side story 三戸喜怒哀楽 後編

《ママが交通事故に遭った》



 そのメッセージを見た瞬間、頭が真っ白になった。



「へ?」



 全く頭が追い付かない。


 えっと、交通事故ってなんだっけ……?

 ニュースでよく聞くやつ?

 大騒ぎになって、人がケガしたり死んだりするやつ?

 徳美ちゃんが、死ぬ?


 え? 人って死ぬんだっけ。

 あ、いや、死ぬよな。

 徳美ちゃんだって、死ぬことがあるんだよな。


 そこまで考えて、ようやく鳥肌が立った。


 必死に指を動かして、何度も書き直しながらメッセージを打つ。

 


《大丈夫なのか!? 生きてるのか!? 純玲ちゃんにケガはない!?》

《生きてなかったら、連絡していない》

《?》

《ママが記憶喪失になった》

《へ?》

《だから、来て。何か思い出すかも》



 僕はいてもたってもいられなくなり、病院へと向かった。

 そして、出会い頭に衝撃的な言葉を告げられた。



「オジサン、だーれ?」

「おじ……っ!?」



 ショックだった。

 まさか徳美ちゃんに『オジサン』って言われるなんて、想像もしていなかった。

 それに実年齢で言えば、僕の方が5歳ぐらい下だし。


 僕は頰を引きつらせながらも、笑顔を取り繕った。



「えっと。徳美ちゃんと僕は、恋人だったの」

「え、オジサン、ロリコンなの?」



 正直、否定はできない。

 小さい女の子は好きだ。

 全然怖くないし、かわいいから。


 でも、ここで「うん、そうだよ」って言わない方がいいのはわかる。



「えっと、そういうことじゃなくて――」

「じゃあ、どういう意味?」

「え、えっと、それは――」



 どう答えていいのか、全くわからない。


 徳美ちゃんの純粋な瞳を向けられてしまうと、どうしてもタジタジになってしまう。


 ダメだ。



「すみれ~~~」



 スミレちゃんに助けを求めたけど、無視されてしまった。

 よく見ると、スミレちゃんの口は少し笑っている。


 僕の様子を見て、楽しんでいるんだ。

 性格悪いな。

 誰に似たんだろう?


 その後、いくつか昔話をしたけど、徳美ちゃんの反応はイマイチだ。



「はあぁ」



 スミレちゃんのため息が聞こえた。

 


(このままじゃ、さらに嫌われてしまうっ!)



 僕は必死に頭をフル回転させた。

 何かヒントはないだろうか。

 生まれた時からのことを思い出していると、小さい頃に読んだ絵本を思い出した。

 


「キスしたら思い出すかも?」

「は?」



 我ながら名案だ。

 眠ったお姫様を起こすのは、王子様のキスと相場は決まっている。


 善は急げ。

 僕は早速、徳美ちゃんの肩を掴んで、唇を近づけようとした。


 だけど、純玲ちゃんに引きはがされてしまった。

 小さい体のどこにそんな力があるのだろうか、と思う程に強引だった。



「ダメ。徳美ちゃんにはまだ早い」

「いや、遅いとかそういう話ではないだろ。体はちゃんと大人だろ」

「ダメ。お姉さんが許しません」

「親子の立場が逆転してないか?」



 結局、徳美ちゃんは記憶を取り戻さなかった。



「ねえ、純玲ちゃん」



 帰り際、純玲ちゃんに話しかけた。



「…………」

「大変なら、一緒に住みなおさないかい?」

「イヤ」

「でも、一人で暮らすことになるんだよ?」

「子役の仕事もあるし、大丈夫」

「いや、子供で一人暮らしはさすがに……」

「お前と一緒に住むよりはずっと安心だから」



 娘にもフラれてしまって、僕はトボトボと帰った。


 家に着いて、部屋を見渡す。

 メチャクチャ汚い。

 純玲ちゃんと一緒に暮らしていた時は、もう少しキレイだった気がする。


 今はゴミだらけで、床が全く見えない。


 唯一ゴミがない布団エリアに座って、ギターを握る。

 それから、軽く弾いた。


 今はバラードを歌いたい気分だ。



(流石にへこむなぁ)



 徳美ちゃんは何も思い出してくれなかった。

 一応夫婦じゃなくて、何度も愛し合った仲だ。

 それなのに、

 しかも娘にも嫌われ続けている。



(とりあえず、部屋を片付けるかぁ)



 そうすれば少しはスッキリするかもしれない。

 だけど、10分もせずに飽きて、投げ出してしまった。


 ゴミ捨てひとつまともにできない自分。


 だけど、それでいい。


 歌を歌えれば、それでいい。

 




◇◆◇◆◇◆

 




 それは雨が降りそうな曇りの日だった。


 コンビニに行く途中に、後頭部をゴツンと叩かれた。



(なに!?)



