7 おいたわしいこと


 急速に感情が抜け落ちた少女。

 それだけじゃなくて、全身からも力が抜け落ちて、身体を隠そうとしていた両の手もすとんと落ちた。顔に血の気はなくなり、目も虚ろ。目の前に男のブツが揺れているというのに、反応もしない。まさに虚無です虚無。


 いったい誰がこんなひどいことを……。

 これもやっぱり、私、ですかねぇ。


「ふ、ふふ。ええ、ええ、なんとなく、わかってました。とらえられてから、ずっと、きのみきのまま。ぜったい、くさいんだろうなって。まわりのひと、わたしを、みるとき、とても、いやそうなかお、してました、から」


 呟きに、うんと頷く。

 真実は人を傷つけるけど、それでも相手の言葉を肯定してあげることは大切だと思う。少女の口元がひくりと歪んだ。

 だが、それは見えなかったことにして、近くの手桶からそっと水をすくって頭にかけた。油が浮いているのだろう、内に染みることなく表面の汚れをわずかに含んで流れていく。それを何度か繰り返してから、そっと地面に跪かせて、頭のもみ洗いを始める。

 髪は砂埃と垢が油分で癒着して固まっており、臭いも汚れもひどい。害虫がわかなかったのは奇跡だ。無言のまま、水を浴びせてはもみ洗い。これを何度も何度も繰り返す。途中、水を補給しに行ったが、少女はその場から身じろぎ一つしていなかった。

 ある程度髪が解れて、もうこれ以上の改善は無理かなと思ったあたりで水気を切り、自らも足元の砂で水気を取って身体に移る。手を引いて立たせた後、また手を濡らし、強く擦り付けないようにゆっくりと肌に触れる。

 まずは顔。二重瞼。眼孔の落ち込みと色濃い隈がひどい。少し虚ろな、翠色の瞳がじっと私を見つめている。額を頬を、顔を構成する全てを手指で撫でる。抵抗はない。為すがままされるがままだ。


「……ん」


 顔が終われば、次は本番の身体。私の掌は硬くざらついている。垢くらいは落とすことはできるだろう。何度も手を濡らしながら、上から順に進めていく。私と違って細く柔らかいだけに、丁寧に丁寧に。細い首筋。手首に赤い擦れ痕。手枷でも着けられていたのだろう。腕や背中に薄い痣。前に叩かれたか蹴られたか。足には細やかな掠り傷があちらこちらに残る。でりけーとなぞーんにも手を入れたが、意外にも拒否しなかった。


「ん、んんっ」


 気持ちが良いのか、もうどうなってもいいと開き直ったのか、少女は時折声を漏らしつつも全てを受け入れた。結果、薄汚れていた肌も幾分かマシになり、最後に水を浴びせれば黒い濁りが排水の溝へと流れていった。

 ある意味全身のマッサージでもあるこれが功を奏したのだろう、少女のまだくすみが残る白肌に赤みが戻った。ただ残念なことに臭いは取り切れていない。それでもさっきに比べれば、雲泥の差だ。


「あ、ありがとう、ございます」


 私は頷きで応え、少女の服を手に取る。まだ日は高い。洗って干せば、少しは臭いもマシになるだろう。




    ☩   ☩   ☩




 さて、城壁にぺたりと服を張り付けて洗濯終了。

 いやー、N日分の汚れと臭いは強敵でしたねぇ。


 なんてさわやかな気分で背伸びをして腰を下ろす。いつもの胡坐。今日は急な出来事があっただけに、ほっとする。それから寝床へと目を向ければ……、天幕の下に置き去りにした少女が女の子すわりでこちらを見つめていた。思わず首を傾げる。


「あ、あの……、その……、そちらに行って、いいですか?」


 なんで?

 いやいやいや、なんで?

