side story 九条麗舞 中編

 私と徳美が出会った場所は、ガールズバーだった。


 でも、出会いのシーンに触れる間に、当時の私の状況を話そう。



 その時の私はすごく心が荒んでいて、周囲にあたり散らしていた。



 ヤンキーというよりは、一匹狼。


 他人は信用できない。

 居場所なんていらない。

 一人で生きていける。


 そんな幼稚なことを、本気で信じていた。



 その原因は、父と兄だった。



 母は私が幼い頃に亡くなっていて、顔も覚えていない。


 父はかなり無表情な人で、私に対して全く興味を示さなかった。

 私に対して笑顔を見せたのは、たった1回だけだった。


 その1回が、私に大きな影響を与えることになる。

 

 父の職業は画家。

 しかもかなりの著名人で、山の中に豪邸を建てていた。



「とても感情豊かな絵を描く人なのよ」



 中学校の美術の授業で、女性の先生が父のことを褒めちぎっていた。

 その時初めて、父の絵を見た。


 人の顔に自然と誘導される構図。

 痛々しいほどに鮮烈に描写された、苦痛の表情。

 とても心を打つ作品だったけど、私は狐つつまれた気分になった。


 まったく表情を見せない人間が、なんでこんな表情を描けるのだろうか。


 その理由は、高校卒業後すぐに理解できてしまった。



 私には兄がいる。



 とても軽薄だけど、顔はよくて、すごく外面がいい男だった。

 父はそんな兄を可愛がっていたし、手取り足取り絵を教えていた。

 私のことは無視していたのに。


 ある深夜、兄は私の部屋に入ってきた。

 きっと、私が妹だから襲ったんじゃないと思う。

 したくなった時にちょうどいい所にいた女が私だった、というだけの話だったのだろう。


 切れ込みを入れたこんにゃくよりはマシ。

 そんな態度がにじみ出ていた。

 


 それから1回だけでは終わらなかった。

 1か月に1度か2度か、私の部屋に入ってきた。

 兄は女性とのトラブルが頻繁にあったから、そのイライラを発散するように 


 何回目の時だろうか。

 私が押し倒されている現場が、父に見つかってしまった。



「たすけ……」



 私は「助けて」と言おうとした。

 だけど、父は予想外――いや、そんな言葉では表現できないような行動に出た。

 

 近くにあった座布団。

 彼はそれの上に胡坐をかいて、私の顔を見つめ始めた。

 まるで、銅像をじっくり観察するみたいに。



「ははっ!」



 笑ったのは、兄だった。

 兄は父と性格や感性が似ていた。

 だから、父が何を考えているのか、理解できたのかもしれない。


 でも、同じ血が流れているはずの私には、全く理解できなかった。


 兄は父の視線を受けてか、さらに激しく動くようになり、首を絞めた。

 ただでさえ不快で痛かったのに、息が出来なくなった。


 私は必死に逃げようと、手を伸ばした。



 偶然なのか、無意識なのか、私が伸ばした手は父に向いていた。



 そして、父の顔が瞳に映った。



 初めて見た、父の笑顔。

 純粋無垢で、曇りのない好奇心に満ちた笑みだった。


 わかってしまった。

 この人は〝人そのもの〟が好きなわけでも〝人の感情〟が好きなわけでもない。


 人の表情が好きなんだ。

 人の表情を描くことが好きなんだ。

 そこにどんな感情がこもっているかには、さほど興味はないし、共感を全く抱いていない。


 今私が感じている悔しさも、悲しさも、この人の心に届いていない。

 私の表情筋の動きだけを見ていた。



 その3か月後。

 父の新作が発表された。



 若い女性の姿が描かれた絵。

 まるでお姫様の寝巻きみたいな服を着ているけど、首と腰に黒い何かが巻き付いている。

 見ている人に対して手を伸ばしていて、助けを求めているように感じられる。


 あの時の私を題材にしているのは、明らかだった。



(すごく、気持ち悪い)

 


 その絵はかなりの高値で売れたらしい。

 私が人生を費やしても、全く届かないような大金。


 ふと、想像する。

 思わず息を吐くような、豪華絢爛な豪邸。

 そこで飾られた私の絵。

 大金持ちは「この絵は大枚をはたいて手に入れた、あの有名な画家の絵です」と来客に説明しているのだろう。

 そして、お客たちも絵をマジマジと見て「これないいものですね」とうなり、楽しんでいるのだろう。


 ゾッとする。


 なんで私がこんな目にあわないといけなかったのだろうか。

 私が弱いから?

 私が女だから?

 私が妹だから?

 私が娘だから?