 そのまま気を失って、僕は誘拐されてしまった。


 次に目を覚ますと、汚い小屋の中にいた。


 僕が目を覚ましたのに気付いたのか、女性が見下ろしてきた。



「ふん」



 その顔には見覚えがあった。

 たしか、九条麗舞れまちゃん。

 徳美の友達だったはずだ。とてもいいお尻をしていて、一度だけでもいいからセックスしてみたいと思ったことがある。

 

 だけど、彼女にはメチャクチャ嫌われている。

 無理やりっていうのも違うし、少しずつ僕のことを知ってもらおうと考えてる。


 僕のことを知ってくれれば、好きになってくれるはずだから。


 彼女の顔を観察していると、あることに気付いた。

 


(ん? なんか顔色がわるいな?)



「ねえ、調子が悪いの?」

「どうでもいいでしょ」

「すっごい不機嫌。もしかして、生理?」



 言った瞬間、顔を踏みつけられた。


 なんで。

 女の子が不機嫌だったり、セックスを断る時は生理だろ。

 お父さんもゆってたし。


 僕は汚名挽回……返上? するために周囲を見渡した。


 すると、車椅子の上で眠っている徳美ちゃんを見つけた。



「あれ、徳美ちゃん……」



 彼女は記憶喪失なままのはずだ。



「何をする気なんだ!?」

「別に」

「別にじゃないだろ」



 九条さんは「はあぁ」と面倒くさそうにため息を吐いたあと、衝撃的な言葉を吐いた。



「一緒に死んでくれない?」


 

 彼女の顔は、冗談には見えなかった。


 ぶわっ、と冷や汗があふれ出す。



「イヤだ! 僕は死にたくないっ!」



 まだまだ歌いたい曲がいっぱいある。

 プロになる夢だって叶えていない。

 純玲ちゃんに「パパ大好き。将来パパのお嫁さんになる」って一度も言われていない。


 このまま死ぬのはイヤだ!



「うるさい! 静かにしていろっ!」



 僕はなすすべもなく、タオルで口を塞がれてしまった。

 もう、ここで終わりなのかなぁ。



 そんな中、純玲ちゃんがやってきた。



 救世主のように輝いている。



(がんばれ~~がんばれ~~)



 僕はエールの電波を送りまくった。


 でも、途中から九条さんの顔を魅入られてしまった。

 

 

(この世界に、こんなに辛そうな人っていたんだ)



 それが、あまりにもショックだった。

 なんとなく、この世界はとっても優しい世界だと思っていた。


 確かに世界には戦争をしている場所がある。


 でも、僕の住んでいる日本では戦争なんて起きていなくて、みんなが幸せだと思っていた。


 みんな文句を言っているけど、なんだかんだ楽しく生きていて、笑っていると思っていた。

 苦しい人がいても、ドラマみたいに誰かが救っていると思っていた。


 そして何より。

 僕にとって非現実的な悲痛顔が、あまりにも美しかった。


 胸が高鳴った。

 頬が赤くなった。


 僕の心を表すみたいに、彼女の手の中で火が灯った。


 

(あ、ライター)



