10 夜逃げ(同居人同意済)
夜になった。
ざわついた空気は大きくなる一方で、馬の嘶きも増えた。
エリスの不安もまた大きくなっているようで、私の傍を離れない。落ち着かない少女をなだめつつ、私は情報を集めるべく庭に出る。天幕を隠れ蓑に、庭の壁からひょこりと頭を出しての聞き耳だ。
いくら耳が良くても遠くの音なんて聞こえない。というのが普通であるが、私には不思議を為す魔力と、魔物に近いという身体がある。昨日の咆哮が上手くいったのだから、今回もできる、はず。
という訳で、魔力を耳に集中させると……、おぉ、思った通り、聴力がかなり上がった。これは便利使いできそうだ。……いや、でも待てよ。もしこの状態で近くに落雷があったら……、耳と脳が過負荷で爆発なり沸騰なりして、普通に死ぬかもしれない。
うん、使いどころは十分注意だ。
やっぱり、便利なだけのモノは中々ないか。
さて、それではっと。
………………。
城がざわついているのは、ドッケンヘン辺境伯が召集した寄り子領主が集まってきているから。集結の期限は明日の日没。ただ午後からは集結済みの爵位持ちを集めて作戦会議かなにか。同じく夜には寄り子たちの団結を図る為の簡単な宴。……攻め込まれているというのに随分と悠長なことだ。それとも戦とはこんな感じなのか?
寄り子召集の為、街と城の門は警戒態勢をしきながらも開放中。城内の食糧庫を開いて、兵糧を搬出配布。偵察騎兵が情報収集に出ている。軍関係以外の旅人や住人、冒険者といった者達の出入りは止められている。だが、どこの門でも揉めている。多くの商店で品物の価格が一気に高騰し、民の怒りを買っている。街役人に文句を言う者もあり。
寄り子召集の原因はドーラント王国による大規模な侵攻。今は国境地帯の村落に火を放って略奪中。どこそこの領主とは付き合いがあった許せねぇと士気はそれなりに高い。明後日の朝に、辺境伯軍を中心とした連合軍が出撃を予定。くぉーたーずも合わせて出動予定。
……今はもう、これ以上はないか。
ということで、魔力を使った集音を解除して庭に戻る。息を呑んでまっていたのだろう、エリスが飛びつくように話しかけてきた。
「どうですか。なにかわかりましたか?」
彼女の質問に頷き、その顔を見る。今日一日の不穏さを受けてか、怯えの色が垣間見えた。
「カンガエル、マトメ、する。すこし、まつ」
少女が頷いたのを受け、私は壁に背を預けながら座る。
これを受けてか、エリスはいそいそと太腿に跨り、お腹周りに抱きついてきた。いよいよ娘(幼女)めいてきた気がする。しかし、実際はお年頃の乙女だけに、少しばかりはしたなくも感じないではない。(男としては喜んでいいが)だが、今は状況が状況であるから、それで安心できるようなら見ぬ振りをするべきか。
私は目を瞑り考える。
大規模な戦が起きることは確定している。従来なら、私も参戦せざるを得ない戦いだ。
だが、今はもうエリスがここに来たことで、脱走計画に目処がついた。ここで養ってもらった分については、戦場働きで十分に清算できている。だから、これ以上は付き合う義理もない。
ただ正直なところ、くぉーたーずには、共に戦場に立った仲だけに、少し心寄せる所はある。……が、先日までの一人であった頃ならともかく、エリスを仲間に迎えた今は、運命を共にするまでの心はない。
それは元からなのではと問われれば、それはそう。ただそれが明確になっただけの話だ。これも私とエリスが自由を得る為、薄情とは……薄情だけど、決めたこと。さらばだ最低半分は血を分けている兄弟たち。楽しかったぜぇ、お前たちとの戦友ごっこ。って、悪ぶってみたけれど、今の関係は戦友……戦友か? どちらかというと、私になってからはお世話係だったような……うん、これも今までの働きで清算でいいだろう。
そう、私にとって、ここでの暮らしはもう終わったこと。(まだ終わってない)
とりあえず、今晩は出入りが多そうだし、隙が多そうな明日の晩に夜逃げするのが一番良さそうだ。本当に急だが、エリスにもそう伝えるとしよう。
☩ ☩ ☩
さて、夜逃げ決行当日である。