 普通、年頃の娘がこれから性的に襲いかかってくる怪物の傍に行こうなんて思わないだろう。故に首を反対側に傾げて見せる。


「わ、わたしも、日の光を、その……あび、たくて……」


 あぁ、水浴びの後は肌が冷えるか。

 了解了解。外の連中からも、城壁の真下は張り出しで見えないし、多少見えてもこの中なら手は出されない。うんと頷いて見せれば、少女は緊張しつつも天幕の影から出てきた。

 春の柔らかい陽を浴びれば、黄金色の髪がくすんだ輝きを返す。細身の裸体もまた、陽光の中で、少女らしいそこはかとない色気と若さゆえの美しさを魅せつけてくれる。……まぁ、臭いがあるから硬くはならないんですが。

 そして、肝心の少女はというと、照れも見せぬまま私の傍らに来たかと思えば、クルリと身を翻し、私の胡坐……左太腿の上に腰を下ろした。他人の、それも柔肌に心跳ねた。この思い切りのよすぎる行動には目を丸くするしかない。


 少女は私に背を預けると、前を向いたままぽつり呟いた。


「もう、ここしか、わたしのいばしょは、ありません」


 微かに震えている声に、思わず天を見上げる。

 日を隠しそうな雲は見られない。私としては、この少女とどう関われば良いのか……オークの血筋らしくただ慰み者にすればいいのか、それとも生活の異物として腫物のように扱えばいいのか、はたまた一個のヒトとして接していけばいいのか、正直わからない。


 ただ、私が私としてある為に、今必要なのは、知ること、だろう。


「ナマエ、は?」


 重苦しい声。

 だが、これでも濁音は減ったのだ。


 対する少女からはひゅっと息を呑む音。


「あ、あのっ、は、話せる、のですか?」

「スコシ、だけ」

「そう、ですか。…………わたしは、エリスです」

「えりす」


 よし覚えた。


「えりす、は、ナニ、もの?」

「わたしは、地母神ダ・ディーマ様の巫女……その、ええと、王国東部にある地母神様の神殿で、神様にお仕えをする役目の見習いでした」

「どうして、ココ、に?」

「ながく、なります」

「オボエ、ない、ある。ワカル、ない、ある。けど、キキたい」


 話すことで、また心が傷つくかもしれない。

 でも、頭の整理がつくかもしれない。今まで表に出すことができなかった感情を吐き出すことも。


 私はエリスの腹に腕を回す。柔らかいが薄い。体温が低く感じて、そのまま身体を引き寄せた。


「ジカン、ある。ハナス」

「わかり……ました」


 エリスは一つ息を吸うと話し出す。


「地母神様を、いえ、神様を信じ崇めるヒトの集まりを教団、というのですが、その教団の一つに、わたしは所属していました。そこでは毎年、学院と呼ばれる場所に、若い見習いを数人送り込んでいます。これは王国との繋がりを良好に保つためであり、農耕や植林、畜産などの新たな技術を取り入れる為です。わたしもその一員として新しい農法や術式を学んでいました。ただ、その、わたしが入学した年は、王太子殿下をはじめ、第二王子殿下、王太子殿下のお付きとなる王軍主将のご子息様と王宮魔術師のお弟子様、そして、そんな方々の婚約者やその候補といった具合に、将来の王国を背負う方々が多数おられたのです」


 へぇ。


「自然、将来の首脳を担う方々と、ええと、仲良くなりたい方々がたくさんおられる訳でして……、常よりも多くの方々が入学されました。その結果、学ぶ場が足りなくなりまして、本来ならば、技術を学ぶ人と人の繋がりを求める人は、同じ場で学ぶことはないのですが、わたしの年だけが違ったのです。王太子殿下と知遇を得たのは、そういった場の一つでした」


 ほう。


「わたしとしては、いつも通りに普通に学んでいただけなのです。ただどういう訳か、近くに座っていらした王太子殿下が、その……、本当に急に、君の学ぶ姿はとても美しい好意に値する、などと言い出しまして、それからなぜか顔を会わせる度に話しかけてこられまして……もう、なんで、わけわからない」


