8 脱走計画(計画できる頭はない)


 世の理不尽さは、私自身が今のなりになったこともあって身に染みている。

 だけれども、やっぱり他の人からもそういった話を聞くと、本当にままにならないものだと思い知らされる。


 ……。


 いや、現実逃避している時じゃない。

 話し終えて、くったりとした少女を見やる。途中、声に出して話すことで、往時に抱いたであろう感情が吹き出ていたが……、今は少し鼻をすするも口をへの字にして宙を睨んでいた。目はまだ潤んでいるが、剣呑な光がある。あれほど虚ろだった顔に、生気も戻っている。私の腕を掴む手にも力がある。


 思いと記憶を吐き出して、後に残ったのは、怒りや悔しさ、なのだろう。

 少なくとも、ここに放り込まれた時のように、泣いて黙って蹲っているより、遥かにヒトらしく健全だ。


 聞く限り、エリスの状況はどうのしようもなかったように思える。身分も立場も足りず、抗えない環境であった。

 だが、それでも何かできたかもしれなかった。どうにか抗うことができたかもしれなかった。一人で抱え込まず、誰かに助けを求めることができてれば。学院の中がダメならば外に仲間を求める方法もあった。

 いやそもそも、もうどうしようもないと思ったのなら、我慢せずにとっとと学院から逃げ出していればよかったのだ。……ただ、彼女は自分の望みと使命感から、それを選ばなかった。こればかりは悪く言えない。が、もう少し自分の置かれた状況を俯瞰……いや、何に重きを置くかは、ヒトそれぞれの価値観によるモノ。その時の彼女には、それを捨てることができなかった。


「くやしい。こんなになるなら、もっと……」


 呪詛のごとき、重く昏い声。

 今の、もう全てを奪われた状況であるが故に、エリスにも思う所が生まれたのだろう。


「どうして、わたしは諦めてしまったの? どうして、わたしは投げやりになってしまったの? どうしてもっと、もっともっと死に物狂いで、あの連中の、あの人たちの中の誰でもいい、刺し違える程に抗えなかったの?」


 ぎり、ぎり、と歯の軋む音がする。

 私は鼻息を一つ噴き出して、言葉を探す。何が正解なんてわからない。ただ思うがままを声に。


「ヒト、シンジル。エリス、した。それ、ダメ、なった。エリス、シンジル、オレタ。イヤ、に、なった」

「ああ、そっか。わたし、もう全部、嫌になってたんだ。だから、自暴自棄に……」


 その方向が内に向かったのが、今の状況。

 もし仮に外に向かっていれば、彼女はこの世にいなかったかもしれない。


 どちらが良かったかは、私にはわからない。

 それは彼女がこれから決める……決める…………、うん? これ、私の対応次第で、変わるってことか?


 ……。


 えぇ、どうするどうする。

 あー、なんでここで私の方に選択肢が来るわけよって生殺与奪が私の手にあるからなんですけど私自身も生殺与奪を握られていていつ死んでもおかしくないのに、いー、なんで私の今後の生活が保障されていない状況で他の人の分まで今後の生活の質を委ねられるってどういうことよほんとにもうそろそろ脱走計画を本格的に策定しようって時に、うー、これ連れてくの連れてかないのって話になるしいやでもよく考えたら貴重な情報源になるし対人交渉も任せられないこともないのかでも二人分の食事はまぁ適当にクマでも狩ればいいのではというかそもそもアレだヤるかヤらないかもあるし、えー、でもまだちょっと今は遠慮したいというかまだ臭いっていうかまだまだ汚れ残ってるしうーむーかわいそうなので抜けるのって二次元だけで私は基本的に抜けない派だしなーなんてことを思い出すんだかなしくなるでも別にヤればいいじゃないと思ってる私もいてじゃなくて、おぅ、ほんとどうしよう。


 うごごうごごと唸っていると、件のエリスが私の腕をトントンと叩いてきた。

 何事だと目を向けると、振り返った顔はきりりと引き締まっている。負の感情はそこに見えない。


 エリスはこくりと喉を鳴らすと、口を開いた。


「わたし、決めました。ここで、あなたと一緒に暮らします。お話もできますし、その、最初は、ほ、本当にものすごく怖くって食べられるのかと、お、思って、目の前が真っ暗になったりしましたけど、その、触れ合っていて、あんな顔だけの連中よりも遥かに安心感があるといいますか、わたしも自分ですっごくチョロいなとはわかっているんですけど、捕まってからはじめてほっとして身体から力が抜けたこともあるからといいますか、そもそも抵抗しようにもできないだろうから、それくらいなら優しくしてもらいたいなんて打算もかなりあったりというか、うん……うん、それと、その、は、初めてなので、と、と、とっても怖いですけど、その、あの、まぐわうことも、その、お、大きすぎたり長かったりするので、は、は、入るか、か、か、かなり不安ですけど、子ども産めるなら、き、き、きっと大丈夫だと、お、思うので、が、頑張ります!」


