9 峠で天支を望む
峠越え、ああ峠越え、峠越え。
峠までやってきたので、俳句の一つでもと詠んでみたが……、私に才はない!(わかっていたこと)
阿呆なことを考えてしまったが、ともかく予定通り三日目にして峠の頂点に到達である。
私の目算では、標高は三千数百あたりか。富士山まではいかないとは思う。……私は登ったことがあったのか? わからないが、とにかく目的は半ば達成である。正直、バンザーイと楽しそうにできればいいのだが、皆は黙々と歩くだけなので空気を読む。
しかし峠から見える景色は、なかなかの絶景である。
雲を下に見ながらの大パノラマ……とまではいかないが、一目見る価値はあると思う。
まずは振り返って東側。カンネルヘン王国の土地であるが、それなりに丘陵があって、森や草原の中を川が走り、時々田園や集落が見える。こうして見れば、緑と水が豊かな土地であるとわかる。
向かう先の西側。帝国……正式には、神々に祝福されたるゴラスエイク家の皇帝により支配されたる八つの州と十四の領邦からなる連合帝国、というらしいが……、いちいち長いし覚えていられないので、もう帝国おけ、である。
話を戻して、帝国側の土地を遠望すれば、荒れ地とまでは言わないが、森や林は見えず、平坦な草原が延々と広がっているのがわかった。どうやら水気が少なく比較的乾燥しているようだ。
南側に目を向ければ、四千から三千メートル級の山並みが地平線まで続いている。またその辺りは青みがかっており、おそらくは南熱海と呼ばれる海だろう。
そして北側……、脈々と続く高い尾根の向こうに、物凄くデカい山が……、それこそ成層圏の半ばまでありそうな山が見えた。ここは離れているから、その山の全体像が分かる。周辺の山々が裾野のようなもので、下層から中層あたりに白い小石を敷き詰めたような雲がかかっている。そして、雲の上には青の彼方へのびる山影がある。まさに空を突き破っている高さだ。
これを見た瞬間、思わず口が開いた。聞けば、あの山こそが大天支山らしい。なるほど、あの山なら天を支える山と言われて納得できる。あれから連なるから、天を支える山脈。名称に偽りはなかったようだ。ううむ、世界は広い。
後、これは景観とは関係のない話であるが、峠に立って個人的にほっとしたことがある。
それは地平線が緩やかな丸みを描いていたこと。この世界はカメや像が背負う平面世界ではなく、星のような球体上にあるようだ。(実は半球かもしれない、なんてことは考えてはいけない、イイね?)
はてさて、こうして見聞を広げられたし、後は峠道の残りと下りだけである。
ガレ場に通された下り道を足並み揃えて進んでいると、一人佇む人影を発見。私たちの窓口役であるデボラだ。何事かと目を向ければ、私たちに並んで歩き出した。
我らが交渉役が首を傾げて聞く。
「デボラさん、なにかありましたか?」
「いや、ちょっと旦那に用件というか、ユーグから言付けを預かってね」
預かってるとはいえ、あまり言い出したくなさそうな顔。
エリスは振り向いて私を見る。どうしますかといった顔だ。私は頷いてから口を開く。
「なにか、もんだい、おきた?」
「まだ確定じゃないんだけどね。ユーグからは、ちょっと道行きに問題がありそうだから、旦那と相談したいことがある、って話だ」
わざわざ私だけに話を持ってくるということは……、なにがしかの荒事だろう。
つまり、まだ未確定だが、隊商にとっての脅威がある。となれば、状況的に、賊か。魔物は人が住んでいなければ、出にくいという話だからな。
「はなし、いつ、どこで?」
「できれば、今日の夕食後、うちの天幕で」
「おで、えりす、ふぃお、はなれる、ダメ」
「わかってるよ。旦那の代わりに、あたしが責任をもってお嬢さんたちを守るよ。……それじゃあダメかい?」
さて……、信じるか信じないか。
私は二人の少女へと目を向ける。エリスは杖持つ手をしっかりと握り、頷いて見せた。他方、フィオであるが……。
「あ、お兄さん。エリーのことは任せてくれていいよ。あたし、こう見えても魔術が得意だからさ」
「それ、おしえる、いい?」
「うん。お兄さんには色々と助けてもらったし、ここらで一つ返しておかないとね」
「なら、どんな、じゅつ、とくい?」
「んー、風撃は使い慣れてる。あと水弾もそこそこ。ここらだったら、石礫もいけるかな。でも、火の術は周りへの影響が大きいから、あまり使わない」
その言葉が事実なら大したものだし、一人旅ができた理由もわかった。
ならば、周囲をけん制する意味でも、それがふかしでないことを見せる必要がある。
「みせる、できる?」
「いいよー。……『風よ在れ、その身で彼方を穿て』」
フィオの謡うような声が聞こえたかと思えば、彼女の視線の先……十メートル程先にあった大きな岩に強い衝撃が走り、破裂音と共に表面を穿ち砕いた。
……初めて魔法が行使されるのを目の当たりにした。
これは、感動モノである。
どういう仕組みでどうなっているのかなんて、まったくわからない。道具も使わずに事象を起こすなんて、私から見れば奇跡の御業だ。
「ふぃお、すごい!」
「ふふーん、どうよっ、なかなかのもんでしょ? ……まぁ、加減が難しいから、ヒトには向けたくないんだけどねー」
思わず拍手。
フィオはいつかのようにふんぞり返っている。周りをちらりと見てみれば、その場の者達……エリスを含めた全員が砕けた岩を見て唖然としていた。……この反応を見るに、どうやら彼女はかなりの凄腕のようだ。(ただしその理由はわからない)
「ふぃお、おで、あんしん。えりー、まもる、おねがい、する」
「うん、任せといてー」
「あと、ふぃお、もしも、ある、とき。てかげん、ダメ。ふぃお、まもる、とき、いのち、とる。せきにん、ふぃお、ない。てき、わるい」
「あー、うん。……うん、そうだね。降りかかる火の粉は、払わないとね」
「そう。てき、くる。こちら、ころす、うばう、おかす、したい。じぶん、みかた、まもる、ため、たたかう、とき。てき、ようしゃ、いらない。ゆだん、いらない。ころす、わるい、ない。せきにん、てき、ある。ふぃお、じぶん、せめる、ないない」
「あはは、うん、そうだねー。……ほんと、そうだよね。向かってくる敵は殺す。あたしは悪くない。容赦も手加減も必要ない。うん、基本だよねー」
よし、ぐっどこみゅにけいしょん!