既に陽は落ちており、遠く城館内や中庭がざわめている。戦の前の景気づけとい奴だろう。供されているであろう食事には興味がない訳ではないが、近寄ることはできない。静かに闇に紛れて消える。それが一番良い。
私は腰巻をしっかりと巻きつける。
エリスもまた最初に身に着けていた服を着て、しきりに鼻を寄せては首を傾げている。まだ嗅覚が正常に戻っていないのだろう。実際の所、衣服の臭いはかなりマシになっている。家獣が住む部屋程度だ。
「これ大丈夫です? 臭くないです?」
「ハジメテ、より、クサイ、ない。でも、クサイ、ある」
「そこは臭くないと言ってほしい所です」
「ウソ、ダメ、キイタ」
私の答えに、エリスは天幕の布を抱きながら、ぷくりと頬を膨らませる。
自然体の愛嬌。件の連中が固く隙のない令嬢たちに囲まれていたのなら、こういった仕草にヤラれたのかもしれない。
「えりす、ニモツ、もつ、した?」
「はい。持ちました。食器も布に巻き込んで、落ちないようにしています」
よし、後は私がエリスを抱えるだけ。
そう思った時だった。
夜の空が夕日が戻ってきたかのように明るくなり、爆発音が聞こえたのは。
「ひゃっ」
断末魔。悲鳴。苦痛の叫び。そして、鬨の声。
突発の事態。
建屋の前でうろうろしている監視者も間違いなくそちらに注意が向く。
そう確信して、私は即座に少女を横抱きし、壁の上へと飛び上がる。
トスンと衝撃。壁上のでこぼこが足形に均された。上を見る。両手がふさがる状況で、より高い城壁を越えるのはさすがに難しい。ついで戦場騒音が聞こえる方向に視線を送る。
城門櫓が燃え、赤と臙脂が城内を明るく照らす。建物に影が映り揺れる。庭に並ぶ夜営天幕の周囲では複数の人影が踊っている。いや、武器を手に襲撃に抗っていた。
そう、襲撃だ。
城内での反乱でなければ、ドッケンヘンが戦をしている相手……ドーラント王国の夜襲を受けた、ということだろう。
今更ながら、てきしゅーてきしゅー、むかえうてと叫ぶ声が広がっていく。
……えー。
でもちょっとこれ、だらしねぇな、としか言えない。
門の警備とか警戒態勢とか偵察活動とか、どうなっているんだ、これ。もう日没は過ぎて門が閉じてるはずなのに。
と思ったが、話にあった通りに門が管理されていたかがわからない。油断があったか、なにかあって揉めて門が閉じられなかったか。いや、そこはもうどうでもいいか。
とにかく、ドーラント側が途上にある村落という略奪対象を無視して、常にない速さでドッケンヘンを直撃した。
今のところ、これを事実としておく。
「あのっ、これって、いったいなにが!」
エリスが動転している。
聞いた身の上では戦と関わりがなかったようであったから、当然の反応だろう。
「えりす、イクサ、なった」
「え」
「アイテ、ここ、きた。イクサ、なった」
見る間に、少女の顔が強張り始めた。
「ど、どど、どうするんです?」
私は首を傾げて見せた後、げはっと笑って言った。
「ニゲル。いま、ヒト、タイヘン。ヒト、コマル。ヒト、イソガシイ。おで、えりす、ニゲル」
「でできるんです?」
「できる。えりす、おで、しんじる」
返事は待たず。
私はしっかりと少女を胸に引き寄せて、各部屋の庭を跳び越すべくひょいひょいと跳んでいく。
そして、最後に降り立ったのは建屋と東側城壁の合間。いまいち違いはわからないが、とりあえず娑婆の空気はうまい。
幸いというべきか、付近に監視する者はなかった。監督連中も騒ぎの対応に動き始めるか、建屋の前を固めて不測の事態に備えるといった所だろう。
私は口をつぐんだまま、できるだけ音をたてないように走り出す。
目指すは燃え盛る城門。今、その周囲は敵味方が入り乱れる状況だ。この乱戦の合間を縫って、城外へ抜け出す。邪魔する奴は蹴り飛ばせばいい。
さらばだ、まいほーむ(旧)!
私はもう二度と戻らんだろうが、壊されないように養生しろ!
そんなことを思っていれば、なにやらまた夕照めいた光が満ち、物凄く大きな火の塊が夜空を走った。長く尾を引きながら、それは私とすれ違うように、かつてのまいほーむへと飛んでいく。
……えっ、なんで?
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