side story 八箇徳美 

 アタシは気持ちのいいことが分からない。


 多分、アタシは気持ちのいいことがあまり好きじゃない。


 みんな気持ちいいことは最高だという。

 でも、私はいつも「これじゃない」と思ってしまう。


 キスをしても、えっちをしても、確かに気持ちいいと感じる。

 背筋がゾクゾクッとして、気分が高揚する。

 心がポカポカ温かくる。



 でも、それは一時のことで、突如冷え切ってしまう。



 例えば、目をつむった拍子に、母親の顔を思い出してしまった時。

 母親に罵倒されたシーンが次々と思い浮かんで、背筋が凍ってしまう。


 すると、どんどん思考が悪い方向に進んでしまう。


 いつもみんな優しくしてくれるけど、アタシがいないところで嘲笑してるんじゃないか。

 本当はアタシは常に嫌味を言われていて、気付いていないだけなんじゃないか。

 そもそも仲がいいと思っているのは、アタシだけなんじゃないか。


 どんどん怖くなって、胸が痛くなってしまう。



 他人を信じていないわけじゃない。



 みんなとっても優しくて、いい人ばかり。

 みんなの優しさは間違いなく本物で、疑う余地なんてない。



 信じられないのは、自分自身だ。



 アタシのいいところがわからない。

 好かれる点がわからない。

 教えられても、信じられない。


 自分の良いところや「他の人はもっとすごいよね」って思って、口に出せなくなってしまう。



 それがアタシだ。

 八箇徳美だ。



 原因はおそらく、母親。

 アタシの母親は……毒親だ。

 うん、毒親で間違いない、と、思う。


 束縛してくるくせに、ずっと否定されてきた。 

 彼女の思い通りに動かないと、存在価値がないとばかりに人格否定されてきた。


 アタシが母親から受け取ったのは、愛じゃない。

 劣等感だけだった。



 産みの親に愛されなかったアタシは、はたして愛される資格があるのだろうか。



 そんな考えを消し去りたくて、アタシは愛を求めてしまう。

 わかりやすい愛を。


 愛の言葉を。



 愛してる。

 好きだよ。

 かわいい。

 ずっと一緒。


 

 言われるたびに、嬉しくなる。

 心が弾む。

 愛してくれるんだって感じて、満たされる。



 だけど、すぐに腐ってしまう。


 

 アタシの中では、愛は不変でも永久でもない。


 消費期限がある、食べ物みたいなものだ。


 愛を入れる器は冷蔵庫。

 普通の人は愛を入れておくと、ずっと保存することが出来るのかもしれない。

 本当にすごい人だと、永遠に。

 きっと、AIとかチルド機能がついた、大型の冷蔵庫なのだろう。


 でも、アタシの冷蔵庫は違う。

 ビジネスホテルにあるような、小さくてなんの昨日もなくて、あんまり冷えない冷蔵庫だ。

 ポンコツだ。

 3日もすぎないうちに、愛を腐らせてしまう。


 なんで愛って腐ってしまうんだろう。

 多分、信用できなくなるんだと思う。

 3日前愛されていたからって、今愛されている保証はどこにあるの?

 

 だから、常に新しい愛を求めてしまう。

 求め続けないといけない。



 でも、本当に欲しいものは、そんなものなのかな?



 足りないものを求めているだけな気がする。






◇◆◇◆





 アタシには愛娘がいる。


 スミレ。


 本当にかわいい。

 アタシに似ているし、ユタカにも少し似ている。

 しかも、とっても頭がいい。


 生まれて初めて話した言葉が「ありゅぎにん」だったほどだ。

 正直、最初は耳を疑った。

 なんでそんな言葉を知っているのか、とかいろいろ考えたし、本当は「まま」って言ってほしかった。


 でも、ここで否定してしまったら、ダメな母親だ。

 赤ちゃんはとにかく褒めないといけない。

 そう育児本に書いてあった。


 アタシは我慢して、出来る限りオーバーリアクションで褒めた。


 すると、スミレはすごく複雑な顔をしていた。

 本当にこの子はなんなんだろうか。


 でも、かわいい娘には間違いない。


 必死に育て続けた。

 できる限りの愛を注ぎ続けた。

 毎日ご飯を作って食べさせて、いっぱい読み聞かせさせて、 


 すると、スミレはスクスクと成長してくれた。

 スルスルと文字を覚えるし、歩くのも早くて、周囲の子供と比べると明らかに抜きんでていた


 母親として嬉しかった。

 でもその反面、とても寂しい気持ちもあった。

 このままでは娘に置いて行かれるかもしれない。

 娘に失望されないように、完璧なママにならないといけない。


 育児本をいっぱい読んだ。

 いろんなドラマを見て、よりよい母の勉強をした。

 セミナーにも通った。


 余命宣告されても、やめなかった。

 少しでもスミレにとって『いい母親』の記憶を残してあげたかったから。

 アタシみたいになって欲しくなかったから。



 でも、そんな頑張りの先にあったのは、悲しい結末だった。



 きっかけはアタシの誕生日。

 何歳の記念日だっただろうか。

 たしか30歳ぐらいだったはずだ。

 自分の年齢になって興味がなかったから、大体でしか覚えていなかった。


 スミレはうさぎのネックレスをプレゼントしてくれた。

 その頃にはスミレは子役として活躍し始めていて、そのお給金で買ってくれた。


 本当にうれしかった。

 その場で身に着けると、スミレは「似合ってる」と笑ってくれた。


 でも、幸せな時間はたった一言と、アタシの幼稚さで壊れてしまった。



「もう少ししたら、一人暮らしでできるぐらい稼げるかも」



 スミレが発した言葉。


 次の瞬間、頭の中に黒いモヤが出来た。

 独り立ちするスミレを、想像してしまった。


 怖くなってしまった。

 スミレがいない生活なんて、考えられない。


 一瞬、頭をよぎったのは自分の母親。

 彼女に言われた言葉の数々がフラッシュバックした。

 

