幕間 隊商のある天幕にて
夜半過ぎ、隊商の大半が眠りについた頃。
大きな天幕の中で、隊商のまとめ役が灯火を眺めていた。闇の中、油皿で揺らめく灯。気まぐれに揺れる姿はどこか心を落ち着かせるモノがある。ただ安物の獣肥油だけに、いささか臭うことだけが傷であった。
その火が一時揺れる。
「戻ったよ」
「ああ、ご苦労。……様子はどうだった?」
「んー、あの子も初めての仕事だしねぇ。聞き出せたのは、地母神の神殿への巡礼が目的ってだけ」
「少しでも聞き出せたならマシだろう」
「おやおやおやおやぁ、今日は珍しく優しいじゃないか」
天幕に入ってきた女はからかいを口にしながら、灯火を挟んだ向かいに腰を下ろす。
「あの旦那が相手なら、仕方がない」
「それはわかるよ。連れてる子達も口にする内容をしっかり選んでるようだしね」
「そうか。お嬢さんたちはわからんが、少なくとも旦那は、こちらの素性をある程度は見抜いてる。出発前に少し匂わせただけで即座に応じたよ」
「はは、そりゃ怖いモンだねぇ」
「まったくだ。大概の連中は、あの見目や派手な力に惑わされているが、間違いなく、ヘタな貴種以上に知恵を持っているぞ。魔物でいえば、変異種か高位種族に相当するはずだ」
「でも、その旦那のおかげで仕事が楽になったんだから、いいことじゃないか。いつもならピリピリしてるのに、今夜はこれまでになく落ち着いてるよ」
デボラの物言いに、ユーグは苦笑いだ。
隊商に入った不穏分子の放逐ないし始末するのは、王都より彼らに命じられた仕事。それを減らしてくれたのだから、感謝するべきなのだろう。が、減らしてくれた相手が相手である。
「ま、背が高い方は素性がわからないけど、二人は手配書のままだったね」
「ああ。旦那に関してはまず間違いない。なら、もう一人のお嬢さんもおそらくそれだ」
少し前、彼らの元に届いた手配書。
その中で、一組の男女が最新の要注意人物として載っていた。簡素な似顔絵と、王国に仇為す可能性あり、動向を把握すべきとの注記と共に。
男は名無しの戦奴兵。
北部で起きたドーラント王国との紛争中、攻め込まれて混乱する領都より逃げ出した。取り込まれたオークの血が強く現れたのか、その力は他の戦奴兵よりも強力無比。逃亡の際、戦場を笑いながら駆け抜け、雄叫び一つで櫓を破壊したともいわれている。
女は名がエリス。
王族貴族の子女に不和をもたらした悪女として捕らえられ、貴族の私刑に処された。今は王室より冤罪であった認定された地母神の巫女見習い。王命で獄から放たれる前に、先の戦奴兵と共に姿を消したとされている。
まとめ役は重い溜息を一つ。
バカを為した王族貴族の尻拭い。そんなことに関わらなければならない自分達を思ってのことだ。
「二人に関してだが、王都に報告はするが、帝国に行くのは見逃す」
「いいのかい?」
「いいさ。おまえもわかってるだろう? この三日の間、注意して旦那の様子を見ていたが、まったく油断をしていない。もしヘタに手を出して、旦那に暴れられでもしたら、俺たちは全滅不可避だ。こっちには選択肢自体、そもそもない。今もある意味、旦那の温情に縋ってるようなもんさ。大人しく道案内するに限る」
「はは、そうだねぇ。ま、お嬢さんの方も、表に出してないだけかもしれないけど、国や王族貴族に恨みを吐く様子もなかったよ。静かに帝国へ逃げようとしているあたり、かなり理性的だ。こっちから手出しをするのは悪手としか言いようがないね」
「ああ、後、旦那に関しては、こっちが課した取り決めを守るあたり、人としての矜持を感じ取れた。連れてる女だけでなくて、他の女への対応も下卑た所がない。人格もかなりまともだろうさ」
