2 平穏を探して、山越え!

1 西に、ススメ!


 オフトォンが恋しい春の朝。

 高望み過ぎることはわかるが、思うことは許されるはず。


 そんなことを考えながら、私は歩みを進めている。

 木漏れ日に目を細めつつ、伸びに伸びた下草を踏みしめて木立の間をゆっくりと。向かう先は、西。具体的な目的地はない。とにかく西だ、西に向かうのだ、の精神で、道なき森の中に道を開いて歩いている。


「あ、止まってください。薬草です」


 奇縁で巡り合った少女、エリスも一緒だ。

 今も私の背中から発見したモノを指さしている。彼女とは出会ってからまだ五日も経っていないが、色々とあったおかげで仲良く……うーん、まだ意味深なこともしていないし、上手くやっているの方がいいかもしれないので、とにかく上手くやっている。


「とまる。えりす、どこ?」

「あそこです」


 私はエリスに言われるまま、草むらの一つに近づく。他の草とどこがどう違っているのか、今一わからない。だが、彼女にはそれがわかるようで、するっと背中から降りると早くも採取を開始している。これまでもそうであったが、明らかに手慣れている。俄かづくりの石ナイフの扱いにはさすがに苦労しているが、それでも淀みがない。


 ほうと感心していると、エリスが作業しながら言った。


「この葉の中にあるモノが切り傷とか火傷に効くんです。乾燥しても効果が残るから長い間持っていけます」

「えりす、すごい」

「ふふ、ありがとうございます。でも、これはジボ様の下で学べたおかげです。神殿で色々なことを教えていただけなければ、こうしてお役にたつこともできなかったと思います」


 こんなに敬虔でまともな信徒を切り捨てた教団があるらしい。

 バカなことをしたものだとつくづく思う。神罰でも下ればいい。


 私が憤りを覚えている間にも、エリスは刈り取りを終えた。そして全てを束にしてさっと縛れば、自分で組み上げた枝の背負子に収めた。私にはできるとは思えない手際の良さだ。


「お待たせしました」

「えりす、せおう」

「ありがとうございます。わたしも靴があれば、迷惑をかけないですんだのに」

「ない、しかた、ない」

「ですが……」

「めいわく、ない。えりす、かるい」


 私は膝を曲げて背を向ける。

 最初は手が遠慮がちに背中に触れ、だがすぐに切り替えたのか飛び乗ってきた。片手を尻に回して押し上げる。彼女はおさまりの良い場所を探してもぞもぞ。押し付けられる柔らかい胸。首筋に回る腕。耳にかかる吐息。私のような醜男にはなかなか効く。


「臭く、ないです?」

「クサイ、ある。まだ、ある」

「早く臭くない、って言わせたいです」


 拗ねた声に、げはっと笑う。

 それからまた歩き出した。飲み水はエリスが扱える神秘の御業『水の清め』で衛生面を確保できている。よって追手を警戒しての、ヒトが使う街道を避けての逃避行である。ただ三日目ともなると、もう小さな道とも行き当たることもないから、人の生存域からはかなり外れていそうだ。

 しかし、油断はできない。今は我慢の時。時間を得るためにもより遠くへ。当然、ゆっくり休憩なんてこともできないし、位置を知らせる事にもなりうる火も使えない。


 それでも、道すがらにできることはしている。

 明らかにヒトの手が入っていない森には恵みがあった。季節の産物であるベリー類を大量に採取しつつ、時に動きの鈍い蛇をきゅっと絞め殺したり(その場でなんとか開いたが臭かった)して、それなりの食料が確保できている。たまにウサギを遠く見たりするので、ちょっと腰を落ち着けたら狙ってみたい所だ。

 後面白いことに、ここに至るまでゴブリン等の姿を見ていない。原因を考えてみたが、たまにオオカミのものらしき遠吠えが聞こえたりするので、狩られて食われているか、あるいはヒトの気配に惹かれて街道近くに陣取っている、といったあたりか。もっとも、これは学のない私の推測であって、本当の所はわからない。


 ……本当に、世の中、わからないことばかりだ。


 わからないということには実害が伴うこともあるだけに、困ったことである。

 だが、それはそれとして、新たなことを知れるという楽しみもあったりする。そう、あの好奇心が満たされて、脳がうじゅるうじゅると喜ぶ感じ。……いや、うじゅるうじゅるというのはちょっとあれだ、中にナニカいそうだから、こうじわじわと焼かれていくような……いやチガウこれだと破壊される。えーと、そう、じゅんじゅんと汁が溢れてくるような……溢れ出てもまずいな。うーん、とにかく比喩が難しいけれど、脳が満足を得て幸せになる感じが楽しめるのだから喜ぼう。


