9 水利権の獲得
衛兵隊による取り締まりから三日。
イグナチカの街中がすっきりさっぱりして、街の空気はかつての落ち着きを取り戻しつつある。
完全に前と同じにならないのは、やはりタリカラモ領域の存在が大きいのだろう。だが、本来は街の発展にとってプラスなことだから、これでいいのかもしれない。
なんてことを考えながら、私はエリスと一緒にロハーマグラ商会に向かっている。
フィオは留守番。とはいっても、ゴリゴリとポンプの木型を削っていたから、仕事で残ったというのが正しいかもしれない。
「もう夏も終わりですね」
エリスの言葉に頷く。
夏も終わりということで、これからは暑さが少しずつ収まっていくという。
でも私はそこまで暑いと感じていなかったりする。前世で体温並みかそれ以上の気温を経験してきた影響だろう。
これに関連してだが、暦や時間について、ある程度学ぶことができた。
一日は二十四時。(前世と同じで、不思議である)
一月は三十日。(これもほぼ同じで、不思議である)
一年は十二月。(これまたほとんど同じで、不思議である)
つまり、一年は三百六十日になるのだが、たまに閏月や閏日が入って、日と月の差異を修正するとか。
ちなみにだが、昼空に一つ輝く太陽(仮)の名前は、天の輝く光輪、というらしい。
もう面倒なので、私は太陽で通すことにする。
いやはや、地球に似ていると言うべきか、微妙に違うというべきか、本当に迷うところだ。
この心情が表に出てしまったのか、無意識に首を振っていた。
「どうかしましたか、ブリド。……あ、もしかして、服になにか違和感がありました?」
「ない。だい、じょぶ。おで、これ、すき」
私は身にまとう服を見る。
本当に今更であるが、今は私も麻服を着ている。というか、エリスが上手い具合に浴衣みたいなのを縫ってくれて、相撲取りみたいな感じになっている。
これで私も、文明人にまた一歩近づいたと言えるだろう。
「今日、糸を買うことができれば、布を織ります。織れたら、ブリドの服も増やしますからね」
「おで、より、えりす、ふぃお、ゆうせん、する。したぎ、だいじ。ふく、だいじ」
「え、でも……」
「おで、からだ、つよい。えりす、ふぃお、ゆうせん、とうぜん。あと、おんな、きかざる、すき、きく」
「う、女性が着飾ることを好むのは事実ですけど、フィオはわかりませんが、わたしはそこまで……」
「そう、なの?」
意外や意外。
いや、エリスの普段を考えると、意外でもないような?
「ええ。わたしは孤児ですから、そういったこととは無縁に育ってきましたし、神殿でもお洒落はしませんから。それにその……、学院での生活を経験して、逆に面倒だなー、って思っちゃいます」
「ほしい、ない?」
「そうですね。うん、わたしも女ですし、少し興味あります」
「かう、する?」
「そこまでは。……あ、でも、ブリドがくれるなら、なんでもいいです」
む、むむむ、そう来たか。
ならば、私なりに考えて、送ろう。
「わかる、した。おで、がんばる!」
「えっ? いえ、そんなに気合をいれなくても……」
「がんばる、する!」
これも男の甲斐性。
頑張って贈り物を考えよう!
一人気合を入れて燃えていると、今日の目的地が見えてきた。
広場は朝市が終わったからか、人影は少ない。だが冒険者ギルドの近くには、数人の冒険者がいる。全員が男。剣を佩いていることを見るに新参だろう。なにせ、タリカラモ領域に慣れてきた者達はこぞって得物を斧に替えている。相手の多くがトレントである以上、剣では頼りないのだ。
男たちがこちらに気づいた。
エリスを見て、おっとした顔でにやけ、私を見て、すっと表情を消して青褪めた。
私達は無言で通り過ぎ、ロハーマグラ商会に入るところで、エリスが笑みをかみ殺した顔で呟いた。
「一瞬で表情が変わるのは、いつ見ても笑いそうになります」
私も確かにと思い、げはっと笑った。
ロハーマグラ爺さんは店で煙管を吹かしていた。
ただ匂いは煙草のそれではなく、香草か薬草のように感じられた。
「お、デカい旦那にお嬢さん、いらっしゃい」
「こん、にち、は」
「こんにちわ、おじい様」
「ぬ、その、なんだ……、お嬢さんにおじい様なんて言われると、なんともむず痒くなるなぁ、おい」
坊主頭の店主は照れを隠そうとするかのように、自らの頭を一撫で。
「けどま、悪い気はしねぇってかっと、悪い、それで何用だい」
「はい。実は……」
エリスによって今日の主たる用件……水利用についての説明が始まる。
簡単に言うと、私が政庁と話して持ち帰ったこと……土地に水路を掘っていいですかぁ、という話だ。
「土地に水を引き込むってのはまた豪気なもんだな、おい」
「それで、いかがでしょう」
「ん? 政庁と話がついてるなら、好きにすればいいぞ。そこまでするなら、あの土地、買ってくれるんだろ?」
