2 仮拠点設営(原始+型)


 今日からここを仮の拠点とする!

 なんてカッコよく言えたらいいのだが、そんな能力は私にはない。ヒトとのこみゅにけーしょんを円滑にするためにも、早く滑らかに話したいモノだ。後できれば、地の底から這い出てきたようなおどろおどろしい声ではなくて、男らしい重くて渋い声を希望したい。


 私は少しばかり浮かれた気分で、立ち止まった場所を見渡す。

 場所は名も知らぬ山の裾は、中腹に近い位置。森林限界はまだ先で、辺りには広葉樹も多い。近くにエリスでは跳び越せない程の小川。水量も豊富。ただ魚は小さくて少ない。以前に落雷でもあったのか、周囲には燃え跡がある木が十数本立ち枯れている。延焼を免れたのは小川近くにある数本のみのようだ。


 ……いいっすねぇ。


 この場所、どうですか?

 私としてはイイ感じだと思うのですが、色々と知識を備えておられるエリス様はいかがですか?


「うん、日当たりはよさそう。避難場所になる大きい木もあって、周囲は下草があるけど視界は開けている。近くの小川は澄んでいるし、一段高いから水かさが増しても届かない。薪にできそうな立ち枯れの木もあるし、ベリーや薬草が取れそうな森もある。ここなら良さそうです」


 エリスチェック、よしっ!

 ……で、なにから始めましょう。私的には探しに行きたいモノがいろいろとある。こん棒にする木材とか道具になる黒曜石とか生存に不可欠な岩塩とか土器を作る粘土とか万能資材の竹とか炭水化物な山芋とか。


 少女をじっと見つめてみれば、少しばかり焦りを見せた。が、数秒でよしと頷いて話し出す。


「え、えと、もうすぐ日が暮れますし、まずは野営する場所……特に火を起こす場所を決めませんか?」

「わかる、する。えりす、ひ、おこす、できる?」

「その、一応は学院で初歩的な文字魔術を学んだのですが、試したことがなくて、実践となると、少し自信が……」


 わかる。

 できるかどうかわからないのは、不安なものだ。だから、私は勇気を出せるようにその背を押そう。


「する、できる、ない。おで、ひ、おこす、がんばる。だから、えりす、やる、する」

「う……、は、い。やってみます。……うん、そうです、まずは行動です」

「えりす、できる。えりす、ひ、ヨウイ、する。おで、もやす、き、えだ、さがす」

「お願いします。……よし、ここにします。それでは、頑張りましょう!」


 という訳で、エリスが火起こしの準備、私は一息で戻れる範囲で燃料探しである。

 ふらふらと下草を踏みしめて歩き回り、地面に落ちている枝や焼け残りの木片、川べりに転がる流木といったモノを拾い上げる。ヒトの手が入っていないおかげか、それなりにあって簡単に拾える。手一杯になるまで集めた後は、川近くで大きめの石も見繕っておく。火を起こした後の囲い用だ。あ、これは座るのに良さそう。


「できました!」


 聞こえた声に、私はエリスの元へ。

 彼女の前には小さく揺れる火。ここに至るまで得ることができなかった、文明の証。これで暖を取れるし、貯めた蛇肉も食べることができる。水を沸かすことも、土器を焼くことも、気は早いがウサギとか鹿とかを狩ることができれば、膠も。それに灰もあるから服の洗濯もよりよくなる。


