11 嗤う悪鬼


 私は思わず足を止めて、振り返る。

 火球は建屋の屋根に命中し、爆発した。腕の内から悲鳴が上がる。


 普通に考えて、かつてのまいほーむは城内における重要な立地にもなければ、見目もただのボロ屋でしかない。そこに戦場で大きな影響を与えそうな攻撃魔法が飛ぶ。櫓を破壊炎上させる程のモノが、だ。


 これは、どう考えても狙ったもの。


 瞬間、私は戦場の日々を、特に対ドーラント王国戦を思い返し、ある種の納得を得た。


 くぉーたーず。

 オークの血を取り込んだ、異質な部隊。常人ではありえない頑強な兵隊。恐れ知らず、情け知らず、負け知らず。返り血に塗れながら、ヒトと士気を粉砕する。まさに悪鬼羅刹の群れだ。


 そりゃ、ドーラント王国の恨み、かなり買ってるよね。


 でもって見た目明らかにオークライクな私が、ドーラント兵の目に入ってしまえば……。


「あそこだっ! いたぞっ! 悪鬼だっ!」

「あいつだっ! あいつがあの時にボブを殺したっ!」

「殺せっ! 奴を殺せぇっっ!」

「息子の仇ぃぃっ! ここで死ねぇぇっ!」


 ですよねぇ。


 口々に恨み節や殺意を吐き出しながら、一人二人と乱戦の中から武装した男たちが走り寄ってくる。連携も組織もない、突発的な動きだ。先頭は……距離にして二十メートル程か。


「エリス、ミミ、ふさぐ」

「は、はいっ」


 少女は手にしていた天幕もを使って、ぎゅっと頭を守る形で身を縮こまらせた。


 私は大きく息を吸い込み、右胸で揺蕩う魔力を、喉へと回す。


 私に向かってくるのは、十数人。

 前後を燃え盛る炎に照らされて、男たちの顔もわかる。吠え叫ぶ様。簡素な兜を被る者は、カッと見開く血走った目が印象に残る。何も被らぬ者は、大きく開いた口の乱杭歯や顔に刻まれる形相の皺がより目立った。

 古い私ならば腰を抜かすか、悲鳴を上げて逃げ出したであろう、剥き出しの殺意。しかし、今の私にとっては慣れたもの。ヒトとしてどうかと思わないでもないが、腕にある重みを意識すれば、これで良かったんだと簡単に割り切れる。男なんて、単純な生き物だとつくづく思う。


 そも、この程度の数がなんだというのだ。

 これから私とエリスが生きていくために邪魔になるのなら、潰すだけのこと。


 前に立ち塞がるモノに、容赦はいらない!


 戦意と怒気、敵意と殺気を乗せ、私は肚の底から咆哮する。


 原始の、悍ましく恐ろしい、蛮性に満ち満ちた猛りの叫び。


 それは大気を震わせ、揺らめく炎を一方へと煽り、焼け残る城門櫓を崩した。

 先頭を走っていた男が白目を剥くとつんのめって倒れた。後続の者達もそれに続くように、だが多くがその顔を恐慌と畏怖に染めて前のめりに崩れていく。そして、そのままピクリとも動かない。


 戦場に静寂が訪れる。


 私は前へと歩き出す。

 後ろの建屋からは先の爆発から生き残ったであろう、くぉーたーずの雄叫びが響いてきた。しぶとい同胞たちに、思わず口元が緩む。そしてそれは自然と声になり、笑いとなった。


 げはっ、げはげはげはげはげはっ。

 矯正せずにいたら、くせになってしまった。


 哄笑し、進む。

 先まで敵味方に分かれて必死に相争っていた者達が、戦場で命を懸けていた者達が、その全てが腰を抜かし、私を見上げて震えている。一様に、バケモノを見たと恐怖に染まった目。

 魔法を使った奴が気になって探してみるが……、人の輪の中、魔法使いっぽいローブ姿を見つけた。笑いを止めて視線を送る。あ、泡を吹いて気絶した。思わずまた笑う。


 ……なんだか、私が想定していたよりもかなり大そうなことになっている気がしないでもないが、勢いでこのまま逃げられそうなので、とりあえず、これでよしっ!


 笑い続けながら、城門にたどり着く。

 崩れた櫓が道を塞ぐ。普請が甘かったのだろう。再建する時はもっと頑丈に建てないとダメだ。なんて低評価を下しながら、とりあえずは進むのに邪魔になる屋根を魔力を回して蹴り飛ばし……、すごい勢いでばらばらに吹き飛んでしまった。普通、蹴り一つでばらける訳ないだろう。これも全て安普請が悪い。でも通路ができたので、これはこれでよしっ! よしっ!


 立ち塞がる者はまだいない。いや、ひいひい泣きながら道端で蹲っている者が多数いた。

 私は開けられたままの城門をくぐり、城の外へ出た。見れば、遠く大きい火の手が一か所、他は所々で火の手が上がっている。それは一つの線になるように起きていることから、おそらくはドーラントの侵攻した道と思われた。水堀にかかる橋を渡り城下町へ。そろそろ笑いも止める。


 どうするか。

 エリスに相談しようかと思い、その顔を覗き込む。


 ……白目、剥いてますね。


 すまない加減ができなくて本当にすまない。

 なんて意思を込めて、赤子をあやすように腕を揺らす。お、うなされ声と共に瞼が落ちた。眠ったなら、よしっ! 今はそっとしておこう。


 という訳で、一人で決める脱出行の継続である。

 城の連中が正気を取り戻す前に、城下町ひいて街門を抜ける。よって、とりあえずはわかりやすさを重視して、火の手に沿って走る!