フィオの目がぐるぐると渦巻いて見えたり、デボラやエリスの顔が引きつって見えたりしないでもないが、ともかく戦う前の心の準備よし! よしっ!
「おで、あう、いく。えりー、ふぃお、たのむ」
「あ、ああ。……ユーグも、きっと喜ぶよ」
新たな問題を抱えて頭が痛いといった風情で、窓口役の女は頷いた。
☩ ☩ ☩
途中で靄に遭遇して濡れることになったが大きな問題はなく、峠越えは終わった。
野営地にて夜を迎える準備も終え、栄養の補給もばっちり終了。本日のお品書きは、イモ餅と塩漬け肉の煮込み(ハーブ調味)、燻製肉、ベリーでした。いやはや食材の種類が少ないので、調理担当のエリスには苦労をかけている。事実、彼女はここに麦粉があれば調味料があれば野菜があればと、私に申し訳なさそうな顔を見せる。
私としては元々が元々だったので、十分においしく感じられるし、そう伝えているのだが、彼女には思う所があるらしい。冗談を抜きに、こうして食べられるだけでもありがたいのであるが……、もうエリスの憂いを取り除くためには、直近の街……ええと、イグ……ナチ、カだったか、そこで食料品店巡りをして食材を確保するしかないだろう。
こんな具合に横になって考え事をしていると、近づいてくる足音が二つ。
迎えが来たようだ。起き上がって見る。……デボラと共に本人が来ていた。これ、私が向こうに行く必要はないんじゃ?
「ああ、旦那、ちょっと様子を見て回りたかったからな、ついでに迎えに来ただけさ」
「はなし、ここ、ダメ?」
「まだ他のには聞かせたくない」
「……わかった。あと、たのむ」
のそのそと起き上がり、まとめ役の所へ。
彼の視線は……フィオの辺り。話を聞いて、脅威を測りに来たといったあたりか。
「ふぃお、かんがえ、ない、ちがう。だいじょうぶ」
「ん、ああ、それはわかっているんだがね。立場上、気になってな」
「……まとめ、たいへん、おまえ、えらい」
「はは、ありがとよ。じゃあ、ちょっとばかり付き合ってくれ」
男二人、連れ立って目的の場所へ。
そこには私たちが使っているモノとは比べ物にならない程に立派な天幕があった。骨組みを建て、大きな布を数枚かぶせている奴だ。そして近くには杭に繋がれたロバが二頭。老境の男が面倒を見ていた。なるほど、これなら骨組みや布も運べるはずだ。
「旦那、旅をするなら駄獣は便利だぞ」
「わかる。でも、せわ、たいへん。えさ、みず、ようい、たいへん」
「そいつらならまだ安いが……、確かに世話は大変だな」
そうそう生き物を飼うのは責任を持ってやらないといけないことだし……、将来的にはわからないにしても、今はまだちょっと難しいだろう。
まとめ役に続いて、天幕の中へ。出入り口では少しかがむ程度で済んだ。
中は薄暗い。中央と奥に油皿と灯火。獣油の臭いがこもっている。運んでいると思しき行李や袋が端に置かれていた。
「さて、旦那もお嬢さんたちが気になるだろうから、話を済ませようと思う」
「きく」
「ああ、まずは前提の情報が一つ。いつもなら帝国側から来ているはずの隊商が来ていない。さっきも調べたが、ここの野営地も使われた様子はなかった」
「わかる、した」
「うん。隊商が出ていない可能性も十分にあるが、俺たちは、その隊商が賊に襲われて引き返したか、最悪は全てを呑まれたんじゃないか、と考えている。当然とは言いたくはないが、賊がいた場合は、俺たちの隊商も襲われる可能性が高い」
私は不愉快な情報に顔をしかめる。想定はしていたが、実際に聞くと嫌なモノだ。
隊商となると、それなりの数だ。それが続行不可能になるほどの被害を受けたと仮定すると、それなりの戦力が賊にあるということだ。道行きを邪魔されるのは困るし、同行者二人の身の安全に関わる。
「おまえ、おで、たのむ、なに?」
「ああ、隊商に被害が出る前に、賊に対応したい。……旦那に頼みたいのは、おそらくはいるであろう、賊の殲滅」
……んん? それはつまり?
