side story 影山翔太 前編

 気持ちのいいことってなんだろうか。


 ゲームで勝つこと?

 相手を言い負かすこと?

 それとも、女装してみんなやママに「かわいい」って言われること?



 オレさまはいつも、唇を思い出す。



 ファーストキスは、幼稚園の時だった。

 相手は八箇純玲。


 その時は、彼女と特別仲がいいわけじゃなかった。


 どちらかというと、険悪だった。

 正確には、オレさまからちょっかいを掛けていた。

 最初に出会ったときから、見下されている気がしていたし、なんか大人びているのが気に食わなかったから。


 純玲が人気者になると、レジスタンスを結成して対抗して、とにかく邪魔をした。



 そんなある日、事故でキスをしてしまった。



 やわらかい唇の感触と、ちょっと甘い香り、それに綺麗な瞳。

 あの光景が脳裏に焼き付いて、ずっと離れてくれない。

 ことあるごとに、彼女の唇を見てしまうようになってしまった


 お喋りしている時も、一緒にご飯を食べている時も、勉強や宿題をしている時も、気付けば唇を見てしまっている。


 純玲の唇が、特別特徴的なわけじゃない。

 そんなに肉厚でもないし、小ぶりなわけでもない。

 ただ、ちょうどよく柔らかかくて、しっとりとしていて、いい匂いがするだけ。

 でも、それがたまらなく魅力的だった。



 唇に対する執着。

 


 それは、女装を始めてからも変わらなかった。



 あの唇にキスをしたい。

 もう一回だけでいいから。


 いや、嘘だ。

 100回はしたい。1万回はしたい。

 ずっとずっと、死んでもキスしていたい。



 そんな想いを抱えながら、オレさまは中学校に上がって――



 彼女に告白した。

 





◇◆◇◆◇◆ 


 



 ふと考える時がある。

 人を殺した時って、どんな気持ちになるんだろうか。


 しかもその罪を償うことなく、逃げようとする人間は、どんな気持ちで生きているのだろうか。


 知りたくないけど、知りたい。

 世の中には『知らなくていいこと』があるらしいけど、これは知らなくていいことなはずだ。


 知ったところで、理解なんてできるわけがない。

 でも、知ってやりたいことがある。



 知った上で、理解した上で、全部を否定してやりたい。



 お前は間違えている。オレさま達にもう迷惑をかけるな、さっさと死んでくれ。



 そう言ってやりたかった。

 それなのに本人を目の前にすると、口に出せなくなってしまった。



「おー。大きくなったもんだなー」



 オレさまは今、刑務所に来ている。

 声を通すための穴が開いたガラス。その先で、見慣れない顔が笑っている。


 産まれて初めて生で見る、産みの父親だ。

 かなり地味な見た目をしている。

 やせ型で、少し目が大きいこと以外に特徴がない。


 オレさまはこの男と話すためにやってきた。 



「もう演技はいいのかよ」

「もう有罪判決は食らったしな。演技する理由はない」



 父は薄ら笑いを浮べながら言った。

 言動も仕草も薄っぺらくて、腹が立つ。



「お前が変なことをしたせいで、オレさまとママは迷惑がかかったんだぞ。ママなんて倒れた」

「それはオレが悪いのか?」



 おもわず「は?」と低い声が漏れた。



「オレは助かるための努力をしただけだ。それで勝手に騒いで、お前たちを追い詰めたのは、マスコミや周囲の人間だ。オレのせいじゃないだろ」



 今すぐに殴り飛ばしたかった。

 だけど、下唇を噛んで、必死にこらえる。



「発端はお前だろ」

「確かにそうだが、オレだけに責任を問うのは」

「悪い意味で話題になるのは予想できていたはずだ」

「ああ、出来ていたさ。ただな。お前たちよりも、オレ自身の方が大事だったというだけの話だ」



 家族よりも自分が大事。

 そんな人間はいてもいいと思う。

 だけど、自分の父親なら最悪だ。



「ああ、そうか。よくわかったよ」



 オレさまはズボンをギュッと握りしめた。

 今は女装をしていない。

 息子として、男として、父と対峙するために



「なんで、通り魔なんかしたんだ?」

「裁判記録に全部書いてあるぞ」

「お前の口から聞かないと納得できない」

「そうか。まあ、別にいいけどな」



 父は一回ため息を吐いてから、



「何かが変わる気がしたからだ」

「…………」



 思わず、父の顔面をボコボコに変えたくなってしまった。


 目の前の男はどうみても、自分に酔ってしまっている。

 


