第1話 生まれて初めての言葉

 さて、端的に現状を話そう。


 オレは通り魔に刺されて死んだはずだった。

 元は28歳の冴えない成人男性で、ちょびっと清々しい死だった。


 だけど、今は0歳3か月の赤ちゃんとして生まれ変わってしまった。

 しかも女の子。


 

(いやぁ、なんでこうなるの?)



 理由なんて考えてもわかるわけがない。

 これは超常現象なんだ。いや、奇跡と言い換えてもいいかもしれない。

 どっちにしても、勉強のできないオレに分析できるわけがない。

 これは一旦、横に置いておくべきだろう。


 さて、直近で一番の衝撃だったのは、ママの正体である。


 ママは赤の他人ではなかった。


 死ぬ間際に思い出していた元カノ――八箇はっか徳美とくみ

 オレは、彼女のお腹から、産まれた。

 産まれてしまった。


 初めて知った時の衝撃はすさまじく、盛大に漏らしてしまった。

 今は赤ちゃんだけど、かなり恥ずかしかった。


 ちなみに、オレの名前は純玲すみれというらしい。

 ママがよく「スミレちゃ~~~ん」と凄くだらしない声を掛けてきている。



「スミレちゃ~~~ん、いっぱいのむんでちゅよ~~~」



 彼女はいつもそういいながら、ミルクを与えてくれる。

 哺乳瓶からではない。

 彼女の乳房から直接、母乳を吸っている。


 そりゃあ、最初は興奮したさ。

 だけど、最初の一回で飽きてしまった。

 

 彼女の母乳はさほどおいしくなかったし、赤ちゃんにとって当たり前のことをしているだけだ。

 大の大人が食事を摂るだけで興奮するか、という話である。

 授乳プレイというのは、大人の姿でやるから興奮するのだ!

 

 それよりも、授乳の後の方が好きかもしれない。


 

「すみれー。げっぷできてえらいでちゅねー」



 このように、げっぷが出来ただけで褒めてくれる。

 抱かれながら、背中を優しくトントンとされるのも好きだ。

 赤ちゃんは自分一人でげっぷが出来ないから、誰かが背中を叩いて促してやらないといけない。


 大人の時は人前でげっぷをするだけで、冷ややかな視線を向けられていた。

 それなのに、げっぷをして褒められてしまう。


 ……なんというか、すごくたまらない。


 ママの強すぎる母性のせいで、つい「ままー」と言いたくなってしまう。

 でもいくら舌を回そうとしても「だー」とか「うー」としか出てこない。


 まだまだ言葉を話せるほど成長できていない。

 これでは『オレは荒川あらかわ咲春さくはるが転生してしまった姿なんだ』と伝えることができない。

 荒川咲春とは、前世での名前だ。



(流石に、打ち明けないわけにはいかないよなぁ)



 これがママが赤の他人だったら、打ち明けるのを迷っていたかもしれない。 

 面識があるどころか、元恋人なのだから、できる限り嘘はつきたくない。


 それでママに捨てられる可能性はあるけど、ずっと隠し通せるほど


 

(とりあえず、なるべく早く伝えるために、言葉を話す練習でもするか)

 


 ただ成長を待つのも退屈だったし、ちょうどいい目標ができた。


 最初は、1週間もあれば話せるようになるだろ、とたかくくっていた。

 だけど、赤ちゃんの舌はうまく動いてくれなかった。


 大人の時は特に意識しなくても、言葉を発することができた。

 改めて考えると、どうやって唇と舌を動かせば「あ」と発音できるかが分からない。

 全部無意識にやっていて、理論とかは考えたこともなかった。


 改めて、大人のオレが自然にしていたことの凄さが理解できる。

 前世のオレを褒めてやりたい。

 えらい!!!!


