幕間 ドッケンヘンの噂


 ドッケンヘン。

 カンネルヘン王国北部貴族の領袖たるドッケンヘン辺境伯のお膝元である。

 北部の中心都市となるだけあって相応に栄えており、定住者だけで数万の民が住んでいると言われている。

 とはいえ、大多数の者たちは日々の営みに追われていて、暮らし向きは決して楽なモノではない。この稼ぎなら食っていける家族を養える老後までなんとか。と、そんな訳で余暇や娯楽の類を楽しむ者はそう多くはいない。

 もっとも、この国においては権力のある貴族や財力のある大商人、堕落した宗教家なんてものを除けば、皆そんなものである。その日暮らしの冒険者や貧民流民なんて言うまでもなく、騎士だろうが役人だろうが兵卒だろうが庶民だろうが、余裕なんてないのだ。


 ただ、そんな中で唯一許されているというべきか、権力者によるガス抜き或いはヒトが生まれた時からの宿痾か。大多数に娯楽として嗜好されている、酒だけは大々的に飲まれている。


 領都でも、大通り裏通り横丁に川湊近くの屋台と、様々な場所に酒を供する場がある。


 仕事帰りにちょいと一杯。

 ちょっと贅沢に、簡単な気分転換に、数杯。

 イイこと悪いことがあったから、明日を考えずに、十数杯。


 今夜も、どこの酒盛り場は賑やかだ。

 そして聞こえてくるのは、ヒトからこぼれ出る話。知らず知らずのうちに、ヒトからヒトへ、土地から土地へ、染み渡るように広がっていく噂だ。



「国境の小競り合い、ここの所、負けなしらしいな」

「それ、あれだろ、あれ」

「あれってなんだよ」

「あーっと、あれ、そうあれだって、あれあれ」

「辺境伯様が肝いりで作った亜人部隊だろ」

「そー、そうそれ。オークの血を組み込んだっていう奴」

「おっそろしいことすんなぁ。魔物の血を取り込むなんてよ。……光神教の連中が許さんだろ」

「お前、本気でそんなこと信じてんのか? 連中が許すも許さんも、天秤に乗せるモノ次第だろ」

「そうそう。怖いってか、まともに教義を実践してるのは大神殿くらいで他は適当だぞ」

「連中、光物に目がないからしゃーない。お前もたぶん目つけられてる。今も後光が……」

「るせぇ! だれがハゲだだれが!」



「北の方の国で、なんか勇者が認定されたって話だ」

「へっ、そんな連中、色街にもここにも、いっぱいいるだろ」

「そういうのと違うくて、国が公式に認めたとかなんとか」

「なんでわざわざ国がそんなことすんだ?」

「なんか魔物に占拠された都市を取り返すんだってよ」

「けっ、普段偉そうにふんぞり返ってる連中が動けばいい話だろ」

「ふんぞり返ってるからひっくり返って動けねぇんだろうさ」

「けけ、どこでもお上は頼りにならねぇって奴か、ってどうしたよさっきから黙って」

「あー、いやなんか聞いた覚えがあったから思い出してたんだよ。確か、魔物が魔王を名乗って周りの村落を襲ったって話だ。襲われた村からあちこちに逃げ出して、周辺もエライことになったらしい」

