幕間 王都の変事


「それで、原因はわかったのか?」


 男盛りの男は不機嫌な顔を隠すことなく聞いた。

 彼の前にある大きな机には書類や筆記具が整然と配されており、主の為人を物語っている。


「は、調べました所、当時、王都神殿に詰めていた者、全てが死に絶えておりました。有益な情報を得ることは……」

「中からはわからんか」

「は、申し訳ございませぬ」


 黒く艶やかな机の前には三人の男達。

 その中で最も影の薄い男がただ頭を下げて縮こまっている。


 場所はカンネルヘン王国の王都王城。

 この一室は城において、もっとも大きな明かり取りを有しており、木戸が上げられたそこからは春の穏やかな陽光と共にたおやかな風が入ってきている。

 それらを浴びながら、城の主であり国を治める男、ルボン五世は自らの執務机を指をトントンと叩いて苛立ちを露わにした。


「既に二日だ。王都の地母神殿が崩れ落ち、城詰の神官が余の目の前で腐れ果ててから、な」

「八方に手をやり情報を集めておりますが、これに関わったと思しき者は見つかっておりませぬ」

「まったくか? 数秒で神殿全てが崩れ落ちるなどあまりにも恐ろしき所業、神官様方が腐れ死ぬとはいかなる呪いかと、都人の間で不安が広がっていること、余の耳にも届いておる。我が国の中枢、しかも余の膝元だけに、早々に始末をせねばならぬ。他国や他教、それら以外による工作の可能性はあるか?」


 三人の中より、小太りの男が額より汗を流しながら応じる。


「外務内務双方に確認を取りましたが、不穏な動きはございませんでした」

「ならば、地母神教団の動きは?」

「こちらはかなりの混乱をきたしているようで、逆になにが起きたかと問われるほどです」


 返答にふんと不快感を示しながら、王が口を開いた。


「教団の不始末で、こちらが迷惑を被っているというのに、自分の掌の内すらわからんというのか」

「神殿に詰めていた者のほぼ全てが場所に関係なく腐り果てました。生き残りは近郊で農業指導する者ばかりです。致し方のない面もあるかと」

「む……、そうか。わかった、話を戻す。此度の件、何者の手によるか、推測できるか?」

「では臣より」


 三人の中でもっとも年を経た男が長く白い顎鬚を撫でながら話し出す。


「陛下。此度の件、ヒトの手には余る所業と思われます。王宮魔術師殿にも確認しましたところ、神殿破壊も生体の腐敗も魔法によって起こせるか否かについては、可能であると見る。しかしながら、両者ともに簡単に為しえるモノではなく、なんらかの痕跡が現場ないし遺体に残らなければならない。しかしながら、両者ともにそれらが見つかっていない以上は、ヒトが魔法で為したことではないと考えざるをえない、とのことでした」


 王はその言葉を聞き、眉間にしわを寄せた。


「ヒトでないならば、超常なるモノが為したというのか?」

「そう考えた方が自然でありましょう」

「では、ナニモノが?」

「そうだと考えたくはありませんが……、おそらくは地母神の御業かと」


 刻まれた縦じわがさらに深くなる。


「なぜだ? なぜに、自らの仕える者達に、此度のことを為した? 己の神殿をも破壊するなど、聞いたこともないぞ」

「ええ、前例は……臣も存じませぬ。しかし、陛下もご存知の通り、神官や巫女が為す奇跡は、神との約に拠るモノ。此度の件、おそらくは約を、その重さを忘れ、違えた結果でありましょう。結果、神の怒りを、それこそ命で贖わせる程のモノを買ったのだと思われます」

「……老。つまりは、あれか? 此度のこと、先のバカ息子共の件が絡むと言いたいか?」

「さて、どうなのでしょう。神の御心は、我らヒトにははかり知れぬこと。ですが、古くより言われております通り」

「神は万物よりヒトを贔屓する。そして、自らの嗜好でより贔屓する。…………最悪じゃねぇーか」

「若、言葉が乱れております」

「黙れ、爺。……動揺もする」


 王は渋面を隠さず、大きく息をついた。


「老、今から巻き返せるか?」

「もはや終わったこと。故に不可能かと」

「はっきり言う」

「ですが、少なくとも今後は、唐突に人が腐れ果てるようなことはありますまい。神が自ら手を下すのは、自らと約を交わした相手のみ。些か大雑把で周囲への波及が大きいこともありますが、それも神が神たる由縁でございます」