 いくら考えても自分で答えは出せないし、偉い人に「これが正解だ」と言われても納得できる気がしない。


 ただ、今回の出来事でわかったことがある。



(この世界には、味方なんていない)



 この社会には、汚い人間しかいないように思えた。

 自分以外の人間すべてが信用できなくなった。



 だから、強くならないといけない。

 一人でも生きていけるように。



 私は家を飛び出した。

 半分嫌がらせのつもりで家中の現金をかき集めると、結構な額になった。


 もう、完全に私への興味をなくしてしまったのだろう。

 その後、探しに来る気配もなかった。



(逃亡資金っていうか、手切れ金みたい)



 それからは体を売って、その場暮らしの生活をした。

 大学に通っていなかったし、普通の会社ではやっていけない気がしたから。


 普通に事務作業をしたりして、お給金をもらう自分を想像したことがある。

 1か月死にもの狂いで働いても、あの絵・・・の価値の数百分の1だけをもらう。


 バカバカしかった。


 まだ、体を売った方がマシに思えた。

 少なくても、兄に触れられた感触を薄められるから。


 体を売って、ご飯を食べて、排泄して、寝る。

 体を売って、ご飯を食べて、排泄して、寝る。

 体を売って、ご飯を食べて、排泄して、寝る。


 そんな日々を繰り返しているうちに、私の心はさらに荒んでいった。

 

 

 そんなタイミングで、徳美と出会った。

 


 その日は天気予報では晴なはずなのに、天気雨に降られた。

 その時雨宿りに入ったのが、徳美が勤めるガールズバーだった。



(ガールズバーなんて、どうせロクでもないでしょ)



 私は鼻で笑いながらも、ドアを開けた。



「あ、いらっしゃいませー」



 店内に入った瞬間、私は舌を巻いた。


 バニーガールまみれ。

 しかも、オーソドックスなハイレグ+網タイツのスタイルだ。

 胸元もしっかりと出していて、非常に煽情的だった。



(結構レベルが高い)



 売春をする女性は何人も見てきた。

 ここの店員は特別容姿がいいわけじゃないけど、接客態度がいい。

 店の雰囲気も作り込まれていて、メニューも高すぎるわけでもない。


 ここは『かわいい女の子に接客してもらう場所』というよりは『バニーガールに接客してもらう非現実を楽しむ場所』という雰囲気を作っている。

 飲食店よりも、テーマパーク色が強い。


 カウンター席に座ると、早速店員がやってきた。



「わー。女の子のお客さんだー。はじめてー」



 背が低いのに、胸が大きい女性だった。

 私と同年齢ぐらいだろうか。

 姿勢はそこまでよくないけど、愛嬌のある動きが印象的だった。


 これが、徳美とのファーストコンタクト。



「あ、アタシ、徳美っていいます」

「ねえ、こんなところで働いていて、恥ずかしくないの?」



 自分は体を売っているのに、つい言ってしまった。

 目の前の女性が明るく接しているから、曇らせてしまいたくなってしまった。



「えー。確かに少し恥ずかしい格好だけど、バニーガールかわいいし」

「そういう意味じゃないんだけど」

「えー? じゃあ、どういう意味?」



 なんだか、気が抜けてしまった。

 さっきまでのトゲトゲした自分がバカバカしく思えてしまう。



「……天然って言われない?」

「えっ! アタシ、天然っぽいこと言ってた!? いつも気を付けているのに……」

「やっぱり天然」



 私が指摘すると、徳美はすごくショックな顔をした。



「ははっ」



 ついつい笑ってしまった。

 こんなに楽しい気分になったのは、いつぶりだろうか。

 生まれて初めてだったかもしれない。


 もっといい気分になりたくて、私は徳美に質問する。



「ねえ、おすすめのお酒はある?」

「うーん。ビールかな」

「そこはもっと高い」

「確かにママに怒られちゃうかも。でも、アナタにはビールがあっていると思う」

「アナタじゃなくて、麗舞って呼んで」

「じゃあ、レマちゃんで」

「じゃあ、私は徳美って呼んでいい?」

「うん。よろしく」



 そうして、私は人生で初めてのビールを飲んだ。

 それまでは缶チューハイばかりを飲んでいて、最初は飲み方がわからなかった。

 だけど、一気に飲み込めばいいとわかったら、すごくおいしかった。


 この時のビールの味が忘れられなくて、私はビールが大好きになった。

 

 それから、私は何度も店に通うようになった。

 ある時は徳美に絡む酔っ払いを排除し、またある時は執拗にアタックする男を蹴飛ばした。


 そうやって少しずつ、仲を深めていくうちに、徳美は私にとってかけがえのない存在になっていった。

 彼女は私の太陽だし、天使だし、この世の全てになった。


 そんなある日、徳美はナイーブになっていた。

 おそらくは親がらみで何かがあったのだろう。



「ねえ、生きるのってつらいよね」

「うん」


 