「あの時は本当にどん底だったんだ。お前のママに追い出されるわ、仕事はうまくいかないわ。ムシャクシャして、この世の中が間違っていると思った。もっとオレのことを世の中に示さないといけないと思った。だから通り魔をして、何かを変えることにした」

「……変わるわけないだろ」

「確かに変わらないかもしれない。でも、やってみないとわからないだろ? 実践してみないと変わる可能性はゼロだ。それに、お前のママは絶対に覚え続けてくれるだろ。追い出したオレのことを」



 最悪の考え方だ。

 自分のことしか考えていない。

 他人の気持ちなんて、これっぽっちも考えていない。



「ママは『忘れたい』『なかったことにしたい』って何回も言ってたぞ」

「つまり『忘れられない』ってことだろ。成功じゃないか」



 父は楽しそうに笑い出した。

 ダメだ。本当にかみ合わない。同じ人間なのか、心の底から疑問に思ってしまう。



「被害者も、選んだのか?」

「その場に偶然いたからな。ガールズバーで見た顔だな、と気づいたから刺してやった」

「その方が、ママの記憶に残るからか?」

「さすがオレの息子。わかってきたじゃないか」

「……2度とそんなセリフを吐くな」



 こんな人間が、死刑になっていない。

 本当に理不尽だ。


 さっさと死刑になった方が、オレさま達にも、世間にも絶対いいはずなのに。


 本当は今すぐ外に出て、叫びたい。

 そこら辺の電柱を殴って八つ当たりしたい。

 でも、ここからが本番だ。

 


「最後に言っておくことがある」

「なんだ? 罵詈雑言なら聞かないぞ」



 これを言うために、オレさまはここにきた。



「オレさま、告白したんだ。好きな女の子に」

「なんだ。つまらない話だな」



 父は興味を失ったのか、自分の爪をかじり始めた。



「その女の子が言ったんだ。『オレは荒川咲春の生まれ変わりだ』って」



 正確には、その後に『だからちゃんと考えて。後悔させたくないから』と言われたけど、今は話題に出さなくていい。



「あらかわ? なんか聞いたことがある名前だ。AV女優だったかな?」

「お前が殺した、被害者の名前だ」



 父が初めて、動揺を顔に出した。



「はっ。生まれ変わり? そんなのありえないだろ」

「事実だ」

「子供だな」

「なんとでも言ってくれ。でも、そのおかげで救われたんだ。オレさまも、ママも」

「頭がお花畑なことで」



 オレさまは父の瞳をまっすぐと見た。


 父の瞳は真っ黒で、とても不気味だ。だけど、すこしだけ揺らいでいるように見えた。



「彼女のおかげで、きっと忘れられる。お前のこと。何年後になるかはわからないけど、悪夢にうなされることもなくなる」

「そう簡単に忘れられるかよ」

「忘れるさ。嫌な記憶なんてすぐに忘れられる。罪悪感なんて、もうないんだから」

「そうなったら、またオレが会いに行ってやるっ!」



 声を荒らげる父を前に、オレさまは動かなかった。

 なぜか怖くない。

 逆に、哀れにすら思えてしまう。


 目の前の男は『忘れられること』におびえている子供みたいだ。



「通り魔になって、今度は何十人も殺してやる。なにせ、オレは死刑も無期懲役にもなっていない。いつか出られる。殺したままの、返り血だらけの姿で会いに行ってやるよ」

「その時には絶対にこう言ってやる」



 ゆっくりと口を開く。 



「どちら様ですか? ってな」



 父は大きく目を見開いて、崩れ落ちた。



「ははっ」



 少し愉快そうに笑い出したかと思うと、今度は暴れ始めた。

 何度もガラスを立ちて、椅子を振り回すと、監視員に取り押さえられた。


 そして、オレさまは「面会はここまでです」と告げられた。



 やっと終わった。


 

 外に出ると、青空だった。

 とてもいい天気だ。



「よし、行くか」



 オレさまは走り出した。

 これから大事な用事があるんだ。

 もう一刻も待てない。


 また、告白しに行く。

 そして、キスをするんだ。

 もう気にすることはなにもないんだから。


 今は父のせいで最悪な気分だ。

 しかも、過去のことを思い出してナイーブになっている。


 今すぐ泣き崩れたい気分だけど、きっと忘れさせてくれる。



 こんな気分を吹き飛ばすような、最高のキスが。



 もう、そのことで頭がいっぱいだ。




―――――――――――――――――――――――――――――

後編は今日(7/31)の夜に公開します

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