 これ、据え膳、って奴か。

 でも、やっぱり今の状況では落ち着けない。


 私は大いに困った顔をして見せた後、小さく首を振って自らの鼻を摘まんだ。

 エリスの覚悟に満ちた顔が、人生でもこれまでにないであろう特大の決意を受け入れてもらえなかったことで、ひどく裏切られたように歪む。しかし次の瞬間には憤怒の形相に変わった。マンガなら怒怒怒と背景がつきそうな程の不穏。ついで両手拳を硬く硬く握り締めて、私の腕を殴り始めた。固定された身体を精一杯使った殴打。頑張っているようだが、子どもの肩たたきめいた衝撃しかない。あと急所への攻撃はなかった。最低限のれぎゅれーしょんは守ってくれているようだ。


「乙女の覚悟をっ! なんだと思ってるんですかっ! バカにしてるんですかっ! 全てを奪われてっ! 何もかもを失ってっ! どん底まで落ちた女がっ、ここに来るまでっ! 誰もがせせら笑ったりっ! 憐れむように見る中でっ! 誰一人としてくれなかった優しさをっ、自然にくれる人がいたらっ、心決めるに決まってるじゃないですかっ! 頭フワフワになるにっ、決まってるじゃないですかっ! そんな風にバカにするくらいならっ、最初から優しくしないでくださいっ!」


 うん、元気なのはたいへん結構。

 真っ赤な顔は、さっきの虚無めいたモノより遥かによろしい。


 ただ、まだこっちは話したいことがあるのだ。


「オチツク。ハナシ、まだ、ある」

「なにがですかっ!」

「おで、コトバ、シル、スクナイ。ハナシ、マダ、ムズカシイ」

「それでもっ! ちゃんと話してくださいっ! 声にっ、出してくださいっ!」

「ワカル。カクゴ、ワカル、した。ウケル。でも、今、チガウ」


 ピタリとドラミングが止まった。

 目が合う。涙で濡れた目だ。怒りと哀しみと不安と期待が入り混じったぐしゃぐしゃの顔。でも可愛く見える。同時に、なんとない罪悪感にかられた。

 先の話を聞いてから、ほだされているのがわかる。会って半日もしない相手にだ。けれど、それでもいいのかもしれない。元よりこの身に寄り添ってくれそうな女は考えられなかったのだ。それが一時の気の迷いとはいえ、そうしてくれると言ってくれたのだ。


「ココ、オチツク、ない。バショ、ヨイ、ない」

「それは……、そう、ですね」

「ココ、ヒト、おで、から、えりす、トル、アル。ベツ、ヘヤ、イレル、アル」

「そんなの、嫌です! ……決めました。ジボ様の教えに反しますが、もしそうなるなら、舌噛み切って死にます」


 あかん。

 声と顔が自然すぎる。

 本気で覚悟決めたこの子。


 動揺を抑える為、一息。


「おで、マエ、から、ニゲル、カンガエル」

「えっ」

「イツ、ヤル、ドコ、イク、カンガエル」


 エリスは私の話に驚き、戸惑っているようだ。

 無理もないだろう。まさか檻の中に収まっていた怪物が虎視眈々と逃げる気を伺っていたのだから。


「本当ですか? ……いえ、あなたなら、うん、当然ですね。失礼なことを言いました」


 信じたようだ。

 これまでの、私のあふれでるチ的行動の賜物だろう。


 とはいえ、私の脱走計画だが、具体化が進んでいる訳ではない。

 いつでも逃げ出せる自信はあっても、まだ逃亡先の選定やどう暮らしていくかについて詰め終わっていないのだ。もちろん聞き耳を立てて頑張っているのだが、やはり情報源がないのが痛い。最悪は山地に逃げ込んで、後は行き当たりばったりかなとも考えていた。


「おで、ドコ、イク、ワカル、ない。えりす、ドコ、イク、カンガエル」

「お答えする前に聞きます。……逃げる時、わたしも、その、連れて行って、くれますか?」

「タスケ、する、なら」


 じっと見つめあう。

 怪物と乙女。絵になるのかならないのか。


「わかりました。お手伝いします」

「タノム。えりす、ナカマ。ニゲル、イッショ」

「はい、絶対に、一緒に、です」

「ヤクソク、する」

「はいっ!」


 私の計画に大きな希望を感じたのだろう、エリスはとても嬉しそうに笑った。


「アト、クサイ、ホントウ。コウビ、ナイナイ」

「それはいりませんっ! 余計な言葉ですっ!」


 ぐぎぎぎがぁががあああぁと乙女ならざる壊れた咆哮と共に、怒りのドラミングが再開された。


 私はそれに応えるべく、げはっと笑って見せた。

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