幕間 ある詩人のネタ集め
オルトレート大陸の西半分をおおよそ支配する国がある。
正式名は長くてわかりにくいので省略するが、世間一般には帝国と呼ばれている。
この帝国にあって、中央とは当然ながら最高権力者たる皇帝が住まう帝都。
国の中枢たる帝都には全てのモノが集まってくる。物、人、富、金、知。ないものがないと言えるほどに。自然、満たされれば栄えるし、諸々の勢いも盛んになる。中央とは栄えるべくして栄えるのだ。
そんな栄華極める都から距離があるということは繁栄からも遠ざかることであり、衰退とまではいかなくとも置き去りにされることにはなる。人はそういった中央より遠く離れた場所のことを辺境という。
広大な帝国には、当然ながら幾つもある辺境。
その中の一つに、いつの頃からか『帝国の最果て』と呼ばれるようになった街がある。
その云われは、往時の権力者が政争で敗れて左遷された先であったからだとも、帝国成立時よりまったく発展していないからだとも言われているが、定かではない。
いささか不明様なあだ名を持つ街の名は、イグナチカ。
王国との国境経済圏より外れてしまった辺鄙な街である。
そんな小さな街はとある宿屋の食堂にて、一人の吟遊詩人が話のネタを求めて居座っていた。
この所、イグナチカの周辺村落で行商をしている者達が面白おかしく聞かせていた、『山の怪物の賊退治』なる話の元を探して、ここまで辿り着いたのだ。
その詩人、年の頃は若者を脱した辺り。楽器を奏でる腕はそこそこ、歌声もまあまあ、顔立ちは見れなくもないと、はっきりと言ってしまえば、吟遊詩人としては光るモノはない。精々が並の腕前であった。
それだけに、少しでも面白い話を仕入れたいと、少し離れた都市から『帝国の最果て』まで出向いてきたのだ。
「……って訳よ。いやー、ほんとすげぇぜ、あの旦那はよぉ」
「んだんだー、旦那を見てるとよー、見た目なんてのはよー、はっきり言って重要じゃないんだってわかるもんなー」
「いやいやいや、あれはあの旦那だからだって」
三人の日雇い労働者もとい冒険者の男たちが、ちびちびとエールを飲みながら話をしている。
詩人は杯を傾けるふりをしながら、全力で耳を傾ける。その中身はほぼない。普段から儲けが少なくて使える金も少ない。けち臭くても仕方ないのだ。
「今日も石材を一人でひょいひょいっと来た」
「あれ見た瞬間、賊を一人で潰したって噂は本当だったって、信じたよ、俺は」
「確かに。でも、ほんと助かるよなー、おかげでゆっくりと安全に位置を調整できるしよー」
「手当二人分出してるって聞いたけどよ、それでも足りねぇよな、あの働きだと」
「そらなぁ。それを監督から聞いて、最初に文句言った奴、旦那の仕事ぶりを見て、すぐに真っ青になったもんなぁ」
「あはははっ、覚えてる覚えてる。出すもん出したら、俺も同じだけ仕事してやらぁって啖呵を切っておいて、旦那が石材を軽く持ち上げた瞬間に、どげざーってしたもんなぁ」
これだっ。
これに違いないと、詩人は興奮を隠しながら興奮する。
「まー、旦那は全然気にしてなかったし、監督も笑って流したからよかったよ、あん時はさ」
「あの時の旦那、なんかこう、よかったよなぁ。バカ言った奴をそっと立たせて、だれ、でも、まちがい、ある。がんばる、する、しようってよ」
「そうだよなぁ。俺達なら煽り倒しそうだ」
「ちげぇねぇな」
げらげらと笑う男たち。
なにかが違うような気がすると、詩人は首を心持ち傾げて続きを待つ。
「ま、実際、旦那が来てからよ、現場の空気、ちょっと変わったよな」
「ああ、前はなんちゅーかこう、いやいややってたっていうか、さぼろうとしか考えてなかったもんなぁ」
「それが今じゃキリキリ進むってなもんだ」
「そら、一番大変な所を旦那が文句ひとつ言わねぇで請け負ってれているからよ。疲れが軽くなるなら、まだやる気もでるってもんさ」
「それに、旦那が色々と身体の使い方を教えてくれたから、腰が楽になったもんなぁ」
「ああ、それもあったなぁ。こし、だいじ、もちかた、こう、ってな」
おかしい。
怪物……怪物? 怪物の要素、どこ?
