5 道中の出会い
「いや、ほんと、急に、なすり、つけちゃって、ほんと、ごめん、なさい。でも、助かったわ。ありがと、ね」
ふぅふぅと息を整えながら、そう言い放ったのはフードを被った何某。
背丈はエリスより高い。容貌はわからないが、埃や泥に塗れたマントにあっても目立つ山が二つあった。もうこれだけで、女だと一目でわかる。無論、先の声も少し高めの女の声音だったので、この判別は確かなモノだろう。
で、この女だが、私とエリスが街道を歩いていると、近くの林から助けてと叫びながら飛び出してきたのだ。
何事かと身構えてみれば、その後ろから中々大きいイノシシが一匹。とりあえず、こちらの危機回避も必要なので、持っていた木の槍でブスリと足止め、石斧でボカリと頭をやって助けたのだが……、律儀というべきか裏があるのかと疑うべきか、私たちの元まで来て頭を下げてきたのだ。
しかし、これがまた怪しい。
イノシシに追われていたくせに、息切れはあっても声に揺れも乱れもない。身体も恐怖で震えてもいなければ、安堵で力抜ける様子もない。命の危機に直面してのこの姿に加え、見聞きする限り、同行者もいないようにも見える。となれば、危険に対して相応に対処能力を持つと見た方がいい。
故に、イノシシに対処できなかったのかという疑問が湧いてくるのだ。
私としてもかなり発想を飛ばしている気がするが、イノシシを利用して何らかの仕込み……こう、集団に入り込むための仕込みなんてことも考え……考え……考えられるか? 間抜けな男を引き込む美人局とか、賊党による誘導罠なんてことも……いや、でもさすがに。うーん、相手は強靭な生命力を持つ野生のイノシシだしなぁ。逃げる方が普通か?
やはり私の考えすぎか?
追撃してくるイノシシに対処できる術がなかった、と単純に考える方が自然な気もしてきたが……、でもやっぱり初対面の相手だし、警戒した方がいいか。
なら後の話は交渉担当にお任せしようかと思い、ちらりと隣を見る。
エリスは目を丸くして女を見つめている。いや、視線を辿れば、胸……、彼女にはない、非情なまでに存在を主張する双子山があった。
おかしい、こんな不躾な子だったかな? じゃない、エリスが固まっている以上、とにかく相手の反応や情報を引き出すためにも、私が話をしようか。
「イノシシ、よこす、あぶない」
「えと、それに関しては、ほんと、ごめんなさい。もう、どうしようもなくて……」
「あぶない、ばしょ、ダメ、いかない。ちゅうい、する」
「はい、おっしゃる通りです。ほんと、申し訳ない。あ、イノシシは、そちらで食べてください」
「わかった。……それで、ケガ、ない、か?」
女は思わぬことを聞いたといわんばかりに、びくりと身体を跳ねさせた。
「えーと、うん、大丈夫」
「ぶじ、なら、いい。……でも、おまえ、ひとり、なんとか、する、できそう。おで、たすける、ひつよう、あった、か?」
「いやいや、お兄さん、そんな寂しいこと言わないでよ。イノシシに追われてたのは本当だし、手出しができなかったのも本当。というかさ、あんなのに立ち向かったら撥ね飛ばされるって。それにほら、あたしもこの通り、胸が大きいからさ。走るとそれなりに縦横揺れて痛くてさ、もうほんと、そろそろマズイって、かなり困ってたのよ。……………………というか、今更かもしれないけど、お兄さん、その……、ものすごく…………、その……、おーくに似た、個性的な顔……、してるね」
私の顔をしかと認めたようで、調子良かった女の声が驚きと諦めが入り混じったモノに変わった。
本当に今更な気がするが、これに乗じようと、私は努めて悪く笑って見せる。(努めなくていいとは言ってはいけない)
「あはは、もしかして、あたし、たべられちゃう?」
「おで、にく、くう、すき。おまえ、にく、うまい? でも、なんか、あぶら、おおそう」
「え……、いや、いやいやいやいやっ、ちょっと待ったっ! 女を相手にたべるってのはほら、普通、そんな食事的な方向じゃなくてさ、ほらあれよ、男と女の比喩的な奴っ!」
私はえっと驚いたような顔をして応じる。
「おで、しらない、おんな、こうび、しない。おで、びょうき、こわい。おんな、だれでも、こうび、ないない。おで、きれいずき。そと、こうび、ない。おで、あいて、えらぶ。おで、めんくい。おまえ、めん、かくす。……めん、ダメ?」
「ちょいちょいちょいちょい。今、ちょーーーっとばかり、聞き捨てならないこと言わなかった?」
私は大いに首を傾げて見せた。
目はできる限り疑問を持たない純粋なモノにして、心底不思議といった感で、だ。
