見た目は怪物だけど、平穏な暮らしを所望する【1/4オーク転生】

綺羅鷺肇

1 平穏を求めて、脱走!

1 生まれ変わり


 人が死んだらどうなるのか。

 そんなことを考えたことはないだろうか?


 死とは人にとって最も関心のある未知であるだけに、おそらくは誰もが気になるのだろう。実際、死んだ後のことについて、世界各地の神話や伝説、宗教に寓話、市井の噂、創作なんかで色々と考えられた。

 だが結局のところは、生きているうちにはわからない。死ななければわからない。ならば、死ぬその時まで気にしない方が生きるのは楽かもしれない。


 なんてことを口にすれば、突然どうした、と誰かに言われそうである。

 が、こういうことを考えるのにも理由がある。いや、身構えるような大層な理由ではないのだが、どうやら、自身という存在が死んだ、ようなのだ。

 そんなバカなことはないともおかしなことを考えているとも思える。今考えている自身はなんだとも、自らの存在自体がどういうものだったのかもわからないのだが、とにかく、今を生きている世界とは、全く異なる世界の記憶が、なぜか頭の中にある。というか、ついさっき、投石……拳よりも大きな石を額に食らって、勢いよくひっくり返って頭を打った所、突発的に溢れ……というよりも、私という存在がどこからともなく湧き出てきたのだ。


 その瞬間は、世界を洗い流す海嘯に呑み込まれた、ようにも思えた。

 目どころか五体が己を離れて回り、世界が轟音を立てて巡ったのだ。


 そして唐突に生まれた、私という存在の認識。

 ついで存在しないはずの記憶が、五感を駆け巡った。


 だが今は、その体感に浸る余裕はなかった。

 ここは戦場。意識を飛ばせば、死ぬ。


 無理にでも身体を起こした。

 頬を伝い落ちる血が、口に入る。慣れた鉄錆の味だった。


 鋭く鈍く、浅く深く、痛む頭。

 いまだに世界は揺れ、協和しない記憶と五感。

 噛み合わないナニカに耐えきれず、嘔吐した。


 今に至るまでまったくと言っていいほど使われていなかった脳は、圧倒的なまでの、いっそ暴力的ともいえる情報の嵐に耐えられなかったようで、喉から溢れたモノと一緒に記憶のほとんどが吐き出されてしまった。


 それでも残ったモノはそれなりにあった。今しがたの考察はそこから引き出したようなモノだ。


 目を幾度も瞬かせ、世界を一つにする。口内の気持ち悪さに耐え、大きく息をする。そこで目に入るのは、今朝食べたもの。まだ消化しきれていなかったのか、野菜くずや大麦の名残が見える。


 吐き出したモノをもったいないという思い。

 あれらは食い物ではないと怒り呆れる思い。


 やはりか、価値観が合わない。

 しかし、そのどちらも正しい。


 ドンと背中を強く叩かれる。


「立てっ! 進めっ!」


 督戦の輩だ。このまま無視し続ければ、間違いなく刺し殺される。


 萎えた足に力を込めて立ち上がる。それから、先まで持っていたこん棒と大盾を手に取った。微かに残る記憶と比べても、かなり大きい手だ。否、身体をなす全てが一回りも二回りも大きい。足も腕も太く筋肉で覆われている。重いこん棒も身の丈ほどの盾も普通に持てた。視線も高い。

 だが、身に着けているのは粗末。というよりもほとんど着ていない。太く大きいブツを隠すザラザラの腰巻と足裏を守る木のサンダル程度。今までよく生き残れたとしみじみ思う。母親の記憶はないが、頑強な身体に産んでくれたことを感謝すべきか?


「進めっ! 殺せっ!」


 言われるがまま、前に歩き出す。

 風切る音。どっと近くに矢が突き立つ。後ろでひっと漏れる声と舌打ち。


 当たったのが石で良かった等と他人事のように考えながら前を見る。仲間……いや、同胞が一線を作り、じりじりと敵に迫りつつある。ならば急がねばならない。

 まだふわふわとした気分のまま、歩を刻む。これは今生のそれと変わらない。古い新たな価値観を思い出して怖気づくかと思ったが、今のこの場では一安心というべきか? 徐々に回転を上げて、駆け足。


 同胞達の野太く悍ましい喊声を聞きながら、ふと思う。今ここで戦場に立つ存在は何者なのか、と。


 先の嘔吐で流れ出てしまったのか、以前の自分について、ほとんど記憶がない。知識はそれなりに残っているのに、個人的な記憶がないに等しい。足元が揺らぐような漠然とした感覚。


 自分は誰かと、また不安になる。

 男だったか、女だったか。どんな身体でどんな顔だったか。


 今の身体を見る。


 ……。


 ああ、そうだった。

 身体は前よりも一回り以上大きいのだった。特に股間のブツ。竿もフグリも、比較できない程に今は大きい。


 なら、たぶん男だったのだろう。

 ようやくの安堵。だが、最大の理由がなんとも間抜けで肩の力が抜ける。


 いや、そもそもの話だ。

 過去は過去。現在は現在。


 過去の残滓は残れども、それは今を生きる自らではないのだ。


 今は割り切れ、自分。


 ただ、そうなると自らをなんと言い表せばいいかわからない。事実として、我が身に名前なんてものはないのだ。せいぜいが番号だろう。ならば、自らを自らで定めなくてはならない。


 とはいえ、固有の名はもっと落ち着いた環境で、そう、今の戦場を生き残ったら考えよう。


 それよりも自らを指し示す言葉はなんとするか?


 自分? 僕? 儂? わて? 我? わい? 吾輩? 私? 俺? おで? おら? おい?


 元が良かったとは言わないが、この身のこの頭はそれ以上に良くはない。

 今ならわかるが、この身は戦場で使い潰される為に育てられてきたのだから仕方がないことだろう。そんな存在が急に賢しくなれば、いらぬ厄を呼び込むと思われる。


 ……うーむ。


 とりあえず内では『私』とし、外向けには訛りに訛った『おで』とでもするか。

 なんて風に気どって考えるが、今の生を振り返ればわかる。この身は喊声以外にほとんど声をあげたことがない。故に発声も発音も悪い。というか言葉になるのかもわからない。なので実質一択であるが……、まぁ、どういうわけか話し言葉の聞き取りはできているし意味合いもなんとなくわかるから、そのうちなんとかなるだろう、たぶんきっと。


 はぁ、内と外とのギャップが酷くて風邪を引きそうだ。

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