3 我、人ならざりや?


 飛行船がイグナチカに到来してから、三日経った。

 大きな代物が岩塊の上に鎮座したことで、住民たちは落ち着かない様子だ。直接的な影響はなくても、常と異なる状況を目の当たりにすると調子が狂うのだろう。


 私はというと、これまでとあまり変わることはない。

 終わりが見えてきた水路工事を粛々と進めつつ、エリスの買い物に付き合ったり、フィオに言われるままトレントを製材したり、居候たちの鍛錬に付き合ったりしていた。


 そして今日は、水路工事も終盤ということで、マキラに一度報告しようということになり、政庁に向かっている。

 付いてきているのは、エリスとフィオ。留守は鍛錬をしている居候たちに任せた。


 広場までの道行き、三人並んで歩いていると、フィオが飛行船を指さして言った。


「あれ、師匠から空を飛ぶ船があるって聞いてたけど、ほんとだったんだなー」

「きいた、ある?」

「うん。儂らでも頑張れば作れんこともない。が、まったくもって金が足りんっ、って笑ってた」


 そうだろうと思う。

 石油系素材は姿も形もなく、軽金属が製錬されている気配もゴム系素材が出回っている様子もない。

 それらの代用品をなんらかの形で用意するだけで一苦労だろう。というか、あの飛行船、なにで作られているのだろうか?


 右隣のエリスが神妙な顔で言う。


「でも、あれが空を飛んできた時は、本当に驚きました」

「あはは。あの時のエリー、口開けたまま空を見上げて、しばらく動かなったもんね」

「し、仕方ないじゃないですか。あんなの、急に来られたら呆けます」


 分からないでもない。

 一般的な常識にないモノを見るのはそれだけで衝撃が大きい。初見で度肝を抜かれるのも自然なことだ。


「でもさー、あれに乗ってきたのって、誰なんだろうね」

「帝国の方であることは間違いないでしょうけど、そのことに関しては誰も知らないようですね」

「あれ、だいじ、ふね。つかう、えらい、ひと」

「あ、やっぱりお兄さんもそう思うんだ」


 そりゃね。

 ロハーマグラ爺さんから聞いた話だと、飛行船は帝室の所有物とのことだったから、皇帝所縁の者が来ている可能性が高い。ただ、なんでそんなモノを使って、どうしてここまで来たのかということが、疑問になる。


「きた、なに、する、ため」

「んー、考えられるのは、タリカラモ領域の確認、でしょ」

「ですが、わざわざここまでするでしょうか?」

「動力って使わないとダメなところもあるし、それも兼ねてじゃない?」


 そうかもしれない。

 が、どのみち私たちとは関わりのないこと。あまり深く考えなくてもいいだろう。


 そんな風に考えをまとめ、広場に辿り着いた。

 冒険者ギルド近くの野営スペースには幾つかの天幕があった。今は数人の女が桶に水を汲んで、洗濯をしているようだ。

 朝市の方はもう終わっているようで、人もまばら。いつかのように、常設の店で店番が暇そうにしていた。


「あれ、馬がいます」


 エリスの声に導かれて広場の東側に目を向ける。

 珍しいことに、確かに四頭の馬が杭につながれていた。荷車の類が近くにないということは騎乗馬だろう。


 しかし、馬に乗るような者、このイグナチカにいるのか?


「おいっ! おまえっ! どうして街の中にいるっ!」


 その詰問に近い大声に、私は足を止めた。

 声の主を探し、周囲を見渡す。それらしき姿は……、あ、あった。


 馬の傍に三人の男がいる。

 金属製の鎧を身に着け、マントを羽織っている。いかにも、騎士、といった風情の男たちがこちらを睨んでいた。


「エリー、ギルドに行って職員さんを呼んできて。あと、できれば、衛兵も」

「わかりました」

「お兄さん、できるだけ、我慢、してね」

「わかる、する」


 エリスが足早にギルドへ向かった。

 それを見たからか、三人がこちらに向かってきた。


 鎧の胸には国章(国旗)と騎士団のモノと思しき紋章がある。

 おそらくは帝国の騎士。どこの所属まではわからない。


 三人とも元の顔立ちは悪くないだろうに、相に歪みがある。

 まだ若いだろうに酷い歪みが……険と卑しさがこびり付いて、なんともガラの悪そうな顔だ。


 その中でもっとも体格の良い男が私を強く睨みつけて吠えた。


「お前たちっ! 街の中で何をしていた!」

「えーと、これから……」

「女っ! お前には聞いていないっ!」


 ……なに、こいつ。

 単純に、いちゃもんつけたいのか?