 次の瞬間、床が濡れていることに気付いた。

 ガソリンの臭い。


 火が落ちる。

 僕は今、この状況がよくわかっていない。

 なんで誘拐されたのか。

 なんで彼女がこんなことをしているのか。


 でも、あの火が落ちてしまったら、大変なことになるのはわかる。


 徳美ちゃんも死ぬ。

 純玲ちゃんも死ぬ。

 九条さんも死ぬ。


 みんなみんな死んで、会えなくなってしまう。


 いや、そうじゃない。

 もっと単純なことだ。

 僕が一番恐れていること。



 僕自身が死にたくない。



 必死に手を動かす。

 でも、縄はまったくほどけてくれない。

 力任せじゃだめだ。

 うまく手首をひねって、引き抜くんだ。


 脚はいい。

 なんとか動かせる。


 腕の力だけで立ち上がって、縛られたままの足で地面を蹴る。



「やめろっ!!!!」



 九条さんを押し倒すと、ライターの火はちゃんと消えてくれた。


 その後、彼女は色々と叫んだ。

 まるでクレイマーのおばちゃんみたいだった。



「でも、私は死にたい! もう生きていくのがつらい」

「知るか! 悪いことをしようとしているから止めるだけだ!」

「悪いこと!? どうして悪いことだと言い切れるの!?」



 カチン、と来た。

 なんで頭がよさそうなのに、こんなこともわかんないんだ、この女は。



「皆が言っているから! 学校の道徳で教わったから!」

「はあ!?!?」



 その後、純玲ちゃんがビールを持ってきて、晩酌を始めてしまった。

 もしかして、ビールを飲みたかっただけなのだろうか。


 わからないけど、皆生きててハッピーエンドだ。



 こうして、心中未遂事件は幕を下ろした。



 だけど、僕の心の中にはずっと、あの事件の光景が浮かんでいた。



(なんだろう。世界が変わった)



 なんというか、少しだけ空気がおいしくなった。

 ご飯もおいしくなった。


 音楽を聴くのがもっと楽しくなった。

 ずっと九条さん――いや、麗舞ちゃんの顔が忘れられない。


 あの時のドキドキがずっと残っている。



 そんな中、徳美ちゃんが死んだと聞いた。



 後から話を聞くと、交通事故になる前から病気だったらしい。

 純玲ちゃんのメールで、送られてきた。

 なぜかビジネスメールみたいに堅苦しい文章だったけど。


 身近な人が死ぬ。

 初めての経験だった。


 死んだらどうなるんだろうか。

 歌は歌えなくなるんだろうか。


 突然、怖くなった。


 

(僕も、いつか死ぬかもしれない)



 いてもたってもいられなくなり、麗舞ちゃんに会いに行った。

 大きな花束を用意して、王子様みたいにひざまずいて、精いっぱいに叫ぶ。



「オレの子供を産んでください!」



 決まった。

 そう思ったのだけど。


 次の瞬間には、強烈なビンタが飛んできた。



「な、なんで!?」

「アホじゃないの!?!?」

「僕はドキドが止まらないんだ! ずっと麗舞ちゃんのことを考えてた」

「勝手に下の名前で呼ぶな!」

「僕達、絶対相性いいから。体の相性もきっとバッチリだから!」



 彼女の瞳が、さらにさげすんだものに変わった。



「あんたなんか、死ねばいいのに」

「それはひどくない!?」

「うるさい。今すぐ殺さないだけマシでしょ」



 完全に怒らせてしまった。



 こうして、僕の初恋と初めての告白は失敗に終わった。


 初めての恋。

 初めての失恋。


 僕はいてもたってもいられなくなって、歌を作った。


 失恋ソング。



 この歌がきっかけで売れ始めるのは、少し先の話だ。




◇◆◇◆◇




 僕は今、カラオケに来ている。

 僕の歌の原点。

 僕の両親がセックスした場所だから、本当に僕の原点なのかもしれない。

 

 そして、徳美ちゃんと初デートで来た場所でもある。

 もう彼女の姿はない。



(僕は、彼女をどう見ていたんだろう)



 恋心を抱いていたんだろうか。

 愛を確かめていたんだろうか。


 麗舞ちゃんを前にしたときのようなドキドキはなかった。

 でも、一緒にいてイヤな気持ちになったことがなくて、すごく安心できた。


 きっと、恋だって一つじゃない。

 ドキドキするのも、安心するのも愛なんだと思う。


 そう考えると、もっと愛を知りたくなった。

 愛を一つ知るだけで、これだけ世界がキレイになるんだ。

 全部知ったら、すごいことになるかもしれない。


 だから、恋をしてみよう。

 恋をするほど、この世界がおいしくなる。

 

 だから、愛を知ろう。

 愛を知るほど、この世界は面白くなる。


 そして、美しい歌を歌おう。

 みんなが聞いてくれる、好きな歌詞。


 僕の本当の歌は、ここから始まる。

 そんな気がするんだ。

 そして、僕がもっともっとお素敵になれば、麗舞ちゃんも振り返ってくれるはずだ。


 徳美ちゃんという、同じ人間を好きになったんだから、絶対に仲良くなれるよね。



 ふと、昨日恋愛相談した時に、純玲ちゃんから言われた言葉が脳裏をよぎる。



『吊り橋効果とか、ストックホルム症候群って知ってる?』



 どういう意味だったんだろう?

 難しい言葉はわかない。


 …………まあ、いっかっ!


 今がこんなに楽しいんだから!!!





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読んで頂き、ありがとうございます!


次回の更新は7/19夜~7/20朝の予定です

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