「おで、ひとり?」
「ああ、一時隊商から離れて、賊を全て狩ってもらいたい」
え? えぇ……、私、そんなに人間離れして……して…………してるかもしれない。
いやでもだからといって、さすがに一人でとなると、できるか?
うーむ、夜の闇に紛れて足を忍ばせ、後ろから首をコキっと一捻り……、見つかったら投石とそこらの質量物を振り回してを組み合わせて暴れて……、危ない状況になりそうなら即離脱……、様子見して再襲撃……、なんかできそう。
けど、できそうだからといってもなぁ。
私はもう奴隷兵ではない。あの殺伐とした環境を離れた今、人殺しなんて重労働からは極力離れたい。もしやるにしても、相応の対価を頂かないと、する気には……、もちろん私たちの身の安全につながることなのはわかるが、一人でとなると……天秤を傾ける、重さが足りない。
「もし請けてくれたら、それなりの報酬を出す」
「どんな?」
「ああ。まずは賊の持ち物全ての所有権。とはいっても、これは賊退治の基本報酬になるから、それを第三者として認めるという話だ。量次第で運ぶのも手伝おう。次にイグナチカで俺の取り引き相手を紹介する。街でも顔の利く商会だから人脈を広げる切っ掛けになるはずだ」
まだ、足りない。
「あと最後に、帝国で必要な身分証の保証人になろう。もちろん、必要な人数分」
よし、やろう。
「わかった。はなし、しんじる、うける、する」
「助かる」
「とりひき、たいとう。きに、する、ない」
私はできるだけ柔らかさを意識して笑う。
取りまとめの男、ユーグは一瞬だけ驚きの顔を見せ、肩から力が抜けたように笑った。
「わかった。なら仕事として頼む。出ている間、お嬢さんたちに関しては、こちらでもしっかりと守る」
「たのむ、する」
「ああ。今夜から行けるか?」
「まつ。ほか、ききたい、ある」
「……すまん、気が急いた。聞きたいことは?」
私は頷いて、気になることを聞く。
「ぞく、でる、ふつう? いつも?」
「ここ数年はなかった。前に襲われたのは、五年前だ。その時は被害を受けたが撃退できたし、後で討伐隊が出て一掃された」
ならば新手と見て、土地勘は相手がそれなりに上程度か。
「ぞく、おそう、どこ、あたり?」
「可能性が高いのは、麓からの最初の野営地の間。遮蔽物が多い森か、道でも狭隘な場所だな。次は夜の野営地」
「たい、しょう、やめる、とき、ひがい、どれ、だけ?」
「取りやめるとしたら、三分の一あたりだろうな」
「ていこく、たい、しょう、おおきさ、どれ、だけ?」
「最低でも百……、俺達と同じくらいになる」
少し考える。
この隊商を参考に、仮定百の人数で男女比や武装を踏まえて……、戦える者は四割から半数いればいい方か。四十から五十の相手に優位に戦えるとすると、最低でも一倍半はいるか? そうなると、数は最大で八十程度の集団になるが……、野外生活するとなると一苦労だぞ。そこまで組織化できるものなのか? いや、できるできないではなく、可能性はある、としておこうか。
後は練度というか腕になるが、賊に落ちる様な連中に手練れはいない。……と思いたいところだが、私のように腕っぷしだけはっていうのもいるだろう。冒険者として経験を積んだとか傭兵崩れなんてのも考えられる。
それなりの数と、手ごわいのもいるかもしれないので、対峙する時は注意を怠らないようにしよう。
残り気になることは……。
「なにか、しらせ、どう、する?」
「そう、だな。……賊の拠点を見つけたら、燃やせるなら燃やしてくれ。その煙で位置もわかる。あと他は、方法がないな」
「なら、もどる、する。でも、おおきい、こまる、ある、とき、おで、さき、おおきく、ほえる。たい、しょう、けいかい、する」
「わかった」
「あと、ここ、やすむ、ところ。みはり、される?」
「…………賊がいるなら、監視を置く可能性はあるな」
「いる、なら、きょう、よる、それ、つかむ、する?」
「そうしてもらえるとありがたい。……そいつの情報はいるか?」
かぶりを振って、考えている手法を話した。
「おで、やま、はしる、とくい。ぞく、ばしょ、あたり、つく、できる。えもの、おう、とくい。おと、ひびく。みみ、たより、さがす。おで、やり、おの、ある。……ケモノ、おう、かる」
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