 固まったフィオを隠すように前へ。


「お前だっ! ブタ野郎! 答えろっ!」

「おで、ぼうけん、しゃ。しょうしょ、ある」

「……ちっ、これだから田舎は」


 ……これが、帝国の、騎士、か。


「証を出せ。見せろっ!」

「わかる、した」


 私は懐の内ポケットから、肌身離さず持っている冒険者証を取り出して示した。


「寄こせっ!」


 相手の態度に、嫌な予感を覚える。

 だが……、渡すしかないだろう。


 すっと差し出すと、相手はひったくるように取り、一瞥。


 そして、私の目の前で地面に放り投げ、その足で踏みにじった。


「帝国に、お前のような人でなしのブタ野郎がいる場所はねぇっ! ぶち殺されたくなければ、とっととここから出て行けっ!」


 ……。


 ああ、不快だ。


 確かに、世にはアイの子への差別はある。

 それは十分に承知しているし、仕方がないとわかっている。


 私の方が人の世では異物なのだから。


 ……しかし、しかしだ。


 私が何をしたというのか?

 私がこの男に、何かしたというのか?


 私がこの街に、何か迷惑になることをしたか?

 私が帝国に、害を与えるようなことをしただろうか?


 ……。


 かつて、ダ・ディーマなる超常の存在……神に邂逅した際に言われた言葉があった。


 壮健であれ、勇敢であれ、寛大であれ、誠実であれ。

 挫けるな、恐れるな、卑しむな、虚ろうな。


 私なりに、そうあろうと努めてきたつもりだ。


 私は人でありたいと願い、人として生きようと思ったから。


 その結果が……、これか?

 この仕打ちだというのか?


 ああ、苛立ちと共に、ぐつぐつと腹の底から煮えたぎる熱が次々に沸き起こってくる。


 ……。


 まだだ。

 まだ、ダメだ。


 私はケモノではない。

 私は人だ、交わした約は守る。


 人を傷つけるな。人を殺すな。人から奪うな。人から盗むな。人を犯すな。


 私は人だ。その全てを守ろう。



 しかし……、なぜ、見ず知らずの相手に、人でなしなどと侮辱されて、耐えなければならない?



 確かに、私は人とは異なる。

 魔物の血を引いたイレギュラーであり、はっきり言って、ブサイクな醜男だ。


 だが、誰かに後ろ指をさされるような所業はしたことはない。


 何もしていない相手を害したことはないし、人に迷惑をかけぬように注意してきた。

 誰に頼るでもなく、自らの力で稼ぎ、自らの力で糧を得て、生活を立ててきたのだ。


 だというのに……、目の前の騎士は……、いや、騎士のようなナニカは、私を知ることもなく、なんら調べることなく、自らの見識に基づいて、お前は人でなしだと言った。


 私にとって、人であることの証を、ゴミのように捨て、踏みにじった。


 最初から、ヒトとして生まれた連中にはわかるまい。


 私がどれほど、それを渇望したきたか。

 私がどれだけ、それを大切にしてきたのか。


 ……。


 ああ、なるほど。



 これが、この醜悪極まりないこれが、差別というモノなのか。



 ようやく実感が追い付いて、今、滾っていた熱が明確な怒りになった。


 ……はは。


 しかしまぁ、知らぬ相手に人でなしと吠え、人の大事なモノを踏みにじる。


 それも、自らの立場が優位であると確信しての行動だろう。


 こんな醜悪で愚かなことを為す存在が、人でございときた。


 いや、人だからこそ愚かで醜悪なのか?


 まぁ、もう、どちらでもいい。


 本当に、世の中はなんとも冗談じみた諧謔で満ちている。


 ああ、面白い、おもしろい、オモシロい。


 ホントウに、嗤わせてクレル。


 アア、ワライガモレル。


 ナニカゴミが、ケンをテニカケテ、ミヲヒイタ。


 ショセン、かくごもナイクチだけのヤカラ。


 ゴミドもが、ナニカワメイテイルガ……、ヒトヒネリニ、ツブシテシマオウカ。


 コンナゴミガノサバルクニナド、コノテデホロボシテシマエバイイ。


 ワタシヲウケイレナイセカイナド、コワシテシマ……。


「お兄さん、ダメ! ダメだよっ!」


 ……。


 オオキクいきを吸い……、吐き出した。

 空気が揺らぐほど、かつてなく熱のこもった吐息だった。


 全身を駆け巡る魔力と血潮が体内で激しい音を奏でている。

 満身に溢れた怒りを封じ込めるべく、両の拳を握り締める。 


 ギチギチと筋肉が軋み、膨れ上がる。


 こんな連中がのさばるような国なんざ、クソくらえぇだ。


 私が、いつまでも耐えるだけとは思うなよ。


 こいつらが、剣を抜いた時が、リミットだ。


 抜いた瞬間、殺す。

 絶対に、跡形も残さん。


 その後は……、本当に不本意だが、ここを立ち去る必要があるだろう。


 次はどこに行こうか?

 エリス達を連れて行くべきか、それとも置いていくべきか?


 ……?


 なんだ、だらしない。

 今更になって青い顔で震えるなんて、戦士の代表格である騎士の名が泣くぞ。


 さっきの威勢のよさはどこに行った?


 お前たちは、私にとって大切なモノを踏みにじったのだ。

 その傲慢と自らの信条を、自らの力でもって、最後まで押し通して見せろ。


 帝国という権力を背に、私を追い出そうとしたのだ。

 有無を言わさずに私をねじ伏せる力を、今ここで示して見せろ。


 お前たちがしたいことは、そういうことだろう?