 私は「違うよ」と言えるほどに恵まれていない。


 徳美の顔を見ると、の憂いを含んだ表情をしていて、ひどく目を引きつけられてしまった。



「つらいのは、当たり前でしょ」

「そうだよね。つらいのは当たり前。でも、つらいのは嫌だよね」

「嫌に決まってる。でも、死ぬのも怖い」

「そうだね」

「じゃあ、私と2人だけでいない?」



 二人だけの世界で暮らせば、幸せになる予感があった。



「いや、それはいいかなー」

「なんで。ここよりお金出すけど」

「お金はもう十分かな」

「そんなにもらっているの?」



 徳美は私に耳打ちしてきた。

 暮らすのに困るほどじゃないけど、とびっきり多いわけでもなかった。



「私ならもっと払うのに」

「あはは。褒め過ぎ。顔、熱くなってきちゃったじゃない」



 徳美は手で顔をあおいだ。

 少し褒めただけでこんな反応してもらえるんだから、さらに褒めたくなってしまう。



「ねえ、徳美」

「なに?」

「ずっと一緒だからね」

「相変わらず、大げさだなー」



 彼女は嬉しそうにはにかんだ。


 でも、数か月後。

 徳美は男と付き合い始めた。

 そしてクリスマスに振って、新しい男を作って、妊娠して、逃げられた。


 その時の徳美はひどい有様だった。

 まるで捨てられた子供のように、ふさぎ込んでしまっていた。



「ねえ、アタシ、そんなにダメかな?」

「そんなことないよ」



 彼女の弱った姿。

 見ているだけで、胸を締め付けられた。


 同時に、強い衝動に駆り立てられた。

 


 私は徳美の静止を聞かずに、キスをして、ベッドに押し倒した。



「え、なんで……」



 答えなかった。

 ただひたすらに、彼女の体を堪能することに集中していた。



(めちゃくちゃにしたい)



 男にボロボロにされた上に、親友に押し倒されて、泣いている徳美。

 私は静かに、スマホで写真を撮った。


 いろんな角度から、何枚も。

 すべての表情をおさめんばかりに、シャッターを押し続けた。


 どの顔も、それほど歪んでいなかった。


 

(なんで、私はこんなことをするんだろう)



 自分でも疑問だった。


 別に興奮するわけじゃない。

 ただ、写真を撮って形として残さないといけない気がした。


 落ち着いた頃に、徳美がポツリと話しかけてきた。

 彼女の顔はなぜかおびえていない。

 それどころか、聖母のように優しい笑みを浮かべていたのだけど、私の心の中に大きなモヤが生まれた。



「レマちゃん」

「なに?」

「アタシ、愛されていいのかな?」

「うん。少なくても、私は愛してる」



 その言葉を吐いた瞬間に、気づいた。


 自分の本当の気持ち。


 私は兄に無理やり押し倒された。

 父に表情を見られて、絵にされた。

 それらはかなり酷い行為だった。


 だけど『愛情によるものだ』と信じたかった。


 だからこそ、自分が愛している人に対して、同じことをしてしまった。



(歪んでいる)



 私は逃げるように、その場を後にした。

 自分から襲っておいて、本当に最低の行動だ。


 次の日、私は絵を見にいった。

 美術館に飾られた、私を題材にした絵。

 コレクターが美術館で展示させているらしい。


 目を少し横に動かすと、ふいにタイトルが目に入る。



『純一無雑』



 意味は『混じりけのないこと。純粋』。


 私は、この絵をメチャクチャにしてやりたい衝動に襲われた。

 今すぐにペンキかガソリンでもぶっかけて、台無しにしてやりたかった。


 何回も、頭の中でグチャグチャにした。

 燃やして、すりつぶして、切り裂いて、破り去って、むしゃむしゃと食べてやった。


 でも、全部妄想にすぎない。


 ふと、周囲を見た。

 隣にいたカップルは、絵を一瞥しただけで歩き去ってしまった。

 老婆は5秒だけ見つめると、何もなかったように立ち去った。

 子供は全く興味を示さずに、変な形のオブジェクトへと向かった。


 ずっとこの絵の前に立っているのは、私だけだ。



(ああ、この絵に一番心を動かされているのは、私自身だ)



 自然と、涙が出た。

 この絵がある限り、私の心が救われることはない。


 私は綺麗な人間じゃない。

 純粋からはほど遠い。


 だけど、父からしたら『純一無雑』に見えていたのだろうか。


 あの頃の私は純粋だったのだろうか。


 わからないし、知りたくもない。



 私はスマホを取り出して、昨夜撮った写真を見た。

 


 徳美。

 彼女は私に、とろけるような優しい笑みを向けてくれていた。


 目の前の絵とは大違いだ。


 私は彼女をメチャクチャにするつもりだった。

 歪な愛を示していた。


 だけど彼女は私を癒すために、受け入れてくれていた。



 彼女は純粋なのに、強い。

 私は汚くて、弱い。



 だから、私は彼女のことが好きなのに、こんなにもつらい。




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すみません、1日更新が遅れました


次は24日夜~25日朝に更新できるはず……!

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