「くく、大げさに言ってるだけで魔王なんていないさ。んなもん、おとぎ話だけだぞ」

「だよなぁ。魔物が出たのは確かだろうけど、魔王なんてのは、なぁ」

「夢がないけど、そうだろうなぁ」

「ま、実際がどうだかしらんが、選ばれた勇者様には頑張ってもらえばいいさ」

「そら大丈夫だろ。なんか選ばれたのって、三十人近いらしいし」

「はっ?」

「くく、矢も数打ちゃ、どれか当たるってか」



「ちょっと聞いとくれよ! 隣の旦那なんだけど、向かいの奥さんと浮気してたのよ!」

「はー、お盛んだねぇ」

「それだけだったらたまにある話だけど、ここからがまたひどくて」

「うん?」

「向かいの奥さんの旦那さんが、その隣の奥さんと浮気して、その旦那さんがうちの隣の奥さんと浮気してたんだんよ!」

「うん? なんかめんどくせぇなぁ」

「まったくだよっ! 昨日の夜なんてぎゃーぎゃーぎゃーぎゃー、ほんっとにうるさくってうるさくって仕方がなかったわ!」

「まーまー、巻き込まれなくって良かったって思いなよ」

「なに言ってんのよ。うちだけが仲間外れなんて、こっちが恥ずかしくなったわ!」

「ええ……」



「この所、街道に出てくるゴブリンが多くないか?」

「んー、そう言われてみれば?」

「連中臭いし魔石も碌なモノ取れないしで、ほんと勘弁してほしい」

「ま、どっかから流れてきただけだろ。それよりも東の方でダンジョンができたって話、聞いたか?」

「あー、それ斡旋所で聞いた。けど、ほんとかどうかわからんねぇぞ」

「確かに本当かはわからんが……、この先もここで燻ってるのもどうかと思ってなぁ」

「まさか、行くのか?」

「行く気でいる。……何もない所から、剣を手に入れた、防具も一揃い、戦い方も覚えた、旅の仕方も女の扱い方も。ただ髪だけはなくなったが、な」

「髪は……蒸れるから仕方ない」

「お前もな。……で、ここらで一つと思ってな」

「そう、か」

「お前も、どうだ?」

「考えさせてくれ」



「兄貴の友達の友達から聞いた話なんだが……、王都の学院でなんか騒動が起きてるらしい」

「あんたの兄貴って、確か……」

「ああ、乗合馬車の護衛だ。昨日、王都から帰ってきたから、話を聞いたんだよ」

「それで聞いたのが?」

「そう。学院の騒動」

「……あー、あたしは学がないからさ。間違ってたら教えてほしいんだけど、学院ってあれだよね。辺境伯様の学問所の大きい奴」

「おしい。近いけど、違うな。学問所は役人になるために必要なモノを学ぶところ。で、学院ってのは王国が設立したモンで、難しいことや新しい術を調べたり、貴族の子弟とか色んな宗教の神官の顔繋ぎの場であったり、王国中のとっても頭のイイ連中に学を与えたりする場所だ」

「おー、なるほどなー。けっこう違うんだ。で、その騒動って?」

「色恋沙汰」

「ほうほうほう」

「意外と食いついてくるな。お前も女ってことか?」

「るっさいわね。女かどうかはあんたが一番知ってるでしょ!」

「ごもっとも」

「わかったらいい! ……で、どんな話なのさ」

「ああ、一人の女を巡る貴公子達の話さ」

「ほうほうほうほうほう」

「そんな声で喘がないでく、あたっ」

「はよ続き」

「はいはい。その女ってのが、まぁどういう性格なのかもどんな美人なのもわからんが、とにかく男どもを惑わしているらしくてなぁ。うちの王太子に第二王子、王軍主将の倅、王宮魔術師の弟子、光神教会の神童、さらには北のドーラント王国の第三王子と、まぁ、そうそうたる面子に言い寄られてるらしい」

「うっわっ、すご」

「これがまた面白いもんでよ。男どもも女の歓心が欲しいから身を寄せていくけど、恋敵とバッタリってな具合で常にぎすぎすしているらしい。そして、それを見ることになる男どもの婚約者とか想いを寄せてる女もいい気分がしないってことで、例の女への風当たりがひどいって話だ」

「うへぇ。聞くだけで十分だわ」

「はは、しかし、それだけ言い寄られるような女って、いってぇっ!」

「あんたはあたしでじゅうぶん、でしょう?」

「お、おう」



「南部での嵐の被害、酷いようだ」

「らしいな。ま、それはそれとして、こっちは稼ぎ時だ」

「建材で足りない分を補うため、北部の木を王都に、王都の木を南部にってか」

「へへ、明日からまた楽しい楽しい川下りって奴だ」

「お、川下りで思い出した。西のほれ、最近、領土を拡大したっていう帝国が、なんかモノを運ぶために変わったものを作ろうって話だ」

「へぇ、ほぉー、どこまでほんとうなのかねぇ」

「いやいや、今回のは本当だって」

「そうやってこの前スライムの粘液は髪の毛を生やすのにイイなんて言われて使ったが……、今度はだまされんぞ」

「あ、あれ、やっぱりだめだったか」


「またかみのはなししてる」



 ドッケンヘンの夜は更けていく。

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