「くっ、な、なに、この、不思議な敗北感は。…………えええいっくそっ、負けてたまるかっ! あ、あたしはこう見えてもね、生まれてから今まで、男なんて家族以外はまともに付き合ったこともない、オボコだっ! 病気なんて、持ってるわけがないでしょ! 後……」
女が被っていたフードを捲りあげた。
白日の下にさらされたのは、まだ若い女の顔。ぱっと見、エリスよりは少し上あたりか。眉根は外が少し跳ねていて、勝気な印象。青い瞳を持つ目も尻上がり。ただ隈が色濃く浮いている。鼻梁に崩れなし。化粧気のない唇はきゅっと引き結ばれている。短い赤髪は手入れされているのか、しっかりと陽の光を返している。
結論、なかなかの美人さんなハイティーン。
「どうよっ! それなりに見れる面でしょ!」
「おー」
ぱちぱちと拍手して見せる。気をよくしたのか、女は胸を張ってふんぞり返っている。
……。
さて、ここまでのやりとりで思ったが、これはなんというかアレだ。この微妙に残念な感じだと、私が懸念していたような背景はなさそうだ。というか、これで騙されるのだとしたらもう仕方がないと思わないでもないし、そもそも、こんなのでよく旅ができたものだと驚きすらある。
「それで、おまえ、なに、する、ヒト?」
「え? ……あー、うん。あたしは、んー、えーと、なんていうかー、そうねー、ここまで、見聞……、そう、見聞を広げる為に、東の国からここまできたの。だから、旅人、かな?」
「けんぶん……。ひがし、とおく、から。おまえ、よく、きた。でも、ほか、ヒト、いない。ひとり、だいじょうぶ?」
「あははー、うん、これが意外と何とかなってさ、行商人と一緒に動いたり、冒険者の移動に紛れ込んだりして、ここまでは無事に来れたんだけど……、この辺りって、なんか女に飢えてる男が多くてさ、油断できなくて、正直、そろそろしんどい」
女は先程までの明るさをどこにやってしまったのか、とても疲れた顔を見せた。そこにある昏い目と微かに口端を引く笑みに、厭世があるように思える。
そんな女であったが、あっとナニカを思い出したようで、出てきた林へとくたびれた顔を向けた。
「あー、荷物取りに行かないと……、逃げてる途中で、放ってきちゃったし」
「なんで、はやし、いた?」
「今日立ち寄った村から、男が三人、付けてきてたから。その連中を巻くためにね」
なるほどと、思わず頷いてしまった。
一昨日、私とエリスもある村でそういった男と行き会い、結果、いろいろと始末して逃げている。
「まだ、おう、くる?」
「わからない。けど、道から外れた後、林の中までは追って来てなかったから、たぶん大丈夫」
「このさき、どうする?」
「えーと、元々の予定なんだけど、この先で帝国に行く隊商が集まるって話を聞いてさ、それと一緒に山を越えるつもり」
目的地は一緒なのか。
さて、どうするか。
私が考えをまとめようとした時、今の今まで沈黙していたエリスが声を上げた。
「なら、わたしたちと、一緒に来ますか?」
「へ?」
女が素っ頓狂な声を上げた。構わずエリスは続ける。
「もちろん、隣の彼が怖いというのなら、話はなかったことにしますが……」
「いやいやいや、お兄さんは、その、確かに最初は顔が怖かったけど、ほら、こうして話をしたら思ったよりもすっごい理性的だし、今はもう、うん、意外と大丈夫っていうか、愛嬌があって面白い?」
「ふふ、そうですか。それでですが、実はわたしたちも、帝国に向かって旅をしています」
「そうなの?」
「はい。それでその、わたしもここまでの道中で、あなたと似たような経験をしました。幸い、彼が……ブリドがいてくれたおかげで何とかなりましたが、やはり女として不本意な行為を強いられるというのは見過ごせませんし、他人事でもありません。少なくとも、わたしたちと共にいれば、そういったことから身を守りやすくなります」
「いや、お兄さんも男なんだけど……、本当に、守れるの?」
「ブリドはそこらにいる並大抵の男と同じではないですから。むしろ質問を返しますが、あなたには、わたしとブリド、どう見えますか?」
女は視線を彼方に飛ばし、ついで苦笑いした。
「まぁ、その、君を好き勝手に支配しているというか、お兄さんが嫌なことを強いているような、歪な感じはしない。……正直、こうして戻って話しかけたのも、あなたがお兄さんと肩を並べて歩いていたから、これは大丈夫な相手かなって思ったからだし」
「ふふ、ブリドはしっかりと自分を律している、優しいヒトです。女を見て、見境なく動いたりしません」
