12 平穏を求めて(打ち切りEND跡地)


 夜の薄闇に紛れ、駆ける。

 ドッケンヘンを出た後は、人目が気になったので早々に道から外れて原野や森を抜けている。今の所、追手の気配はない。


 一時間以上は走り続けているが、息継ぎは安定していて苦しさもない。

 発汗も思ったよりは少ない。春の夜はまだ冷えるということか。足の筋肉も正常。魔力もゆっくりとだが巡っている。腹は減りつつあるが、まだ耐えられる。眠気は……昼の間に寝ておいたから、まだそう強くない。


 結論、私はまだ戦える。

 オフトォンに誘惑されたって負けない。


 ……。


 今更な話であるが、今晩は赤月が大きく輝いている。

 どういった軌道で周っているかは知らないが、この世界でも月は三つとも東から昇り西に沈んでいる。故に、それを頼りにして走っているのだが……、少しでも追跡される可能性を減らすため、一旦は東に向かってから道を外れて西に向かった方が良かったかもしれない。


 私も気が急いていたということだろう。

 しかし、脱走なんて初めてなのだから仕方がない。記憶がないからわからないが、さすがに前の生でもこんなことはなかったはず。……いや、わからないからあったかもしれない? いやいや、なかったと自分を信じよう。


 さて前置きが長かったが、今気になるのは私がどこにいるかということ。

 当初より迷子上等と覚悟はしている。が、だからといって月以外の方向性がないまま闇雲にというのは、蛮族から足抜けを図る者として考えたい所。漠然と迷走しすぎるのも、後の修正が大変になる。今ならば、星見の知識か目印になりそうな目標が欲しい所だ。

 そんな訳でそろそろ同行者に起きていただきたいのだが……、これがもう、すぅすぅと気持ちよさそうな寝息を立てている。慎重に横抱きにして、できるだけ揺らさぬように注意した結果なのだろうが、困った。でもこの安らいだ寝顔を見ると、起こしたくない。


 ……ううむ。


 そうだな、こういう困った時は周辺状況や関係要素を整理して、指針なり解決策なりを導き出すに限る。


 まずは、私たちと関係があるドッケンヘンの状況。

 ドッケンヘンは辺境伯、城、街、その全てが動揺しているはず。なにしろドーラント王国による夜襲で街門が破られるどころか、本拠である城塞にまで攻め込まれたのだ。物理的な被害に加えて面子も潰れて大損害。これを失態と言わずしてなんと言う。状況の収拾は大変だろう。

 ただ、その、なんというか。私が逃げ出す際に、ほんのちょっとだけ、そう、ちょっとだけ、色々したせいで、あの後、どうなっているのかが想像できないのがネック。ただドッケンヘンにしろドーラントにしろ両者ともに、かなり混乱をしていたから、逃げる時間を稼げたのは間違いないと思われる。


 次に私の足の速さ。

 これは体感で常人の三から四倍程度に思える。……あぁ、こう感じたということは、前の生ではバイクかなにかに乗っていたのかもしれない。いやそれは置いて、進む角度が変にずれていなければ、ドッケンヘンからだいたい三十キロは稼げているはず。しかも、進んだのは道から外れた場所。


 後は追手がかかっているかどうか。

 先の状況を考えると、ドッケンヘンからもドーラントからも追手が出ている可能性は低い。双方ともにそんなことをしている余裕はないだろうし、勝敗がついた後の追討戦や落人狩りなんて状況ならともかく、私一人程度をわざわざ探すのは費用対効果が悪すぎる。もしあるとすれば、偵察に出ている斥候に出くわす程度だろうが、これだけ道を外れていれば、ほぼないはず。

 他に懸念があるとすれば、エリスに対する追手。これは別口で考えるべきモノだが、追手という意味では合致する。彼女の一件には、王家をはじめ複数のお貴族様が関わっている。追手がないとは言い切れない。なにしろヒトの執念は怖い。愛憎が絡む時は特に。だから、今は大丈夫であったとしても、時間が経ってから注意が必要な所になる。


 ……。


 結論、足を緩めていい気がしてきた。


 よし、適当な場所で休もう。

 できれば、大きな木の太い枝あたりがいい。私が座れる程となるとちょっと厳しいかもしれないが、それを見つけたら、一休み一眠りとしよう。




    ☩   ☩   ☩




 小鳥の鳴き声で、目が覚めた。

 高く柔らかく、程よく適当でいてリズムがある。自然が生み出した素晴らしい目覚ましだ。


 私もすがすがしい気分で……、と言いたいところだが、尻と股座が痛いというか重い。

 なにしろ尻にしているのは凸凹あるざらざらの木肌。股に挟むのは固く太い歪な枝。さすがに寝るところではない所で寝るのは疲れる。

 首筋をほぐしながら、風を受けてゆらゆらと揺れる枝葉を見る。一時の仮宿とした広葉樹……ブナとかナラとかの種類まではわからない。ただ樹高や幹回りを見れば、樹齢はかなりのモノだと思われる。なにしろ私が乗っても大丈夫なのだ。ここを見つけることをできたのは僥倖だった。