「最初は顔が怖くて、ろくに口もきけねぇもんだったが、今じゃ旦那を交えて賑やかにやれてるよなぁ」
「休憩中はな。仕事中はピリッとって奴だ。おかげで作業が進む進む」
「でも、上手くいくといいもんだよ。気分いいし、監督もニコニコで、手当も多少だが色もつくしな」
なにそれうらやましい。
詩人は静かに歯噛みした。
「それに、旦那が囲い込んでる……というか、あれは養ってる感じの方が強いけど、あの子らの可憐さよ。たまに軽食を届けに顔を出しに来るけど、ほんとイイよなぁ」
「わかる。この辺にはいない感じ、いいよ」
「うん、いい」
「心優しく力持ち。多少の顔の難儀なんざ吹き飛ばすってか?」
「そこは正直うらやましい」
「ほんとそれな!」
「俺達も賊の一つでも潰したら、可能性はあるかもしれん」
「(潰せ)ないです」
「(命が)ないな」
詩人はなんか違うと頭を抱えた。
その翌日。
懐と相談しながら、詩人はまた食堂の隅っこでエールを呑む。ちびりちびりと、みみっちく。
宿の女将は彼の持ち込んだ物から素性を見抜いており、ただ苦笑していた。
そして、詩人の耳にある男たちの会話が届く。
「お前、知ってるか?」
「なんの話だよ」
「あの、見た目ブタの気に食わねぇ野郎の話だよ!」
「ちょっ! ……お、お前な」
「なんだよっ」
「いいか、落ち着いて、周りを見ろ」
詩人もつられて食堂を見渡す。
大半の者が二人を……、正確には悪態をついた男を見ている。
……その視線の多くは、好意的なモノではなかった。
「ここに来てまだ短いとはいえな、あの旦那はもうお前以上に信用されてるんだ。悪く言うのだけはやめとけ。いいな?」
「あ、はい」
詩人もぞくりと身震いした。
ヘタなことは聞けないし、唄にもできないぞと。
「で、あの旦那がどうしたよ」
「あ、ああ。……ほら、この前にバカでかい斧を担いで南東の山に行ったって話あったろ?」
「覚えてるぞ。切り倒したっていうバカでかいトレントを引きずって帰ってきた話だろ? 中から琥珀も出てきたって奴」
「それだ。それに関わるんだが……、今日ギルドで職員がな、ゴツイや……旦那の話を元に、山を調……」
急に小声である。
詩人の耳に届かない小声である。
なんで声を細めるんだよっと、彼は歯噛みする。
「おまっ、それマジかっ!」
「ああ、明日の朝に発表するって言っててよ。例の旦那にも、金一封出すって話だ。それが気に入らねぇんだよ」
「ばっ! んなこたどうでもいいっ! こうしちゃいらんねぇ。女将さんっ! 二人分の代金、ここ置いときますっ!」
「お、おいっ!」
「ばかやろっ! お前、今の情報の価値がわかんねぇのかよっ。いいからこいっ!」
男二人が、正確には一人に引っ張られる形でばたばたと出ていく。
それを見ていた数人の男たちも席を立ち、静かに宿を出ていく。話が聞こえていたのか、その顔は赤く興奮に満ちていた。
詩人の男には、何が起きているのかはわからない。
だが、なにかが、そうなにか面白いことが起きようとしているのではないかと、直感が囁いていた。
明日は夜明け前に冒険者ギルドに行ってみよう。
そう決めて、席を立った。
そして、翌朝の夜明け前。
詩人は眠さをこらえて、街の広場に立っている。
見れば、冒険者ギルド前には既に数十人の男たちの姿。誰もが何らかの武装をしている。少しざわめているようだが、変に気が立っている様子はない。念のための警戒なのか、数人の衛兵もいた。
本当に、これはいったいなんなのだ。
聞こえてくる声に、何を待っているのかわかる内容はない。
まだ全容も掴めぬまま、詩人は日の出を待つ。
やがて日が昇り、人が増えた。
人だかりが気になったのだろう、周辺には住民の姿も見える。
北東の城塞から、時を知らせる鐘が鳴る。
鐘六つ。ギルドが開くと……、少しくたびれた顔の中年男が姿を現れた。男は隠しきれない苦笑を見せながら人々を見渡す。そうしてしばらく間を置き、大きく息を吸うと声を張り上げた。
「皆さん、おはようございます。どうも耳が優れた方が居られたようで、この場の諸兄はいくらか知っておられるようですが……、こほん。今日は、このイグナチカにとって、また冒険者諸氏にとって、とても良き日となります。このイグナチカより南東に位置する山、タリカラモにて、ダンジョ……いえ、失礼、違いました、えー、開かれた魔の領域が確認されました! イグナチカ政庁との協議の結果、冒険者ギルドはこれをタリカラモ領域と命名し、冒険者諸氏に開放することを宣言します! 同時に、同領域に出入りする際には、当ギルドでの報告を義務付けます! ……皆さん、よき冒険をっ!」
どわっと野太い歓声が沸き、男たちが次々にギルドの中へと飛び込んでいく。
住民の間でも少しずつ話の内容が、その意味が浸透していったのか、大きなどよめきと歓声があがった。
詩人は、それら全てを、肌で感じて見聞きした。
それからしばらくして、彼はようやく気づく。自分は、少なくとも、一つの街が大きく変わった瞬間を見たのだと。
彼は震える腕を握り締めながら、これから見聞きする全てを、自らに叶う限り体感して記憶しようと心に誓った。
これは後のこと。
かの詩人が大成したかについては、わからない。
ただ同時期に、作者不明の『イグナチカ狂騒曲』、『辺境衛兵の誉れ』、『辺境怪道・手足道』、『タリカラモの琥珀』、『麗しき地母神像』、『辺境の賢』、『失格騎士譚歌』、『山の怪物と皇女様』、『深山幻湯殿』、『イグナの黄金』といった幾つもの唄が生まれており、多くの吟遊詩人を介する形で、冒険者や辺境の人々に人気の題目として、大陸全土に広まっている。
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