 ふむ。


「王太子殿下がことある度に話しかけてこられる為、自然とお付きのお二人や第二王子殿下とも接する機会が多くなりました。特に特別なことをした覚えもありません。ただ普通に話をしていただけで、遊びに行くとか二人きりで会うなんてことも一度もありませんでした。……なのに、どういう訳か、お三方も、こちらに構ってくるといいますか、関わりを持とうとされまして。……本当に困まらされたといいますか、自然な姿がいいとか遠慮がなくていいとかありのままで接してくれて嬉しいとか、なんなのよ、ほんと好き勝手言って、きもちわるい。他にもなんか、光神の神官見習いがちょっかいかけてきて、勉強のじゃましてくるしっ、短期留学生の世話役をしたら、なんか向こうが図に乗って、俺様の嫁になれなんて言い出して、ほんっとうにっきもちわるいっ!」


 うん。


「わたしはジボ様に仕える者として、少しでも農作物の収穫量があげられるような技術を覚えて、多くの人たちに伝えたかった。わたしが、わたしがいた救護院がそうされて、みんなが生き延びることができたからっ! だから、学院に行って学ばせてもらっていたっ! なのに、なんで、どうしてっ。わたしは将来の首脳なんかと知り合いたくなんてなかったっ! なんとか距離を置こうとしても、身分の差があるから、やんわりと断りを入れることしかできなくて。なのに、向こうは奥ゆかしいとか気にするなとか言って、引いた分だけ詰めてくるし! こっちの都合を考えない連中に構われても、なにも嬉しくなんてないのにっ! あんな連中なんてっ、本当に、なんの興味もないのっ! もうこちらからはどうのしようもないのっ! なのに、どうしてっ、あの人たちは、わたしを……、わたしだけを……せめるの? どうして? どうして、わたしのはなしをきいてくれないの? わたしはどうすればよかったの? なんで、わたしだけがわるいの? なんで、ぜんぶわたしがわるいのっ! なんで、なんでっ。なんで! いろめなんてつかってない! もしほんとにそんなのするなら、一人だけにしてるっ! しりがるの女だって、おとこをもてあそぶあくじょだって、なんでっ、どうしてっ、わたしがなにをしたっ! なんで……、あの連中がいさかいを起こしたなんて知らないっ! あの人たちとあの連中が仲違いしたなんて知るもんかっ! なんで、ぜんぶわたしがしたことになってるのっ! なんでわたしがぜんぶわるいことになってるのっ! こんなのぜったいおかしいっ!」


 ……。


「ぐすっ。ひっく。……わ、わたしは、あの人たちに、王国の未来……将来を担う人材を弄ぶ悪女として、王国政府に告発されました。その結果は……ふふ、婚約破棄だとか真実の愛だとかで、あの連中とあの人たちは、色々と揉めたそうです。勝手に盛り上がって勝手に騒いで、ほんと、ばかみたい。……でも親が出張るほどに事が大きくなりすぎたことで、収拾が面倒になりました。王国はあまりにもばからしい騒動をなかったことにしたいし、未来の首脳陣に傷も残せない。ならどうするか。原因をなくせばいい。……わたしは王国により処断されることになりました。王国の圧力に、教団はわたしを庇いだてできず……いえ、違いますね。わたしは、切り捨てられました。教団にとってみれば、わたしは末端も末端。孤児上がりの下っ端なんて、不利益を被ってまで助けたいと思う存在ではなかったのです。……後に残ったのは、なんにも後ろ盾もない巫女見習い。いえ、もうそれですらない。わたしという存在は、教団にも、学院にも、存在しなかったことにされました。何者でもなくなった私を、守ってくれる法はありません。全てが公にされないまま、わたしは王国の秩序を乱し、王侯貴族の間に不和をもたらした罪人とされました。そして、わたしは、あの人たちの手に捕らえられ、あの人たちの溜飲をさげさせるために、ヒトとして女として、最大限の辱めをあたえられることになって……、特にわたしを目の敵にしていた、ドッケンヘン辺境伯令嬢の預かりとなり……、ここに、来ました」


 ……おお、もう。


 嘘か誠かはこの際置いて……、うん、なんていうか、ただただ、おいたわしい。

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