 ……。


 本当になんだ、おまえらは。

 少し睨んだだけで、尻餅をつくなんて……、帝国の名を背負う立場であるというのに、その程度の覚悟しかないのか?


 私という存在を否定したいのなら、自らの死を覚悟して相果てる気で来い。


 そんな気力もないなら、最初から人に絡むな。


 ……あぁ、本当に、くだらん。


 イライラする。


 血流と魔力が廻っているせいか、酷く熱い。


 もういっそ、この身に宿った怒りのまま、全てを壊したくなる。


 全身に満ちた熱の赴くくままに、自分の力を全て解放したくなる。


 ……。


 背中の感触は……、フィオか。


 ……そう、だったな。


 彼女たちを巻き込むわけにはいかない。


「ブリドっ!」


 エリスが、戻ったか。


「な、なんとか、間に合ったようですね」


 この荒い息は、デニスだな。


 ……。


 今の私だと、間違いなく、手が出てしまうだろう。


 彼には迷惑をかけるが、後の始末は任せるしかない。


「おで、これら、からむ、された。ぼうけん、しゃ、しょう、みせる、した。……すてる、された。おで、わるい、する、ない。おで、これら、なにも、する、ない。でも、これら、おで、ひと、ない、いう! おで、まち、でろ、いう! おで、これら、きらい。なぐる、したい。でも、おれ、ひと。がまん、するっ! ……でにす、あと、たのむ、する」

「……わかりました。後は、私が収めましょう。よく、耐えられましたね、ブリドさん」

「おで、ケモノ、ちがう。これら、おなじ、ちがう。おで、ばか、しない。ばか、あいて、する、いや」


 本当に、相手にする価値もない。

 関わるのも、忍耐が削られるだけで、時間の無駄だ。


 っと、今更気づいたが、人が集まってしまっていたか。


 これは……、かなり視野が狭くなっていたな。


 本当に、ダメな状態だった。

 反省しなければ……、っと政庁の方からも結構な人が来たな。


 衛兵たちが人だかりを割り、団体さんの到着か。

 ああ、中にマキラもいるな。状況を見て、目を丸くしている。


 新たに着いた団体の中から、身綺麗な少女が進み出てくる。

 顔立ちはエリス達と同程度か、それ以上。銀髪という奴だろうか、輝く白金の髪を背中に流している。身に纏った白シャツと紺のズボンは簡素な見目だが、とても動きやすそうだ。ただ、身体付きは貧相だ。


 彼女に付き従うのは、六人。

 男五、女一。おそらくは護衛と侍女(?)か。


 護衛達は揃って騎士装束。

 少女の左後ろに立っているのは、男らしい壮年で口ひげを生やしたイケオジだ。今は私に警戒の目を向けている。

 他方は髪薄い中年と三人の若い騎士。若騎士達は少女の前に出て、私に鋭い目を向けてくる。得物には触れていない。腰を抜かしたバカどもと違い、確とした胆力と油断の欠片もない真っすぐな目だ。

 ただ中年だけは、バカどもを青い顔で見下ろしていた。


 侍女はメイド服(?)を来た怜悧な印象の長身女性。

 色々と大きな肉感的な美人だ。今は表情を殺し、少女の右後ろで控えていた。


 貴人と思しき少女が、無様に尻餅をついたままの輩を睥睨し、非常に面倒そうな顔で口を開いた。


「これはまた……、警邏騎士たる者達が、随分と情けない姿を見せてくださいますのね、副長殿」

「は、はっ、まことに、もうしわけ……」

「言い訳は後で結構」


 ピシャリとそう言い置いて、小柄な少女は騎士たちの間を軽やかに進み、地面に落ちたままの私の冒険者証を拾い上げた。

 そして、自らの服の裾を使い、丁寧な所作で汚れを落とす。


 一息後、彼女は私の目を見て口を開いた。


「あなたので、よろしくて?」

「そう」


 黄金色の、美しく澄んだ瞳だった。


 少女は少しだけ緊張した顔で、冒険者証を私に向けて差し出した。


「道中、事情を聞きました。あなたになんら責はなし。これは返します。……それと、我が国の騎士が、迷惑をかけしました」


 小さな少女も私の目を真っすぐに見つめたままだ。


 なるほど、彼女は上から数えた方が早い貴人。

 その立場上、簡単には頭を下げられないのだろう。


 まだ怒りは残っているが……、相手が引いて事を収めようとしている以上、口に出すのは我慢する。


 無言のまま受け取り、踵を返す。

 無礼かもしれないが、帝国から不手際を受けた以上、彼女に礼を尽くす理由もない。


 この程度の当てつけは許されるだろう。


「ブリド」

「お兄さん」


 エリスとフィオの顔には、心配の色が強い。


 彼女たちの呼びかけに頷いて答える。


「かえる、する」


 こんなことが起きた以上、もう当初の予定は達成不可能だ。

 色々と疲れたから、今日は家に帰ろう。


 しかし、あんな連中が帝国騎士のスタンダードなら、別の国か未開の地に移住した方がいいかもしれない。


 そうでないことを祈りながら、二人と一緒に歩き出した。

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