 揺らめく火を見つめる。


 ああ、火だ。

 火を得ることができた。

 自分で好きに扱える火を、ようやく。


「えりす、すごい!」

「ありがとうございます。何度か失敗しましたけど、なんとか成功しました」


 エリスははにかみながら、小枝を火のくべる。見れば、小さな火種を囲むように焼け焦げた文字が残っていた。魔術を使った跡だろう。


「えりす、ここ、き、えだ、おく。おで、ひ、マモル、いし、モチ、くる」

「わかりました。火を大きくしたら、お肉も焼きますね」

「タノシイ、まつ」


 私は火を育て始めた少女に頷き、川辺へと向かう。


 足が軽く、自然と口元が綻ぶ。

 私になってからもうすぐ一年。まだまだ足りないモノの方が圧倒的に多い。だが、それでも確かな一歩だった。




    ☩   ☩   ☩




 ぱちりと木が爆ぜた。

 夜の暗がりを背景に、たき火はゆらゆらと燃えている。仮の拠点は夜になって急に冷え始めているが、目の前の熱源がそれを和らげてくれている。

 私は椅子代わりの石に腰を下ろして、ぼうとしている。エリスは向い……ではなく、私の左太腿に座ってじっと揺れる炎を見つめていた。なんてこともない夕食後の休憩である。

 本当に久しぶりとなる暖かな食事だった。焼いた蛇肉は小骨が多くかなりの弾力であったが、淡白でそれなりに食べられた。しかし、やはりというべきか、一味足りない。最低でも塩が必要だと思わされた。


 ふっと息を吐く。

 まだ到着したばかりで詳しいこともわかっていない場所ではあるが、悪くないように感じられる。頑張って小屋の一つでも建てれば、ここで暮らしていけそうな気もする。だがそれは、私一人であったならば、の話だ。

 やはりエリスという命を預かった存在がいる以上、ここでは足りないモノが多い。オークの血が入った頑強な存在である私に比べれば、エリスは純粋なヒトだけに脆弱さは否めない。これを埋めるのが、ヒトの知恵と技術から成る文明でありヒトの群れたる社会だ。

 病になればどうする。怪我をすればどうする。足りない物があればどうする。知識が必要になればどうする。ここには、そういった事態が起きた時に対応できる術がなさすぎる。私は、そんな場所にこの少女を置きたくはない。


 夏の始まりまでには、相応に食料の備蓄や装備品を用意できればいいのだが……、いや焦りは禁物だ。急いては事をし損ずるというし、今はできることを着実に進めて行こう。


「どうか、しました?」

「アシタ、する、こと、カンガエル、する」

「わたしたち、足りない物だらけ、ですからね」

「そう。だから、ドウグ、ツクル。えりす、なに、から、する?」


 エリスはうーと唸った後、難しい顔で言った。


「まずは、器が必要です。水を入れておくモノやお湯を沸かすモノは今すぐにでも欲しい所ですから」

「なら、アシタ、あさ、カワ、ちかく、ツチ、ほる。あつめる。コネル。かたち、つくる。カワカス。ここ、ヤク、する」

「あ、あの、たぶん、それでいいと思うんですけど、その、どこでそういったことを聞いたんです?」


 どこだったかな。うぃっきーさん?

 本当に思い出せなくて、首を傾げる。


「おぼえ、ない。ただ、シル、する」

「むー、嘘を言っている感じではないですし、うーん、これもあなたの不思議な所です」


 私としては知らん顔をするしかない。


「えりす。ツチ、カワカス、トキ、ヤマ、いく、する」

「山で、なにをするんです?」

「いし。キレル、いし、ほしい。いし、ナカ、シオ、ほしい。あと、えりす、マモル、する、コンボ、さがす」

「岩塩のことかな? うーん、あるかな? ……あ、いえ、したいことはわかりました。ただ道中で、薪とかベリーとかを集めながらでもいいですか?」


 私は幾度も首を縦に振って応えた。

 簡単ではあるが、これで明日の打ち合わせは終わり。後は寝るだけだが……、まだ拠点は整備されてないし、今日も木の上でこれまで通り、二人で天幕の布を巻きつけて寒さをしのぐか。