 それはさておき、もう一つ課題がある。

 練習するのに、十分な時間を取ることができないのだ。


 授乳は1日5回程度。おむつの交換も頻繁にある。

 しかも体力がなくて、すぐに眠ってしまう。

 ミルクを消化するのも結構疲れるのだ。


 だから少ない時間で、どれだけ練習を詰め込めるかが重要だ。


 そして練習していると、思うことがある。



(時間に追われていると、前世のことを思い出すなぁ)



 オレはWEBデザイナーとして、ブラック企業に勤めていた。

 タイムカードを切ってからが本番。

 深夜までの残業は当たり前。

 時報のように響く上司の罵倒。

 有休をとって出社するのは当たり前。

 全員が限界に達していて、オフィスは死屍累々の様相だった。



(思い出すだけでも、気分が沈んでしまう)



 そんな環境で働き続けていた。

 家に帰ってもやることがなかったから、都合がよくもあった。

 

 徳美と別れた後、オレの唯一の癒しはエナジードリンクだった。

 学生時代は飲んでいなかったのだけど、社会人になってから先輩に奢られて飲んだ。


 その時の衝撃は忘れられない。

 独特な科学的な風味、口の中で暴れる強炭酸。

 のどを通り過ぎた瞬間、体のなかに


 いつしか、次のように考えるようになった。



 作業をするためにエナドリを飲むのではない!

 エナドリを飲むために作業をするのだ!



 オレはそうやって、ブラック労働を乗り切ってきた。

 定時が終わった瞬間に、エナドリを買いに走ることなんて当たり前だったし、職場にはエナドリを冷やしておくための冷蔵庫まで用意されていた。

 オレが社長に直談判して、設置してもらったものだ。

 それ以来、社長はオレに奇異な視線を送っていたけど、多分気のせいだろう。


 実際エナドリには、それだけのことをする価値がある。


 エナドリ特有のケミカルな風味。

 強炭酸の暴力的なのど越し。

 飲めば飲むほど上がっていくテンション。

 沁みるアルギニン。

 あふれるカフェイン。

 覚醒するブドウ糖。


 それらすべてを同時に摂取できる『神の飲み物』こそが、エナドリだ。


 ああ。

 思い出せば思い出すほど、飲みたくなってくる。

 できればカップラーメンを食べた後に飲みたい。

 ラーメンのジャンキーな脂っこさを、炭酸とケミカルな味で流すのがたまらないのだ。


 ママには申し訳ないけど、母乳では物足りない。

 エナドリともっと刺激的なものを飲みたい。

 少しだけでもいいから、あの成分を摂取したい……。



「ありゅぎにん」



 ママが、オレのオムツを変えているタイミングだった。

 オレはついつい、声を漏らしてしまった。

 この時、生後6か月。

 単語を話せるようになるのには、かなり早いタイミングだっただろう。


 残念なのは、第一声がそれ・・だったことである。

 普通は「ママ」とか「まんま」とかが一般的だろう。

 それなのに「ありゅぎにん」である。



「ありゅ……ぎにん……?」



 ママは頬を引きつらせている。

 これはヤバイ。明らかにドン引きされている。


 オレは振り絞って「違うんだ」と言おうとしたのだけど――



「かふぇいん ふぁ」



 と言ってしまった。


 舌がエナドリを求めすぎているみたいで、エナドリに関する言葉しか言えなくなっている。


 赤ちゃんとして恥ずかしい限りだ。

 ママの中に戻れる穴があったら入りたいっ!


 恐る恐るママの様子をうかがうと、彼女は目をカッと見開いた。



 「天才だわッッッ!!!」



 ママはオレを抱きしめて、目をキラキラさせている。

 オレは困惑のあまり、目を白黒させるしかなかった。



「はじめての言葉で、そんな難しい単語を話せるなんてっ! 将来はきっとエジソンも超えるわよ!」



 どうやら、ママは重度の娘バカであるらしい。

 色々と疑問や問題点があるはずなのに、無邪気にオレの頭を撫でている。


 その喜びようを見てると、自分がどれだけ愛されているのか、実感してしまう。


 だけど――


 もし彼女がオレの正体を知ったら、どんな反応をするだろうか。

 受け入れてくれるだろうか。

 それとも拒絶されてしまうだろうか。

 ママの――徳美の笑顔は曇ってしまうだろうか。


 考えるだけで、胃がキリキリしてくる。

 


(ああ、前世について言いづらくなっちゃったなぁ)



 嘘をつき続けるのは嫌だけど、ママの笑顔は守りたい。

 相反する想いが心の中でぶつかり合っている。


 オレはグルグルと思考を巡らせていると、ブリュッと漏らしてしまった。

 まだオムツを着けてもらっていないのに。



「ちょっとっ!?」



 ママの短い悲鳴が響いて、この事件はうやむやになった。





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