 さて、そろそろ腕の内の眠り姫を起こそうか。

 覗き込んでみれば、こんな状況だというのに安心しきった寝顔だ。うん、あどけなくてカワイイ。ベビーフェイスという奴か。普通の男なら百年の恋に落ちるかもしれない。大人と幼子風で二度おいしいってこと? なにがおいしいのだろう。男は皆本能的にロリコンということを伝えたいのか? わからないでおこう。


 ……。


 うーむ、それにしても起こし方、起こし方か。

 こんな状況はハジメテなだけに、普通に呼びかけて起こすのは面白くない。二本指で鼻をちょいと挟む。小さいけど形良い鼻梁だ。十秒ほどで、唇がパカリと開いた。ふぅふぅと寝息は続く。ならばムニっと口先も塞いでみる。自分にはない柔らかい感触。口端からひゅうひゅうとせわしなく息が漏れる。十秒二十秒と続き……エリスって意外と根性あるなぁと感心していると、ぐぐぐと眉間にしわが寄って、パッと目が開いた。翠の瞳が私の顔を捉える。こちらは何事もなかったように手を放した。


「えりす、あさ、おきる」

「ぅ、あ、ぬ、むぅ」

「おはよう、する」

「おはようがざいます」


 エリスは眉間にしわを寄せたまま。それでも挨拶を返した。そしてまた何事かを言おうと口を何度か開閉させ……、はっと目を見開いた。意識が醒めたのだろう。先までの不機嫌顔も吹き飛んで、がばっと頭を持ち上げた。周囲を見渡し、あわあわと慌てふためいた。


「ごめんなさい! 逃げてる途中なのに! わたし、なにもしなくて! ほんとに、なんでこんな、普通に寝て……」

「ねる、イイ、こと。えりす、そだつ、する」


 むにっと指で胸を押し触る。柔らかいが小さい。

 だが、妙な空気になることはなく、エリスは必死な顔で私の腕を掴んだ。


「でもっ! わたし、役に立ってない! たすけに、なってないです!」

「ちがう。きのう、えりす、しずか。おで、たすかる、した」


 そういうことにしておこう。

 実際、何らかの理由で動かれたり暴れられたりしたら、ちょっと危ないことになっていたかもしれないし。


「でも、わたし、なにも……」

「きのう、おで、しごと。えりす、タスケ、いま、から。しごと、ある。あんしん、する」

「本当に?」

「ある。おで、ここ、どこ、わかる、ない。どこ、さがす、やる、する、ない」


 そう答えてから、私はエリスを左胸に抱き寄せた。ついで跨いでいた足を元に戻し、宙に身を委ねる。瞬間の浮遊感。ドスリと着地。エリスを下ろそうとして……、裸足であったことを思い出して、また横抱きに。今いる林から出るべく歩き出す。

 こうしていると、どこぞの勇者な気分だ。(勇者なんて顔でないのは、それはそう)あれ、戦闘はどうしていたんだろうか。


「えりす、ヤクメ、ある。しごと、ある。できる、ある。おで、ハナシ、ムズカシイ。おで、コワい、かお。ヒト、ニゲル。ハナシ、する、ムズカシイ。おで、セカイ、しる、ない。おで、じ、かける、ない。おで、よむ、ない。おで、ニク、やける、ない。おで、くさ、き、しる、ない。おで、ほし、みる、ない。えりす、おで、オシエ、する、できる。おで、たすけ、なる。おで、いきる、ムズカシイ。おで、えりす、たすけ、いる」


 私なりに言葉を尽くした。

 のだが……、エリスは小さくしゃくり上げて泣いていた。


 なんだ、その、対応に困る。


「おで、えりす、なく、する、ダメ。ごめん、する?」

「しなくていいです。それよりも、わたしが、ごめんなさい。ありがとう、ございます。今から、がんばります」


 うん、立ち直ったならいい。

 お互いができることを補いあえれば、それでいい。私自身、独りで脱出しようと考えていた時よりも、心に余裕がある。同じ方向へと共に歩く(比喩)ヒトがいるのは、本当に心強いものだ。


「おで、えりす、きく。ここ、どこ?」

「え? え、えーと、どこでしょう?」


 目を見合わせて、二人して首を傾げあう。


「えりす、どう、する?」

「えーと、そ、そうですね。……うーん、えー、と、とりあえず、高い所を目指しませんか? 高い場所から周辺の地形とかを見て、目標を探すんです」

「たかい、ところ?」

「はい、丘でも岩でもなんでもいいです。とにかく高い所です。あ、この辺りなら木の上でもいいです」

「わかる、する。でも、おで、オモイ。えりす、き、ノボル」

「え?」

「ノボル、する、ダメ? なら、おで、えりす、たかい、する。ソラ、あげる」

「ちょ、ちょちょっとまってください! あ、あっ、そんなっ、ほんと待ってっ、まってまってまってぇぇっーーーーー!」


 だが、こんな感じでいい。

 これくらいの肩を抜いた雰囲気でいた方がいい。


 なにしろ私たちはようやく歩き始めたばかりなのだ。

 このどこまで続くかもわからない、平穏への道を……。

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