第35話 生まれ変わったら

 雪が降っている。

 

 指先に乗った雪はジワリと溶けて、冷たさを感じる前に無くなってしまう。


 今は病院に向かう道中。


 日付は、12月22日。

 あと3日で、12月25日。

 クリスマス。

 そして、前世のオレの誕生日でもあり、前世で徳美にフラれた日でもある。


 あの日のことは、今でも鮮明に思い出せる。


 その時のオレはメチャクチャに張り切っていた。

 プロポーズをするつもりだったのだ。


 オレが全部予約して、完璧なエスコートして、場を整えた。


 でも、プロポーズする前にフラれてしまった。


 その理由は、今ならなんとなくわかる。



(そういう完璧さは、求められてなかったんだろうなぁ)



 オレは徳美を必要にしていたつもりだったけど、徳美にはそう映っていなかった。

 あまりにも完璧を演じすぎて『自分がいなくても問題ない人間』と思われてしまった。

 徳美は尽くされるより、尽くしたかった。


 多分、オレと徳美は恋人としての相性が悪かったのだ。



(ああ、今更ながら悲しくなってきた)



 オレは肩と帽子についた雪を落として、病院の玄関に入る。


 いつも通りにエレベーターを使って、病室へと向かう。


 途中ですれ違った看護師さんや他の患者さんに挨拶しながら、ドアの前へとついた。


 

「すーはー」



 深呼吸をしてから、ドアを開ける。


 最初に目に入ってくるのは、点滴。


 ベッドで寝ている徳美ちゃんには酸素マスクが着けられていて、ゆっくりと胸を上下させている。

 徳美ちゃんは3か月ぐらい前から、意識を失ったままだ。


 体を全く動かなさないから、いたたましい程にやせ細っている。

 腕や脚は枝のように細くて、ほとんど皮と骨だけの状態だ。


 栄養は点滴からだけだから、仕方ないのかもしれない。


 少し近づくと、徳美ちゃんから薬物的な臭いがした。

 健康な時は甘いいい香りがしていただけに、切ない気持ちになってしまう。


 オレはなんとなく足音を立てないようにしながら、ベッドに近づく。



(今日も、穏やかな顔をしてる)



 顔からは艶がなくなって、皺が目立つようになっている。

 彼女はもう33歳だけど、実年齢以上に老け込んでしまった。


 この姿が見ていられなかったのか、面会に来る人は減ってしまった。

 来てくれるのは影山親子と、ガールズバーのママ、それと九条くらいだ。

 クズ男は全く姿を見せていない。



「徳美ちゃん……ママ……」



 オレは丸椅子に座って、語りかける。

 最近のこと。


 九条は体調が安定してきて、仕事に復帰し始めた。最近はノンアルビールでごまかしてるけど、時々禁断症状が出て困っている。

 翔太とは、結構いい仲になってきた。最近では「付き合ってる?」とうわさが立っているけど、そんな関係には発展していない。今は徳美ちゃんのことでいっぱいいっぱいだから、保留している状態だ。

 久しぶりにガールズバーに行ったら、いつも通りに営業していた。だけど、めちゃくちゃ心配されて、優しくされた。ババアはいつも通りに銭ゲバだったけど。

 あとはクズ男。なぜか最近、売れ始めたらしい。前の誘拐の事件のおかげで、何かが変わったのかもしれない。


 全部話し終わっても、反応はない。

 

 ふと、昨日お医者さんに言われた言葉がフラッシュバックする。



【もって3日か、1週間か。とにかく覚悟はしておいてください】



 もうすぐ、ママの命は尽きる。

 今は12月。7年前の5月に余命宣告をされたから、半年ぐらい早い。

 事故のダメージや無茶が祟ったのか、それとも病気の進行が予想よりも早かったのか。

 わからないけど、もう限界を迎えている。



 (今のうちに、ずっと言えなかったことを言っておこう)