 そんなことを考えていると、エリスが急に立ち上がって、私と相対した。


「あの、ずっと後回しになっていましたが、お聞きしたいことがあります」

「なに? おで、わかる、する、なら、コタエル」

「はい。……あなたのお名前を、教えてください」


 虚を突かれた。

 名前のことなんて、本当にすっかり忘れていた。


「ない。おで、ナマエ、ない」

「……そう、ですか」


 エリスがすごく申し訳なさそうな顔になってしまった。正直な話、私が私であると自認している以上、そんな深刻な話ではないのだが……、いや、普通のヒトなら大問題か。


「えりす、コマル、ない。おで、いま、カンガエル、する。すこし、まつ」

「え? ……えぇ?」


 はは、名づけなんて軽い軽い。

 ……なんて風に思ったけれど、意外と難しいというか思い浮かばないというべきか。かつての生での個人的な記憶は失われていてアテにならず、なら今の生での記憶を探るが、どうにも碌なモノがない。

 一番マシだった縁はかつてのまいほーむでの部屋番号だ。ならば、それをベースにと……十三番だったからジュウゾウ。でもこれだとなんだか、この世界にそぐわない感じがする。ジゾウ……そんな崇高な存在ではないからダメ。ジュゾ……読みにくいので、ジュゾーあたりいいかも。

 他に別の読みでトオサン。……私は父親だった? いや倒産に関係していた可能性の方が高そうだ。あと単純にオサでもいいか? いや、オサオサオサって囃し立てられそうなのでボツ。なら、オサン。中々しっくりくるけど、ストレートすぎるから、オーサンあたりも候補。

 後は、この鼻から引っ張るのもいいかもしれない。ピッグノーズあるいはボアノーズあたりから……、うーん、グノー、アノー。これは私の容貌と合わない感じがする。

 なら、私は混血であるからそのあたりから……、ブリッド。あ、なんかイイ感じがする。けれど、私につまるような発音ができるか? あまり自信がない。なら最初から、ブリド。……よし、ここまでの候補の中で、これがすっと入ったから、これにしよう。


「えりす、きめる、した。おで、ぶりど」

「ぶりど……ブリド、ブリドさん」

「そう。ぶりど、そのまま、で、ヨブ、する」

「あなたを呼び捨てにするのは、かなり抵抗がありますが……、いえ、はい、ブリド、と呼ばせていただきます」


 これで決まりだ。

 私がうんうんと頷いていると、エリスが表情をすっと表情を消して、これまでにない厳かさをもって告げた。


「見習い巫女ですらないわたしには、正式な権限はありません。ですがそれでも、わたしは、命名の場に立ち会った者として、御名を得たあなたに、地母神様の祝福を与えます」


 いや、祝福を与えるって、大袈裟な気がするのだが。


 エリスが目を閉ざし、すぅと息を吸う。


 ……え?


 今、急に空気が張り詰めた。


 なんだ……、これは?


 世界が止まったように感じる。


 それに、この身体に……違う、私という存在に、圧し掛かるような力は、なんだ?


「汝の名は、ブリド。この名付けをもって、現世に真の生を受けたこと、地の母ダ・ディーマが認める」


 なんだ、この目の前にいる、存在は。


「吾は祝福する。いかなる時も壮健であれ。いかなる時も勇敢であれ。いかなる時も寛大であれ。いかなる時も誠実であれ」


 これは、エリス、ではない。


「吾は助力する。汝、挫けることなかれ。汝、恐れることなかれ。汝、卑しむことなかれ。汝、虚ろうことなかれ」


 もっと強大な、ナニカ、だ。


「汝、異界の記憶を継ぎ紡いだ者。汝がこの世に生まれた意味は、汝が定めること。汝が思うままに決め、汝が思うままに生きよ。ただ叶うならば、この愛し子を頼む」


 ふっと重圧が消えた。

 同時に、エリスがふらりと倒れこんでくる。即座に抱き留めて顔を覗く。幸いというべきか、特に苦しそうな様子もない。ただ寝ているだけであった。


 私はただ、今あった出来事に、呆然とするしかなった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る