 ダメだ。

 言っちゃダメ。


 でも、我慢できない。

 


「ねえ、ママ、そんなにダメかな?」



 それから、自分が何を言ったかはあまり覚えていない。

 絶対に面倒なことを言っていただろう。



「もう知らないっ! ママのバカっ!!!!」



 そうして、スミレは出て行ってしまった。



 やってしまった。



 頑張っていい母親になっていたのに、全部壊れてしまった。


 それからの生活は、まさに地獄だった。

 スミレはユタカに預かってもらうことにした。

 アタシよりも魅力的で、大きな夢を持って進み続けている人だから。


 才能のあるスミレには、いい理解者になってくれると思った。



 スミレのいない生活。



 歯ブラシはあるのに、スミレはいない。

 箸はあるのに、スミレはいない。

 いた痕跡がある分、辛かった。 

 自分の中の芯がなくなってしまった感覚があった。


 何をやっても気力が湧かなくて、ずっと上の空だった。 



 そんな中、あるニュースを見てしまった。



 元カレを殺した通り魔。

 影山先輩の彼氏。


 彼は、裁判所で狂った言動を繰り返してしていた。


 それを見た瞬間、ある考えが浮かんだ。



(もしかして、呪いなのかな)



 元カレ『荒川咲春』の呪い。

 そう思うと、とてもしっくり来た。

 そうとしか考えられなくなった。



 それから、毎晩のように悪夢を見るようになった。



 とても寒い雪の日。

 周囲には幸せそうなカップルがいっぱいいて、イルミネーションが輝いている


 その中心の噴水。

 そこで、アタシは何度も顔を水に浸けられていた。

 溺れそうになったら、顔を上げられて、呼吸が整ったら


 咲春と母親が、ずっと、無表情に繰り返してくる。


 悪夢が見るのは怖くて、眠れなくなってしまった。



 数日後。

 ガールズバーのママから、影山先輩が倒れたことを聞かされた。


 アタシは早速、お見舞いの準備を始めた。

 正直、そんなことをする精神的余裕はなかったけど、彼女にはお世話になった。

 少しでも励ましたかった。


 そうやって病院に向かう途中、アタシは言葉を失った。



 横断歩道の先に、スミレがいた。



 あ、大きくなってる。

 前よりかわいくなってる。


 なんでこんなところにいるのだろうか。

 影山先輩のところに居たのだろうか。

 翔太くんと仲がよかったから、その繋がり?



 いや、そんなことはどうでもいい。



 本当にうれしかった。

 スミレに出会えた。

 スミレもアタシの事を見ている。

 逃げていない。

 それに、顔を見ているだけでも、彼女の気持ちが痛いほどにわかる。


 スミレはアタシの娘で、アタシはスミレのママだ。


 もう絶対に離したくない。

 ぎゅっと抱きしめたい。

 いっぱいご飯を作ってあげたい。

 ずっと一緒にいられないけど、いっぱい思い出をあげたい。


 青信号になると、スミレは駆け寄ってくれた。



 ふと、視線を横に動かすと、車が見えた。



 赤信号なのに、止まっていない。


 青ざめた。

 必死に走った。


 自分でも信じられないほどの速度で、進んでいく。



 アタシは、スミレをかばって、吹き飛ばされた。



 すごく痛かった。

 全身が引き裂かれるように痛くて、泣きたくなった。

 特に頭が痛い。

 かなり血が流れる。


 なんで、アタシばっかりこんな目に遭うんだろう。


 アタシがアタシである限り、ずっと続くのかなぁ。

 アタシじゃなかったら、呪われなかったんだろうか。

 スミレは苦労のない人生を歩めたのだろうか。

 アタシだから、失敗したのだろうか。


 もう嫌だなぁ。

 疲れた。


 ……もうアタシじゃない人に、アタシを任せたい。



 そう思った瞬間、小さな女の子が現れた。


 よく見ると、5歳ぐらいのアタシに似ている。



『まかせて。もうゆっくりやすんでいいよ』



 その言葉を聞いた瞬間、緊張の糸が切れた。


 アタシの意識は奥深くに沈んでいく。

 こうすれば、楽になれる。

 苦しまなくてよくなる。

 頑張らなくてよくなる。


 何も得ないようにして、死ぬまで生きていこうとした。

 どうせ後数年しか生きられないのだから。



 スミレが自分の正体を打ち明けて、アタシの心をスーッと楽にしてくれる。



 その時が来るまで。






――――――――――――――――――――――――――――――――

次、最後のサイドストーリーです

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