 今話しても、彼女の耳に届いているかわからない。

 だからこそ、少し話しやすい気がする。



「ねえ。ママ? ずっと隠したことがあるんだ。なんだかわかる?」



 もちろん、答えは返ってこない。

 なんでクイズ形式でいちゃったんだろう。



「オレ、実はママの元カレの荒川咲春なんだよ。生まれ変わったんだ」



 オレはニカッと作り笑いを浮かべた。



「驚いた?」



 もちろん。反応はない。

 そう思っていた。



「……スミレ。そうだったの?」



 声が聞こえた。

 徳美ちゃんの方から。

 徳美ちゃんの口から。

 いや、スミレ・・・って呼んでいるから『徳美ちゃん』じゃなくて『ママ』だ。


 何年ぶりだろうか。

 喧嘩別れしたのが5歳になる前だから、3年以上だ。


 そう思うと、胸に込み上げてくるものがある。



「ま、ママ!? 本当にママ!?」

「スミレ。泣きすぎ」

「ままっ!」



 オレはママの腕を強く掴んだ。

 冷たくて細いけど、ちゃんと動いている。



「甘えん坊ね」

「いいでしょ。ずっと会いたかったんだもん」

「……ごめんね。ずっと寝てて」

「つらい?」

「つらいけど、ちょっと心地いい」

「死んじゃうの?」

「……ごめんね。」



 オレは「謝らないで」と言いながら、ママの胸に飛び込んだ。

 健康的な時は豊満だったのに、今は肋骨がゴツゴツしていて痛い。


 ママは震える手を必死に動かしながら、酸素マスクをとってしまった。



「ちょっ。なにしてるの!?」

「少しお話ししましょう? マスクはちょっと邪魔だから」



 ママの儚げな笑顔を見ると、どうしても反対できなかった。



「本当はずっと見てた。あの4歳のアタシは、もう一つの人格みたいなものだったから」

「そうなの? 記憶喪失だと思ってた」



 ママはオレの頭をそっとひと撫でしてから、続ける。



「病気の時ぐらい、誰かに甘えたかったのかも。子供みたいにワガママ言って、お世話してもらいたかった。だって、すごくつらいことばかりで、疲れちゃってたから」

「そういうこともあるよね」

「怒らないんだ」

「何も怒ることはないよ。ママのためだもん」

「あはは。本当に咲春なんだ。言い方がそっくり」

「そう?」



 オレとしては全く自覚がなかったから、指摘されると恥ずかしい



「ああ、スミレがスミレで生まれてきてくれてよかった」

「オレ、かなり変な娘だと思うけど」

「アタシには、それぐらいがちょうどよかった」

「そうなんだ」



 しばらく、沈黙が続いた。

 ママの呼吸が聞こえるのが、すごく嬉しい。



「あーあ。死にたくないなぁ」

「死んでほしくないよ」



 オレはママの顔を見た。

 とても弱々しい顔をしていて、



「死んだとき、ってどんな感じだった?」

「オレの時は少し怖かったけど、すごく清々しかった」



 オレは死んだ時は、満足はしてなかったけど、心残りもなかった。

 葛藤もあまり無くて、清々しかった覚えしかない。

 無い無い尽くしの人生だったから、命が無くなっても辛くなかった。



「清々しい、か。アタシは怖いとしか思えないなぁ」

「オレの場合、未練もなにもなくて、死んだ方がマシな状況だったから」

「未練。アタシはいっぱいある。スミレの制服姿が見たかったし、一緒にショッピングして、おそろいのかわいい服を着たかった」

「うん」



 オレは小さな声で相槌を打つ。

 下手に大きな声を出したら、嗚咽おえつがあふれてしまいそうだ。



「スミレが成人したら、キレイな晴れ着を着せて、一緒に酒を飲んだり、初任給で旅行に連れて行ってほしかった」

「うん」

「スミレの晴れ姿を見て、孫をうんと甘やかして、スミレに小言を言われたかった」

「うん」

「老後はのんびりして、友達とファミレスで話したり、近所の子供や孫と遊びながら過ごしたかった」

「うん」

「あはは。本当は『もう疲れた』って気持ちもあったんだけど、どんどん生きたくなってきちゃったなぁ」



 全部、もう叶わない夢だ。

 だから、今語っているのだろう。


 娘に聞いてもらうことで、せめてもの慰めにしている。



「ねえ、スミレ」

「なに?」

「もしアタシが生まれ変わったら、気づいてくれる?」

「どんな格好? ウサギ?」

「ウサギは嫌だなぁ。長生き出来なそう。平均寿命8年ぐらいだし」

「たしかに。じゃあ、何がいいの?」



 ママは視線を上に向けながら、少し考えた。



「やっぱり、人間がいいなぁ。次もかわいい女の子。でも、胸はこんなにはいらないかも。レマちゃんみたいな体型がいい」

「いいね」

「なんて、生まれ変わりなんてあるわけないわよね」

「そんなことないよ」



 オレの自慢気な顔を見て、ママは「あっ」と声を上げた。



「そっか。そうだったわね」

「そう。オレがちゃんと転生してる。オレが証拠だ」



 オレは力強く胸を叩いて、宣言する。



「だから、絶対に気付く。見つけたら『おかえり』って笑顔で言うから。安心して生まれ変わって」



 ママは少し目を見開いた後、穏やかに目を閉じた。



「そうね。ちょっと安心した」



 ママは胸の前で手を合わせた。



「うん。スミレが娘で、本当によかった」

「オレも、ママがママでよかった。恋人の時よりもうまくいってたかも」

「はは。そうだね。お姉ちゃんとしてのスミレも、とってもよかった」

「うげ、その話はやめて。忘れて」

「とっても頼りになって、かわいいお姉ちゃんだったよ」

「やめて。恥ずかしいから」



 オレが手で顔を覆うと、ママは目を細めた。



「アタシたちの関係って、何だったんだろうね」

「元恋人で、親子で、姉妹?」

「あはは。いっぱいだ。アタシは姉妹が一番好きだったな」

「オレはどれでも好きだったけど」

「スミレはすごいなぁ」

「どういう意味?」



 ママはうっすらと笑って、何も答えなかった。



「ねえ、スミレ」

「なに?」

「話し過ぎて、眠くなってきちゃった」

「じゃあ、ゆっくり休んで」



 オレは酸素マスクを丁寧につけてあげた。


 すると、ゆっくりと目を閉じて、ママは寝息をたて始める。



「おやすみ」



 頭を優しくなでると、ママの表情が少し柔らかくなった気がした。

 そして音を立てないように、オレは病室を後にした。


 それ以降、目を覚ますことなく。

 3日後。


 雪の降る深夜に、ひっそりと、ママは息を引き取った。






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公開が遅くなってすみません

また、読んで頂きありがとうございます


次回、最終回です

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