置いて、話が進んでいきます。
「……お前には知らせていなかったが、王は女好きでいつも女を探していた。そして、シイナに目が付けられた」
(そうですわ。そもそも国王以外にシイナさんをどうこう出来る方は居ないんですわ)
メアリーはそこで初めて、その事実に気が付きました。
フォックスやリカルドの家であるクロスバーン家は名家だ。その付き人として育てられたシイナに手出しされるとなれば、リカルドだって止めようとするだろう。
クロスバーン家ほどの名家でも止められない程の権力者でもなければ。
「その時、丁度王の暗殺計画は佳境に入っていた。王の気を逸らせられるなら、それも仕方の無い犠牲だと、私は止めなかった」
「オイ、何だよそれは……。つまり、あれか? シイナは捨て駒だったって言うのか? ただ単に、時間稼ぎの為の生贄でしかなかったって言うのか?」
フォックスの声は、言葉の割りには静かではあった。
だが、隠しきれない怒りが確かに漏れていた。
「……ああ、その通りだ。これに関しては反論のしようがない」
リカルドは言い訳一つせず、フォックスの言葉に頷く。
その罪からも逃げる気はないと言いたげに。
「そうかよ……」
フォックスは静かに呟くと、懐から短剣を取り出した。
いきなり現れたフォックスの行動に周りは誰も動けず、物思いに耽っていたメアリーは、状況の変化に気付くのが遅れた。
「待っ――」
メアリーが口を挟む暇も無く、フォックスはリカルドへと躍りかかり――
「止めなさい! この鈍感馬鹿親子!」
その短剣が血を見せるよりも早く、ミュスカデ三姉妹以外の女性の静止する声が、謁見の間へと響き渡った。
○ ○
「ミュ、ミュリエル様……」
静止の声を上げた女性、ミュリエルを見て最初に声を上げたのはフォックスだった。
メアリーが使った抜け道を通り、ミュリエルが謁見の間へと現れていた。
「全く……。貴方はあの時、私に約束してくれたわよね。罪を償って真っ当に生きてくれるって。もう過去に縛られて、生きたりしないって。未来を見て生きるって」
「……ああ。他の女性が憎しみだけをぶつける中、貴女だけは俺が立ち直る事を願ってくれた。下着ドロで殴られて当然だと思っていた俺を、ただ一人だけ、将来を考えて叱ってくれた。あの時、確かに俺は貴女に約束した」
(……新しい趣味に目覚めたんじゃなかったんですのね)
案外、マトモな理由でミュリエルに懐いていた事を知り、メアリーは少し驚きます。
「貴方にとって未来を見て生きる事は、過去の恨みで父親を殺す事なの?」
「そ、それは……」
フォックスは目に見えて狼狽えました。
下着泥棒こそ止めましたが、ミュリエルとの約束を守っているとは言えなかったから。
「それにね、そもそも貴方はそんな事する必要なんてないのよ」
「それはどういう……」
「シイナは生きていたわよ。今でも貴方の事、想っているそうよ」
驚くフォックスに、ミュリエルは何か手紙のようなものを渡しました。
おそらくシイナから預かった手紙を。
「ミュリエル、どうして君がここに居る?」
「その子、ムテキンの噂を流して貴方を追い詰めたのは私よ。貴方の日記を奪って、メアリーに見付かるように置いておいたのもね」
短く呟いて無造作にリカルドに近寄ったかと思うと――
いきなり平手で顔を殴り付けました。
それも相当に強い力だったらしく、不意打ち気味に殴られたリカルドは地面へと倒れ込みます。
「お母様!?」
いきなりの行動に、メアリーの口から思わず叫び声が漏れました。
「あの人が、こんな駄目な男を助ける為に死んだなんてね。ねえ、どうして私が殴ったのか、解かるかしら?」
「スマン。君の大事な人を殺しておいて、生きのこっ――」
言葉の途中で倒れ込んでいるリカルドの顔面をミュリエルは蹴り飛ばします。無造作に。それでも手加減なんて感じさせないほど勢いよく。
まるで丸太か何かのようにリカルドの身体が転がりました。
(お母様はリカルド様を殺す気ですわ……)
首の骨が折れかねないほどの蹴りに、メアリーは確信します。
そもそも、よく考えなくてもミュリエルが噂を流し、リカルドが出てくるように仕向けたのは話を聞いていれば解かる事であり、その目的は遠回しな方法ではあるものの、リカルドの殺害にしか思えません。愛する夫が犠牲になったという動機もありますし。
(いけませんわ!)
ツカツカと乾いた靴音を響かせ、転がっていったリカルドへと近付くミュリエルに、メアリーの心音が落ち着きを無くしたように速なります。
「貴方の命はね、私の大事な人が犠牲になってまで守ったモノなのよ? これ以上、あの人の死を無駄にしようとするのなら貴方を殺して私も死んであげるわ」
リカルドを庇おうと駆け出していたメアリーは、予想外の言葉を聞いて足を止めました。
「お母様?」
「貴方が重荷に耐えられなくなっておかしくなるのなら、それで私は構わない。あの人の事を忘れてしまっても私は構わない。でもね、あの人の事を言い訳にして自分を殺したふざけた生き方をするのなら、私は黙ってられないのよ」
「どうしてだ、ミュリエル? 俺は君の大事な人を奪った、憎んでも憎みきれないほどの相手だろう? それこそ君が死ねと言うなら俺は――」
そこでリカルドは言葉を止めました。
ミュリエルの目が、一瞬、寂しげに潤んだのが見えたからです。
「……あの日。たった一日だけ生き返ったあの人が、最後まで心配していたのは私でも娘の事でもなく貴方の事だったわ。自分が庇ったせいで、逆に貴方に重荷を背負わせてしまったかもしれないって。貴方が自分の人生をちゃんと生きているかが心配だってね」
「お母様……」
それは途方も無く寂しい事だっただろう。
だって愛する人に、最後の最後で言葉を掛けてもらえなかった。いや、それどころか別の人への言葉を聞かされて別れた。
それは嫉妬で相手を殺してもおかしくないと思えるほど、苦しい事だった筈だ。
ミュリエルとという、愛を大事にする女なら尚更の事。
「本当は、殺したいくらい貴方が憎いわ。でも、私はあの人の想いを裏切りたくないの。それこそ、あの人の死が無駄になってしまうだけだから」
それでもミュリエルは夫を愛していた。
夫が最後に気にかけた相手の為、どこからかリカルドの日記を探し出し、侵入するだけでも重罪になる保管庫へと侵入し、ムテキンの噂を流し、リカルドを追い詰めた。
ただ、リカルドを立ち直せるために。
自分の愛した人の心残りを、誰よりも優先して。
「……あの人が死ぬ原因を作った貴方の顔なんて、ただでさえ私は見たくないの。もう二度と、こんな事を私にさせないで」
登場も突然なら、退場も突然。
言葉少なげにミュリエルは囁いて、謁見の間を出ていきます。
彼女の泣いていた顔を見たのは、メアリーだけでした。
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