「つまり、神殿が潰れたのは?」

「少しばかり振るった力が大きかったのでは?」


 この国一番の権力者は額に手をやって項垂れる。

 王はヒトの世において大きな権力を有するが、それ以上に強大なナニカが世界を見下ろしている。それを真の意味で実感したが故であった。


「もう知らん。……とは言えんな。先の件、教団に圧力をかけたのは我ら王国。責を取らねば、な」

「そちらは双方ともに責がありましょう。教団側が神との約、その重みを軽く見て受けたことも原因の一つなのですから。王国としては神殿再建の費用を幾分か負担すればよい程度かと」

「そうか。次は都人の噂への対処だが、なにか案は?」

「王都に降りかかった災いに気づき、防ごうとしたが力が足らずに自分たちを犠牲にした、とでもすればよろしいかと」

「ふん、吟遊共が喜びそうな話だ。それでいけ。最後に、我らが貶めた娘はどうする? 今更詫びようにも詫びきれんし、為したことが為したことだ、最早何を言っても受け入れられることもなかろう」

「ならば、王として親として犯した罪を背負い、いつか返ってくる断罪か死を迎える時の審判を待つべきですな」

「ふん、そのようなこと、とうの昔に覚悟しておる。復讐を踏みつぶす覚悟もな。……官房長、神殿の件、いつでもそうできるようにあらかじめ用意せよ。これには、バカ息子共の歳費から幾分か削って加えること、財務と宮内に伝えよ。……ああ、それと、バカ共の謹慎期間、あと半年伸ばせ」


 ははっと、小太りの男が畏まる。

 その直後、再び老と呼ばれた男が思い出したように話し出す。


「そうそう。古来より地母神の怒りを買うと、不快を為した地は少なくとも数年は作物の実りが悪くなるとも伝えられております。今から備えておいた方がよろしいかと」

「なら、そうせい。王室の歳費も使って構わん。足りんなら宝物庫を開け」


 ルボン五世は投げやりに応じた。

 一連の話をする間に、見目五歳ほど老けたように見える。しかし、まだ王を苛む案件は終わりではなかった。部屋の外より誰かが駆ける音が聞こえてきたのだ。扉前で侍る護衛騎士による誰何。至急との応え。使い番の印が改められ、扉が開く。


 現れたのは、王もよく知る王軍の使い番であった。

 砂塵で汚れに汚れ、顔には汗による泥模様。だが、それを咎め立てするものはいない。使い番は封印された書状を進み出た老人に差し出し、声を張り上げた。


「至急にて、ご無礼いたします!」

「許す」

「ドッケンヘン辺境伯より至急増援要請! ドーラント王国挙兵! 兵数おおよそ五千から八千! 既に国境は破られ、付近一帯の小領村落に火を放っております! ドッケンヘン辺境伯は寄り子召集! 集結までの間、偵察隊により情報を収集中!」

「大儀である。今の内容を王軍司令部に伝達。あわせて、第二、第三旅団の出兵準備を開始、主たる将は至急登城せよ、と伝えよ。辺境伯への返答は明朝七つ鐘に渡す。以上だ、行け」

「はっ!」


 使い番は即座に身を翻すと、部屋を出て行った。

 それを見送ることもなく、王は臣下に対して指示を出す。


「官房長。先に話していた内容に併せ、出兵にかかる用意を各省に伝達せよ」

「御意」

「影は現任務を一時中断。ドーラント軍の動きを調べ王軍を支援。以後はドーラント側に入り、流言及び攪乱を実施せよ」

「御意にございます」


 小太りの男と影薄い男はそれぞれ王に頭を下げると、足早に去っていく。

 扉が静かに閉められると、王は残る相談役に尋ねた。


「此度のドーラントの動き、狙いはなんと見る?」

「さて……、このところドッケンヘン辺境伯が頑張っておりましたからな。国境周辺において、我が国の影響力がかなり強まっておるのでしょう。加えて、ドーラントは連戦連敗で負けが込んいると周辺国に伝わっておるはず。彼らからすれば、ここらでそれを払拭せねばならぬ程に、内外の政に影響が出てきているのではないかと」

「調子よく勝ち過ぎたか」

「おそらくは。ドーラント側は強さを示すことが第一、国境周辺での影響力確保が第二、土地や財貨の収奪が第三、といったところでありましょう」

「ならば、こちらは最低限で追い払い、最良は侵攻軍の撃滅か」

「おや、土地は狙わぬので?」

「封土を治められる者が足りん」

「現実が見えておられるようで、臣も安心いたします。……しかし陛下、先のご子息様方の件より、色々と事が重なりますな」

「言うな。ああ、それと、恥と罪にはバカどものことを余すところなく書いておけ」

「畏まりました」


 王国の支配者は豪奢な椅子に身を預け、深々と溜息をついた。

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