 そんな訳で私は知識を増やすべく、物知りおねえさんであるエリスに質問する。


「おで、えりす、きく」

「あ、はい、なんですか?」

「ニシ、ことば、きく、はなす、できる?」

「んー、えとその、にしというのは、山の向こうのことでいいですか?」


 首を縦に振る。


「山脈の向こう側でも、話は通じます。同じ言葉を使っているので、聞くことも話すことも、できます」

「ことば、おなじ?」

「はい。この大陸ではほとんどの場所で同じ言葉を使っていますから、大丈夫です」

「こまる、ない? ことば、ちがう、ない?」

「困ることはないと思います。安心してください、あなたが話している言葉と同じです」


 ほうと安堵して、同時に感心する。そして、疑問がわいた。


「おで、えりす、きいた。タイリク、ひろい。とち、ちがう。ヒト、ちがう。なら、ことば、ちがう、ある。でも、ない?」

「んぅ、な、なんというか、あなたは、その、どうやって、そういう考え方を……」


 私はわからない振りをして首を傾げる。


「む、むむむ、なにか煙に巻かれているような感じがしますが……、そうですね。違う言葉はあります。ただ一般的に使われなくなっただけで、言葉は各地に残っているとも聞きます」

「おで、はなす、ことば、は?」

「オルトレート共通語、一般には大陸共通語と呼ばれていて、この大陸でほとんどのヒトが使っている言葉です。これは過去五百年ほど前に興隆した大帝国の言葉を基にして編纂されたモノで、三百年ほど前に当時の主要国と神々の教団とが合議を経て、公式に認定したことで生まれました」

「すごい。がんばる、した?」

「そうですね。歴史書でも話がまとまるまで三十年かかったとありますから、大変だったと思います。そして、そこから百年二百年と時間をかけて、大陸中に浸透して今のように使われるようになったと教えられました」


 なるほど。

 とりあえずは言葉に困らないのだから、ありがたいと思っておけばいいか。(思考停止)


 うんうんと頷いていると、ぼそりとエリスの呟き。


「あれ、そういえば、わたし、まだなまえを……」


 はてなんだろうと思ったが、そろそろ森が終わりそうだ。


「えりす。もり、おわる。すすむ、きめる」

「あ、はい」

「きめる、する。おで、えりす、また、ソラ、あげる?」

「しません! 絶対にしませんからっ!」


 そんなムキにならなくても。

 私としては、何もかもを忘れられる、類まれな空への一時をまた提供したかっただけだというのに……。(棒)


「いいですか! ほんとに絶対しないでくださいねっ! わたし、絶対に泣きますから! 前よりももっと、ぎゃんぎゃんに大声で泣きますからねっ!」


 それは困る。

 いや困りはしないが、こう空気が悪くなるから、ここまでにしておこう。


 だが、その間にもエリスは抗議の意を込めてか、ぐいぐいと首を締めてくる。もっとも、彼女の細腕程度で私の筋肉はどうにかなるモノではない。カワイイものである。


 森が切れた。自然、足も止まる。

 立ったのは小高い丘の中腹。先には低木や草でなる原野が続いている。そして、その向こうには青く形どられた山容。より高い山が背後に見えており、奥行きも深そうだ。天高く雲をまとう上層には雪化粧がまだ多く残っている。それらが幾つも連なって、まさに壁のごとく、私たちの行く手を遮るように彼方まで続いていた。


 耳元で感嘆の声音。


「えりす、ヤマ、ついた?」

「……はい。実は私も、こうして実際に見るのは初めてなんですけど、あの連なりが他にあるとは思えません。あれが天支大山脈だと思います」

「なら、あと、スコシ。つく、ヤスム、ところ、ツクル」

「そうですね。でも慌てず、慎重に行きましょう。あの山々は重すぎて逃げられませんから」


 私はエリスの言に面白みを感じて、げはげはと笑う。

 それから再び歩き始める。西へ西へ、あの山脈の麓を目指して、ただ真っすぐに。感覚的には、夕暮れまでには着けそうだ。ただ向かってくる風は少し冷たく感じられた。

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