エリスが私を見る。
即座に大きく頷く。あの場所は臭くないし落ち着いた環境だし、気に入っている。
「まだ居住権がありませんから、すぐにとは言えませんが」
「ああ、そりゃそうだわな。しかしまぁ、こっちとしちゃあ月々に払うもんっちゅうか三年分はもう払ってもらってるし、前もデカい旦那にかなり譲ってもらってるからな。他に売るなんてことも、売らねぇなんてこともしねぇし、売る時も不当に値を吊り上げるなんて、不義理なこたぁしねぇ。……だが、利便性が上がった分、売り値にちいっとばかり上乗せさせてもらうがね」
狸おやじである。
だが、これが老獪な商人として正しい姿なのだろう。
私としては苦笑するしかない。
だが、我らが交渉役は早くも将来を見据えているようで、ロハーマグラに質問をする。
「ちなみにですが、今ならあの土地や家は、どれ程になりますか?」
「ん? ……んー、買った時は5百万。とはいっても、元がダチへの餞別代わりで買ったもんで、結局は遊ばせちまってたからな、本来の価値は三分の二……いや、五分の三程度だったんだが……、ほれ、タリカラモ領域ができただろ? あれのお陰で、イグナチカ自体の土地価格が二倍とまではいかんが上がってる。そこに、水の引き込みだ……、最低でも8百万にはなるな」
「そうですか」
エリスは考え込むように沈黙。
ちなみにであるが、前にロハーマグラ商会に卸した琥珀であるが、手取りで2百万である。(家計と各人小遣いで分配済)
私なら、がんばれば、払えなくもない。(おめめぐるぐる)
「わかる、した。おで、かせぐ、する」
「え、ブリド?」
時間に余裕ができたら、トレントを木こりにいかなくては!(使命感)
「あー、待った待った。デカい旦那のことだ、また琥珀を持ってくるつもりだろうが、需要と供給ってのがあってだな、あまり一度に持ってこられると、こっちは買い値を下げざるをえん。持ってくるなとは言わんから、こう、ある程度は期間をおいてやってくれ」
あ、そりゃそうだな。
「わかる、した。きせつ、いち、かい、する」
「ああ、それくらいなら、こっちも捌ける」
そういうと爺さんはどこか懐かしむような顔をして、私を諭すように言った。
「お嬢さんたちを抱えているんだ。デカい旦那の気が急く気持ちはわからんでもない。しかしな、まだ居住権を取るまで時間があるんだ。もっと気楽に、お嬢さんたちと一緒に、楽しむくらいの気持ちでやんな」
「そうですよ、ブリド。生活を楽しむということも大事だと思います。ほら、家の手入れもまだまだですし」
「あい」
さーせん。
少し逸り過ぎたか。
ひとしきり反省した後、エリスが巻き糸を大量に購入して、ここでの用件は終了である。
次に向かうのは、イグナチカ政庁だ。
ロハーマグラ商会を辞して、また街中を行く。
日が昇っていることもあって、遠くで槌の音や子どもの遊ぶ声が聞こえてくる。井戸ではご婦人たちがまさ井戸端会議をしたり、じゃばじゃばと木桶で洗濯したりしている。
少し耳をすませば、聞こえてくるのは、直近にあった衛兵隊の活躍について。無駄飯食らいじゃなかったとか、頼りなかったうちの旦那がとか、うちの息子が憧れてとか、良さげな人見つけたからうちのバカ娘を押し付けようとか、うん、いろいろである。
エリスにもその声が聞こえていたのか、少し口元を緩めて言う。
「衛兵隊の皆さん、人気ですね」
「みな、がんばる、した」
「ええ、しっかりとお役目を果たされましたね」
今後もそうであった欲しいものだ。
さて、目的地の城塞……イグナチカ政庁が見えてきた。
石造りの四階建て。重厚な存在感を持つそれは、イグナチカ統治の象徴である。前に部長さん方に聞いたが、代官の居館でもあるとか。なるほど、エライさんであっても職住一体を強いられているということか。(ぶらっくな上司の鑑である)
バカなことを考えながら、玄関口へ。
開放された大扉。その両脇に衛兵たちが立ち番をしている。少し緊張した様子で私たちを見たが、咎め立てはされなかった。私が善良な市民じゃない冒険者であることが浸透しつつあるということだろう。
少し気分を向上させながら、中に入る。
ここにも衛兵の立ち番が二人いた。高い天井から照明の光。ギルドと同じ代物のようだ。
正面の壁には二枚の旗。中心に太陽、周りに八つの月と十四の星が配されたモノが帝国旗、黄、青、緑の三色旗が街旗らしい。そして、柵に囲まれた壁際、そこに置かれた台座は赤い布の上に、人の拳二つ程の琥珀があった。
「しっかりと、飾ってくれてますね」
「うれしい」
提供者としては嬉しい限り。
口元が自然と緩む。
それから気分よく左右を見る。右側は衛兵部のようだ。閉じられた扉の向こうから気合の声が聞こえてくる。対する左側が行政部になるようで、大きく開かれた扉の向こうにカウンターが見えた。