「あはは、そうみたいだね。……えっとさ、さっきの話、とてもありがたい申し出なんだけど、その、ほんとにいいの? あたし、自分で言うのもなんだけど、怪しくない?」
「それはお互い様ですよ。見た目からわかったと思いますが、ブリドは訳ありの出自です。そして、わたしも訳ありです」
「いいの? そんなこと教えてさ」
「ええ、訳ありだといっても詳しく教えた訳でもありません。それに、ブリドとわたしなら、大抵のことはどうにかできると思ってますから」
エリスは自信を持ってそう言い切った。
なんとなく嬉しいというか照れ臭くなる。
対する女であるが……、その顔はなんとも透明で、もう望むに望めない、そんな寂寥と諦観がにじみ出ているように思えた。
「あー、なんていうかさ、そういうのって、なんかうらやましいなー」
「でも、こうなるまではそれなりに苦労しましたし、これからも色々とありそうな気はしています」
「あはは、いいじゃん、それでも。今も生きて、一緒にいられるんだからさ」
女は少し羨ましそうな声で言うと、よしと頷いて続けた。
「……うん、なら、お言葉に甘えようかな。今から荷物取ってくるから、待っててくれる?」
「はい、イノシシの解体がありますから。でも、一緒に行かなくても大丈夫ですか?」
「うーん、ここはほら、お兄さんに裏がないってことを信じてもらいたいし、もし途中で危なそうならまた逃げてくるから、その時は助けてほしいかな」
「わかりました」
「うん。そろそろ、行けそう」
女はフードを被りなおすと、頷き林に向かって駆けだした。その背に対して、エリスが思い出したように叫ぶ。
「あ、わたしはエリーと言います! こちらはブリド!」
「あたし、フィ……、フィオって言うの、よろしくねー」
そう言い残して、女……フィオは林の中へ入っていった。
私は足の速さに感心しつつ、エリスに訊ねる。
「えりす、ふぃお、いっしょ、だいじょうぶ?」
「勝手に話を進めてごめんなさい。ですが、わたしとしては同行しても大丈夫だと思いました」
「なにか、りゆう、ある?」
「色々とあります。一つ目としては、さっきの話の中でも言いましたが、女の一人旅は大変で危険だと思ったからです。同じ女としては、このまま見過ごすのは気分が良くないですから」
「うん」
「二つ目は、話をしていて、助けたいと思ったから、でしょうか。なんて言えばいいのか……、うん、フィオさんに後ろ暗さを感じなくて、悪いことをする人とも思えなかったから、かな」
「うん」
「わたしも王都でつま弾きにされた身の上ですから、周りが助けてくれない辛さを知っています。だから、こちらに余裕があるのなら、好感を持てたヒトには、特に一人で苦労してそうなヒトには、優しくなりたいんです」
「うん」
「三つ目は、ブリドには申し訳ないですけど、その、女同士で話してみたいこともあったりしまして……、あ、あ、それだけじゃなくてですね、ここまでの旅路で見聞きしたことも教えてもらえそうですから」
「うん」
「あと最後ですが……、これもその、本当に即物的というか、わたし個人の都合といいますか……、あの、フィオさんって胸、大きいじゃないですか」
「うん」
「隣にいれば、男の人の厭らしい目がそっちに行くかなって思っちゃいまして……、あ、もちろん、助けるって言ったのは本当ですし、その、ブリドにも助けてもらいたいって思ってます。……ブリドは反対、しますか?」
「しない。えりす、いい、なら、おで、もんだい、ない」
エリスなりに理由や目論見があるのなら、それでいい。
私としても、フィオという女が望んで私たちに害をもたらすとは思えなかった。ならば、問題はない。
それに、古来より、旅の道連れ世の情け、なんて言葉がある。向こうがこちらを拒絶しないのなら、助け合おうという気持ちも持てるし、人手が増えるのもありがたい所である。
「あ、でも、ブリド」
「なに?」
「あんまり、フィオさんの胸、見ちゃダメですからね?」
「だめ、わかる。でも、ゆれる、め、はいる、しかたない」
この物言いが気に食わなかったのか、エリスは私の腹にパンチ一発。
だめ、三十点。体重が足りない。踏み込みが足りない。腰が入っていない。腕の振りが弱い。力が連動してない。拳も柔い。気合も足りない。
私は常のごとく、げはげはと笑いながら、血を垂れ流すイノシシの元へ。エリスは痛そうに手を振りながら頬を膨らませた。
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