 どっどっどっと足音が夜の街路に響く。

 敷石がある道だけに、なかなか走りやすい。選んだ通りではまだ戦闘が続いているようで、わぁわぁと喊声や金属がぶつかり合う音が響いている。当然ながら、それらはすべて無視である。しかしこの道は複雑とまではいかないが、いささかクランクが多い。前方不注意にならぬように気を付けて駆けたが、途中で一人二人撥ねたような気がする。けれど、こちらに被害はないので、よしっ! 道の造りが悪いのと急な飛び出しがダメ無罪閉廷。


 こうして辿り着いたのは、破られたであろう街門の前。

 戦闘の最中に放たれたであろう火が周辺の家屋にまで延焼している。悲鳴をあげる住民の姿もあった。これに紛れて……逃げることは無理そうだ。開いた門には武装した兵が十人程詰めていて、外に逃げ出そうとする者たちを威嚇している。


 私は周囲を見渡す。

 倒れ伏した複数の人影は戦闘で討たれた者か。焼けた崩れた家屋。野宿をするかのように敷かれた布。数人が蹲っている。門を目指してきたと思しき人影が悲鳴を上げて引き返していく。こちらに注意が向いたのか、ざわりと空気が動く。


 焼けた家屋の一つに近づく。

 まだ煙がのぼり火が燻っている。半ば焼けて倒れた柱を見つけ、それを取る……前にエリスを左手で抱えなおす。胸にもたれさせる形なので、起きていたら何とかなりそうなのだが、今は少しバランスが悪い。が、あまり激しく動かなければいけるだろう。

 改めて柱を手にする。長さ三メートル超。半ばまで黒焦げになっているが、ゲバ棒なんて目じゃない程に頑丈そう。ひょいと持ち上げて、腰だめに抱えた。その場で右に左に振ってみる。残っていた壁に当たって倒壊したが、使えるとわかったので、よしっ!


 改めて門に目を向ける。

 門に集まっていた人垣がざざと波が引くように道端に寄った。こけて残された幼子が泣いている。可愛そうに、薄情な親……いや訂正、ちゃんと戻ってきて抱え上げて逃げたエライ。


 感動的な光景に、私はうんうんと頷きながら、門へ向かって歩き出す。

 動きが消えた。声が消えた。音が消えた。いや、微かにカタカタとナニカが擦れる音がする。


 その発生源は門にて、槍を構えた兵隊たち。

 それぞれの槍が小刻みに揺れて、鎧を叩いていた。


「あ、悪鬼だ。……ど、どうして、ここに」

「もうだめだぁ、もうおしまいだぁ。おら、ここでしぬんだ、かあちゃん、ごめん」

「だ、だ、黙れっ、貴様らっ、や、や、奴を殺せばっ、恩賞は思いのままだぞっ!」


 逃げ腰の兵隊。見れば装備は不揃い。農兵か?

 後ろで必死に叱咤しているのが、指揮官か。


「前衛は穂先を揃えろっ! 後衛は隙を狙えっ! 悪鬼とはいえ、ただ一匹だっ! やれるっ! やれるんだっ!」


 数え方がヒトではない。かなしいなぁ。


「げはっ」


 だから嗤う。

 このままならない現実を。


「げはっげはっげはっげはっ!」


 笑って嗤って嘲って、捻り潰す!


 一息に踏み込んでの横薙ぎ。

 一列目の槍全てを、木の柱が弾き飛ばした。


 強すぎる衝撃に手や腕を痛めたのだろう、兵隊たちは悲鳴が上がて蹲った。急に前が開いた後ろの兵隊たちは、唖然茫然。


 ついで返しの払い。

 二列目の槍が宙に舞う。一本だけ当て損ねたが、それは後ろに倒れているから、問題なし。兵隊たちは仰け反っての尻もち。一列目の被害よりマシだろう。


 指揮官を見て、また嗤う。


「あ、あ、あ」


 腰の剣に手をやっているが、それ以上は動けないようだ。無意識か、一歩、また一歩と下がっている。


 圧力をかける為に、ゆっくりと一歩ずつ前へ。

 兵隊たちは命乞いをしながらも仲間と助け合って脇に逃げていく。指揮官は一人で耐えていた。が、ついには躓いて腰砕け。すとんと尻をついた。口を閉ざし、得物を見て、首を傾げて……、かいしゃくしもす?


「じ、じ、慈悲を……。た、助けて、くれ」


 ……勝った! 逃走編、完!


 私は再び、いや、より大きく口を開けて笑った。

 それから手にしていた柱を放り投げ、門の外へ悠々と歩き出す。


 門外に出て数秒後。

 人影を認めて、まだドーラント軍が外にいることに思い至り、柱を捨てたことを後悔した。

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