左側に進み、カウンターへ。
当然ながら、人当たりの良いエリスの出番だ。
「あの、少しよろしいですか?」
「はい。……ど、どうかされましたか?」
書き物をしていた受付の女性。
エリスの呼びかけで顔を上げたが、私を目の当たりにしたようで、一瞬動揺したようだ。
すまんのぉ、こんな見た目で。
「相談と言いますか……、その、ブリドが先の報酬の件で来たと、上の方にお伝えいただけませんか?」
「わ、わかりました。ブリドさんですね、上から来訪があると聞いておりましたので……、その、少々、お待ちください」
まだ二十歳を過ぎてそこそこといった女性職員は、足早に部屋の奥へ。
その間に部屋を見渡す。天井の照明は明るく、奥行きもあって広い。事務作業をしていると思しき男女が合わせて十数人。黙々と机に向かっていた。思わず遠くを見る。
どこの世界も、いつの時代も、文字や数字がある以上、事務作業というのはなくならないのだろう。
しみじみと人の世の常について思っていると、待ち人がやってきた。
「お待たせしました、ブリドさんに……、確か、エリスさんでしたね」
「はい、今日は急な訪問で申し訳ありません。お時間を頂きまして、ありがとうございます」
「いえいえ、お気になさらず。ここでする話でもないですので、中にどうぞ」
「はい、ありがとうございます」
エリスに倣って会釈し、行政部の長……マキラの案内を受ける。
カウンター沿いに歩いて壁に至り、そこの扉を開けて中へ。長い廊下があり、壁には扉がいくつか並んでいる。マキラはそのうちの一つを開くと、また中へ。私たちも続けば、小さな会議室めいた場所であった。
席を勧められて座れば、マキラはすぐに話し始めた。
「先の作戦ではご助力いただき、ありがとうございました」
「おで、する、ない。えいへい、がんばる、した」
「はは、確かにそうかもしれませんが、後ろに控えてもらうだけでも、かなりありがたかったと思いますよ」
私は気が楽でしたと軽い調子で続けた後、丸い顔を緩めて言った。
「さて、報酬の話ですが……、ブリドさん、ロハーマグラの御大はどう言っていましたか?」
「ほる、いい、こたえ」
「そうですか。……では、水利権に関してですが、政庁としては認めることにいたします」
「あり、がと」
「ああ、いえ、ただそれには少しだけ条件と言いますか、その、水を引き入れる水路が必要になりますよね?」
当然なので頷く。
「それを掘る場所をこちらで指定する、というのが許可の条件になります」
「まえ、いう、けいかく?」
「はい。今はまだお見せできませんが、上流部から引き入れて、下流部の湿地へ戻す形です」
「わかる、する」
前から設計はできていたのか。
思わず感心してしまう。
と、そこにエリスがそっと手を挙げて口を挟んだ。
「その……水路を掘るのは、ブリドなら間違いなくできるでしょう。それに対する対価はいただけるのですか?」
「水路掘削はまだまだ先の事業でして、こちらも予算がありません。ですので、直接的にお支払することはできません」
「まさか、無償でさせようと?」
「いいえいいえ、それこそまさかですよ。いくら権力を持っていても、そこまで強要できませんし権限もありません」
そもそも、ブリドさんの怖さは十分に知っておりますから、とてもとてもと笑い、マキラは続ける。
「水路採掘への対価ですが、水利税を免除する形で相殺することになります」
「税の免除。それは、どれ程の期間になりますか?」
「永年、とはさすがに言えませんが……、単純に計算すると、二百年分。水路の出来が良ければ、そこから更に加算されるかと」
……。
私もさすがに二百年は生きられないだろうから、もう十分なのでは?
「では、その旨の記載をした契約書と免状を用意していただけるでしょうか?」
「もちろんです。ただ、免除の年数に関しては完成してからになります」
「わかりました。……では、ブリド、こういうことでいいですか?」
「いい。でも、しごと、はやく、したい。ようい、たのむ、する」
「それは、こちらとしてもありがたい。ブリドさん、早急に準備するので、よろしくお願いする」
「まかせ、する」
むんと気合を入れれば、ぶふーと鼻息が漏れた。
これで水の引き込みに大きく前進である。
トイレ、風呂、下水処理、水車、動力鋸なんかもできそう。ああ、文化的な生活が近づいてくるのがわかる。
しかしまぁ、イイ具合に事が回っている気がする。
まだまだ実現まで先は長いといったのは、誰だったのか。
本当に、先を見る目がないとしか言えないな。(すっとぼけ)
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