第3話 パパはだれ?
オレは生後10か月になった。
少しずつだけど、自分の力だけで立てるようになってきた。
まだまだ歩けないけど、順調に育っている。
ふと、8か月健診の時の出来事を思い出す。
ママは誰かを追いかけようとした後「ユタカ」と呟いていた。
(ユタカって、誰なんだろう)
ガールズバーのお客さんにも『ユタカ』という名前の人はいなかったはずだ。
おそらくは、オレと別れた後に出会った男なのだろう。
もしかしたら、オレの実の父親なのかもしれない。
ちなみに、オレ自身がオレの父親ということは、絶対にありえない。
オレと徳美が別れたのは、転生する2年半前の出来事だ。
妊娠期間が合わない。
(うわー。考えたくない。単為生殖であってほしい)
オレは助けを求めるように、部屋中を見渡す。
部屋には男の写真は飾られていない。
まだ縁があるなら、一枚ぐらい飾っているはずだ。
すでに離縁している可能性が高い。
でも昨日のママの反応を見るに、少なくともママには未練があるみたいだ。
考えるだけで、嫉妬で叫びたくなってしまう。
(このことについては、考えない方向で行こう)
オレは明後日の方向に行っていた思考を戻して、現実に戻ってくる。
それほどに逃げ出したい現実があったのだ。
「ままー」
「はーい。ままでちゅよー」
オレが「ままー」と言うと、ママはすごくニコニコしながら「ままでちゅよー」と返してくる。
オレはようやく「まま」と言えるようになったのだ。
本当によかった。
あまりにもオレが「まま」と言えないものだから、ママが「『ありゅぎにん』に改名しようかしら」なんて呟いていた時は、本当に肝を冷やした。
だけど、その後も地獄が待っていたのだ。
「ままってよんで?」
すごく期待した目で見られている。
目のキラキラが『ほら、ママって呼んで! ママって呼んで!』と訴えかけてきている。
おねだりとかお願いなんて生優しいものじゃなくて、圧が強すぎて脅迫になっている。
「ままー」
「はーい。ままでちゅよー」
一体、何回このやりとりを繰り返しただろうか。
普通、親の方が先に飽きるはずなのに、子供であるオレの方がウンザリしてきている。
さっきまでは思考を明後日の方向に飛ばして、自動的に「ままー」と呼んでいた。
それも限界だから、さっさと終わらせたい。
よし。とっておきをぶつけてみよう。
「ままー。すきー」
「!?!?!?」
ママは衝撃のあまり、目を大きく開いて、
日々の特訓の成果もあり、単語だけじゃなくて、2語の言葉を話せるようになったのだ。
これはまだママに見せていなかった。
さすがにこれで満足してくれるだろう。
「んも~~~~。ママも純玲ちゃんのこと大好きだよ~~~」
ママは、すごい勢いでほっぺにキスをしてきた。
何回も音が出るほど、チュッチュッチュと唇を押し当ててくる。
まるでキツツキみたいで、ちょっと痛い。
「ねっ! もう一回! あと100回っ! あ、動画も撮らないと!」
ママはかなり興奮した様子で、スマホを取り出した。
(あれ、逆効果だったか?)
オレは自分のミスに気付いて、絶望した。
だけど、オレの助けが神様に届いたのか、スマホから着信音が響いた。
『トイレの〇様』のメロディだ。
「ちょっと! こんな時にダレ!?」
ママはイラつきを隠さずに叫んだ。
だけれど、スマホの画面を見た瞬間、慌てて電話をとった。
それから数回言葉を交わしてから、嬉々としてオレに話しかけてきた。
「今日、ママが来るって!」
「まま?」
「そう。ママのママ。と言っても、ガールズバーのママだけどね」
オレは『ガールズバーのママ』のことを思い出そうとした。
前世でガールズバーに通っていた時に必ず見たはずだ。
でも、記憶にあるのは徳美の顔ばかりだ。徳美しか見ていなかった。
だけど、記憶の隅っこに残っていた。
すごく神経質そうな、いかにもな銭ゲバなオバサンだったイメージがある。
いつも眉間に皺が寄せていた。
ピンポーン、と。
着信から一時間もしないうちに、ガールズバーのママがやってきた。
だけど――
「ちょっと徳美! なんなの、その格好!」
ガールズバーのママは、開口一番にそう叫んだ。
「ママが来ると聞いて、急いで着替えたんですよ」
ママは自分の服装を見せびらかした。
バニースーツに身を包んでいる。
ガールズバーで着ていたものと同じで、かなり煽情的な格好だ。
ちなみにオレはウサギのパジャマを着せられて、ママに抱っこされている。
「なんでそんな格好するのよ……」
「だって、こんな機会がないと中々着れないんですもん」
「いや、その考えはおかしいわよ……。それに、それだけ好き好んでバニースーツを着る子は、初めてよ……」