「……なんだか、えらく褒めるねぇ。嫉妬しちまうよ」
「はん、とっくの昔に尻に敷いといて、今更なに言ってやがる。……だが、旦那を仲間に欲しいと思っちまうのは、贅沢なもんかね?」
女は疲れた顔の男を労わるように応じた。
「ケモノ以下ゴブリン並の連中ばかりを見てると、あの旦那がことさら綺麗に見えるのは仕方ないさ。あたしとしても帝国に出て行っちまうのは残念に思うけど……、もう今更、どうしようもないだろうね」
「……ああ、すまねぇ。愚痴だった」
男はわかり切っていたことを再確認し、話を次へと進める。
「後は帝国からの隊商についてだが、やはり来た様子はないな」
「なかったよ。残っている火の跡は全部が古い物だった」
「……そうか」
「いつもならとっくに来てるはずなのに、どうにもきな臭いねぇ」
「たまたま遅いという線もまだあるが……」
「もちろん、その可能性もまだ残ってるけど、物事は悪い方に考えた方がイイ」
「それが無難か。……ならやはり、賊がいると思うか?」
「ああ、この辺りは定期的に見て回ってる。帝国側で巣くったんだろうさ。イグナチカの連中はどうも緩いようだね」
まとめ役は薄くなった髪を一撫でし、目を閉じて唸る。
賊を放置しておくと、帝国との関係に影響することもありえる。簡単に言えば、帝国に不安と不利益を与える為の、不正規戦をしかけてるだろう、等といった言いがかりのネタになりえるのだ。
カンネルヘン王国の対帝国外交は避戦友好である為、こういった不穏の芽は摘み取らなければならないという訳である。
「あちら側の怠慢か口実作りかは一旦置く。俺達で賊を殲滅することができると思うか?」
「規模にもよるね。隊商が来ないのも引き返した可能性がある、そして、最悪の想定として隊商一つを呑む相手とすると、あたしたちだけでは無理だ。他の連中と合わせて動いたとしても、精々が被害を出しながら追い払う程度かね」
「他の連中の中に、旦那は?」
「含めてない。あの旦那なら、最低限の義理は……襲撃には対応するだろうけど、積極的に動くとは思えないよ」
「そう考える理由は?」
「お嬢さんたちを守ることを第一と考えてるからさ」
ユーグは額を指で叩きながら、腹心の連れ合いに問う。
「賊を殲滅したい。旦那の助力があれば、可能と思うか?」
「思う。あの力があれば、可能性が出てくる」
「旦那の助力がどうしても欲しい場合、絶対に必要なモノは?」
「お嬢さんたちの身の安全の保証」
「旦那に対する報酬となりえるモノは?」
「……逃げる先で、必要なモノ。帝国での生活の足掛かりになるモノ。賊の持ち物全て、帝国側の情報、イグナチカで伝手を紹介。……身分身元の保証」
「それで、いけると思うか?」
「後は、あんたの話の持って行き方次第さね」
「……そうか」
さてどう話を持って行くかと呟く男に、女は不思議そうに問いかけた。
「あの旦那の助力があれば、賊を殲滅できるって、本当に思うのかい?」
「ん? ……ああ、余裕だろう。出発前の騒ぎで見たが、旦那の踏み込みや対応は戦い慣れしてる奴の動きだ」
「あの立ち回りで、手を抜いていたってことかい?」
「ああ、何度も戦場に立ってるのが嫌でもわかった。殺しも慣れてるぞ、あれは。……いや、待てよ。もう割り切って、こっちは守りを固めて、旦那一人で賊を狩ってもらう方が早いかもしれんな」
うんうんと唸り始めた相方に、女は呆れ半分心配半分の目を向ける。
それでも邪魔はせず、先に休むよと一声かけて横になったのだった。
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