第32話 ママのママとママ 後編

 バチン、と。


 痛々しい音が響いた。

 最近では、テレビドラマでしか聞かないような音。

 


「うるさい!!! 病院の迷惑になるでしょ!」



 徳美ちゃんの頬は赤くなっていた。


 え、は……? なんでビンタした?

 全く理解できない。

 父親っぽい男性は、なんで辛そうに見ているだけなんだ?

 止めろよ。


 いや、オレが止めろよ。


 それに、彼女の怒声の方がよっぽど大きいだろ。



「病院にいるなんて、徳美病気なの?」

「え、わかんない」



 徳美ちゃんはしどろもどろになりながらも答えた。

 


「こんなに元気そうで、病気なわけないでしょ。どうせいつもの仮病。昔から仮病が好きだったもんね」

「な、なんの話……?」

「しらばっくれるつもり?」



 中老女性は、無理やり徳美ちゃんの手を引っ張って、ベッドから引きずり出した。


 

「や、やめてっ!」 

「自分で歩きなさい!」



 徳美ちゃんは必死に抵抗しようとしているけど、力負けしている。


 このままじゃ、連れていかれてしまう。



「やめてください!」



 オレが叫ぶと、中老女性はオレを見た。

 さっきまでは般若のように恐ろしかったのに、今は菩薩のように優しい顔をしている。

 その二面性が、すごく不気味だった。



「お嬢ちゃんはお外に行ってて?」

「オレは、ママの――八箇徳美の娘です」

「娘……?」



 まるで『娘がいるなんて、想像もしていなかった』みたいに。



「まあいいわ。あなた、邪魔にならないように見てて」


 

 そう言われた中老男性は、オレの腕をつかんできた。

 振り払おうとしても、力の差は歴然だ。 

 ああ、前世の体だったら、いくらでも手段があるのに。

 

 

「さあ、徳美、帰りましょう」

「ねえ、誰なの?」

「何を言ってるの。冗談はほどほどにしてちょうだい」


 

 なんとかする方法はないだろうか。

 必死に頭を回す。



(ある。一つだけ)



 この言葉だったら、中老女性に絶対に届くはず。

 だけど、同時に徳美ちゃんにも聞かれてしまう。


 本当はもっとタイミングを見て、話したかった。

 いや、違う。オレはずっと避けていたんだ。


 こんな土壇場じゃないと告げる勇気が出てこない程、オレは弱虫なんだ。


 下唇を噛みながら、叫ぶ。



「徳美はもう、余命がないんですよっ!」


 

 その場にいる全員の動きが、止まった。


 気分が悪い。

 今すぐ倒れてしまいそうだ。


 でも、まだ踏ん張らないといけない。



「残り2年も生きられないんです。徳美はもう、死ぬんです」



(ああ、言ってしまった)



 怖くて、徳美ちゃんの顔が見れない。


 

「子供のいうことなんて……」

「詳しい話は、お医者さんから聞いてください」



 中老女性は明らかに動揺している。

 男性も呆けているのか、オレの腕から手を離している。



「それに、記憶喪失になっていて、今は4歳児みたいなものなんです」



 オレは中老女性にしがみつく。



「お願いです。もう、放っておいてください」



 オレの懇願が聞こえていないのか、中老女性は徳美ちゃんの肩を掴んだ。



「ねえ、お母さんよ。思い出してよ。忘れるわけないわよね? それに、死ぬなんてウソよね?」

「……こ、こないでっ!」

「ねえ。どうしたら思い出してくれるの? どうしたら生きてくれるの? うそって言って?」

「アタシ、何もわからない」

「わからないじゃないでしょっ!!! アタシはもっとわからないの!!!」

「だって、わからないし……」

「いい加減にしてっ! なんであなたはそんなにバカなの!?」



 徳美ちゃんの顔は、ひどく青い。

 今すぐに倒れそうで、唇は細かく震えている。



「あなたなんか知らないっ! どっか行ってっ!」



 徳美ちゃんが叫ぶと、中老女性は手を上にあげた。



「ふざけるなぁっ!」

「やめろっ!」



 オレは全力を込めて、女性を止めようとする。

 

 だけど、全然止まらない。


 平手が振り下ろされる。


 その時――

 


「何をしてるんですか!?」



 騒ぎを聞きつけたのか、やっとナースさんが来てくれた。

 すぐに警備員もやって来て、中老女性を連れて行った。


 その後ろを、中老男性は無言で追っていく。


 この男性は何がしたかったのだろうか。

 ただ付き従っているだけで、一言も話さなかった。

 娘の余命も聞かされたのに。



 静かになった病室。



 オレは気を失いそうだった。だけど、まだやることが残っている。



「お姉ちゃん……アタシ……死んじゃうの?」



 徳美ちゃんの、涙ぐんだ声。

 オレは固まったまま、指の一本も動かせなかった。


 でも、力を振り絞って、首を縦に振る。



「……そうなんだ」



 徳美ちゃんの瞳から、ポロポロと涙がこぼれ始めた。

 泣いている声を出さず、鼻をすする音だけが響いている。


 その姿を見ているだけで、心がえぐられる。



 この日以来、ママ――徳美ちゃんの両親は一切来なくなった。



 これで良かったのだろうか。

 もう徳美ちゃんは、親と完全に絶縁してしまった。


 本人の意思を無視してでも、親の元で暮らさせるべきだっただろうか。

 だって、親子関係って尊いもののはずだから。


 でも徳美ちゃんの両親は、あまりにもひどすぎた。



 いくら考えても、答えはわからない。



 今までは、徳美ちゃんが――ママが笑顔でいてくれれば、それが答え・・だと信じることができた。

 でも、今の徳美ちゃんは泣いている。


 この選択が、間違いだったとは思いたくない。

 だから間違いにしないように、残りの時間を過ごしていこう。


 きっと、それしかできないから。




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