ガールズバーのママは少し疲れた顔をしながらも、リビングに案内されていく。
それからしばらくは、2人の他愛の無い会話が続いた。
どうやら、ガールズバーのママは、ママの様子を見に来ただけのようだ。
ガールズバーでの昔話や、最近の出来事を語り合っている。
そして、前世のオレも話題に出てきた。
「あなたと昔付き合っていたお客さんがいたでしょ。確か咲春くんだっけ?」
「お客さんと付き合うなんて、ってママにはメチャクチャ怒られましたけどね」
「本当よ。いろいろと面倒なことになるんだから」
「でも、ママは最終的に認めてくれました」
(そんなことがあったんだ……)
オレは内心、ムズムズした。
盗み聞きしているようで、ちょっと罪悪感がある。
「まあ、いくら言っても聞かないでしょうからね。まったく、その頑固なのは誰に似ているのかしら」
「ママに似て、と言えたらよかったんですけど」
「……バカ言ってんじゃないわよ」
ガールズバーのママは耳まで真っ赤にして、そっぽを向いた。
一見神経質に見えて、結構かわいい一面がある。
まあ、オレのママの方が100万倍かわいいけど。
「咲春、元気にしてるかなぁ」
ママのため息混じりの言葉を聞いて、ガールズバーのママは眉をひそめた。
「あなた、もしかして知らないの?」
「何がですか?」
「言いにくいんだけどね」
ガールズバーのママは前置きして、ゆっくりと息を吐いた後、ゆっくりと口を開いた。
「亡くなったんだって、咲春くん。通り魔に刺されて」
その瞬間、さっきまで温かかった部屋の空気が、冷凍庫のように冷たくなった。
「うそ……」
「あなたは妊娠出産で忙しかったのだから、知らなくたって、仕方ないわよ」
「…………」
ママは目を伏せて、黙り込んでしまった。
涙は流していないけど、すぐにでも泣き出しそうな雰囲気だ。
オレの死を聞いてショックを受けているのを目の前にすると、反応に困ってしまう。
「ごめんなさい。言うべきじゃなかったわね」
ガールズバーのママは明るい声音で言った。
少しでも場を和ませようとしたのだろう。
「いえ、そんなことはないです。ありがとうございます」
ママの返答は弱々しい。
今にも倒れてしまいそうだ。
ガールズバーのママも同じように感じたようで、ママの両肩を力強く掴んだ。
「気をしっかり持ちなさい。純玲ちゃんだっているんだから、あなたがしっかりしないと」
「そうですよね」
「どうしてもつらいなら、ユタカくんに頼りなさい。あの子は元カレとかは気にしないでしょうから」
その言葉を聞いて、ママの顔色がさらに悪くなっていく。
「ユタカは、逃げました。出産の直前に。今は連絡もとれません」
ガールズバーのママは、一瞬動きが止まった。
よく見ると、唇と肩が震えている。
反応からして『ユタカ』がオレの実の父親なのは間違いないだろう。
「……そう。あいつは――」
何を言いかけて、唇を噛んだ。
ママはそれに気付いていないのか、ボソリと呟く。
「すみません。ちょっと一人になりたいです……」
「そう。体には気を付けてね。いつでもお店で待ってるから」
それだけ言い残して、ガールズバーのママは出ていった。
玄関のドアが閉まる音が、異様に重々しく響いた。
オレはいてもたってもいられなくなって、ママに手を伸ばそうとした。
「まま……」
「ごめんね。すぐ戻ってくるから」
ママはオレはベビーベッドに寝かせると、トイレへと逃げてしまった。
かすかにだけど、すすり泣く声が聞こえてしまう。
「……まま」
聞いているだけで、こっちまで泣きたくなってしまう。
今すぐ『オレが咲春だよ。なぜか転生したんだ』と伝えたい衝動に駆られる。
でも、本当にそれでいいのだろうか。
これだけ溺愛している娘の中身が、こっぴどく振った元カレだと知って、彼女は受け入れられるのだろうか。
もし受け入れても、健全な家族のままでいられるのだろうか。
でも、嘘をつき続けるのも健全じゃない。
(どっちにしても、後悔しそう)
オレは途方に暮れながらも、自分の小さい親指をおしゃぶりにするのだった
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読んで頂き、ありがとうございます!
このユタカってやつはクズだな、と思った人は☆評価・♡応援・フォローをよろしくお願いします!
作者の創作意欲がぐーーんと上がります('ω')
また、誤字脱字があったらコメント頂けると助かりますm(__)m
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