第34話 答えのない病気
オレは、誰もいない病室を前に呆然としていた。
(徳美ちゃんが、失踪した?)
オレはすぐに頭を横に振る。
(自分で歩けないんだから、ありえない。これは誘拐だ)
でも、誰がなんのために誘拐したのか。
最初に思いついたのは、徳美ちゃんの両親だった。
あれだけ娘に執着していたのだから、強硬手段に出てもおかしくない。
でも、引っかかる。
流石に病人を誘拐する、なんて常軌を逸した行動に出るだろうか。
明らかに倫理観が壊れている
自分の感情のためなら、幼稚園児だろうと誘拐するような人間。
そんな人間を、知っている。
《今、どこにいる?》
早速メールを送ると、1分も経たずに返ってきた。
《私が犯人という証拠はある?》
《その返答が出来ることが答えだろ。オレは居場所を
しばらくしてから、住所が送られてきた。
そこは近所の山の麓だった。
明らかにおかしい。何もない場所のはずだ。
《本当にいるのか?》
《信じないなら、来なくてもいい。3人》
《3人? 他に誰かいるのか?》
しばらく待っても、返事は来ない。
これ以上話したいなら、送った住所に来い、ということだろう。
(全く。何を考えているんだよ。九条)
オレは看護師さんに「徳美ちゃんがいないけど、心配しないでください」と伝えて、その住所へと向かった。
◇◆◇◆◇◆
送られてきた地点に行くと、古い小屋があった。
明らかに管理されていなくて、ドアを開けただけでも倒壊しそうなほどにボロボロだ。
おっかなびっくりドアを開けると、そこには九条がいた。
(なんか、すごく不気味だ)
しばらく会わないうちに、彼女の雰囲気はすっかり変わっていた。
髪はぼさぼさ。来ている服も簡素で、化粧もしていない。肌には出来物があって、少しカサカサしている。
前まではしっかり者な佇まいだったのに、今は色が抜けたように見える。
隣には車椅子に座った徳美ちゃんがいるけど、眠っているようだ。
そして、変な臭いがする。
鼻と喉をべったりと張り付いて、イガイガと刺激する臭い。
オレは不快感を顔に出さないようにしていると、九条が口を開いた。
「ひさしぶり」
「久しぶりだな。ずっと顔を見せなかったくせに」
「病気だったからね。最近、少しマシになってきたけど」
「もういいのか?」
「いいわけない。でも、やることがあってここに来た」
「ふごふごっ!」
くぐもった声が聞こえて、視線をやると、クズ男が縛られていた。
口を布で塞がられていて、まともに声を出せないようだ。
「ふごぉっ!」
多分「助けて!」と言っているのだろうけど、無視だ。
きっと、彼が3人目なのだろう。
そしてオレが4人目。
九条に視線を戻す。
「徳美ちゃんは寝ているのか?」
「ちょっと睡眠薬を盛ったから、しばらくは覚めないと思う」
「なんでそんなことをしたんだ?」
九条はすごく投げやりな表情をしながら、衝撃的なことを口走る。
「ねえ、徳美の命を私にくれない?」
全然、冗談には聞こえなかった。
九条の声音からは、どうしようもない諦めがにじみ出ている。
「……何を言ってるんだ?」
九条はおもむろに、自分の左手首を見せつけてきた。
リストカット痕。
「自殺しようとしたんだけど、ちょっと精神病院に入れられてた」
「メンヘラ、治ったんじゃないのかよ」
「治るわけないでしょ。そもそも、治るとか治らないとか、そういうものじゃない。もう私の心の形は変わらない。夢中になるものがあればごまかせるけどね」
九条はリストカット痕を爪でひっかきながら、続ける。
「どうせなら、あなたも一緒に死なない?」
「なんでそうなるんだよ」
絞り出したような声で返した。
「今、かなりつらいでしょ? すごくゲッソリしてる」
「これでもよくなった方だよ。ガールズバーの皆が助けてくれたおかげで」
「そう」
九条の爪がリストカット痕に食い込んで、血が流れていく。
「なんで人間って、病気になるの?」
「……」
オレはすぐに答えられなかった。
下手な答えを返したら、九条が壊れる予感があったから。
「なんでこの世界には、病気になる人とならない人がいるの?」
「……」
「大きな病気は完全に治らなくて、後遺症が残る。少しずつできることが減りながらも、生きていく人たちが山ほどいる。でも、世の中には全く病気にならなくて、ほとんど健康なままに天寿を全うする人もいる。この両者の違いって、一体なんなの?」
「考えても、仕方がないだろ。そんなこと」
「仕方がなくても、考えずにはいられなかった。この理不尽の理由。だって、いくらでも時間があったから」
九条はポケットからオイルライターを取り出し、血が流れる手首にこすりつけ始めた。
「ずっと考えてた。鬱病になったせいで時間がたっぷり余ったから、ずーっと考えてた。さっきのことも、私や徳美が病気になった理由も」
「九条は自業自得だろ。過労と酒の飲みすぎだ」
「そうかもね。でも、ビールを飲まなくても、同じ病気になった可能性もある」
「
「まあ、どうでもいいよ。もしもを考えたって、私が病気になった事実は変わらないから」
九条はライターの蓋を開けて、火を点けずにじっと見つめている。
「ねえ、私が病気になった理由、あなたならどう考える?」
「考えても仕方がない」
彼女はゆっくりと首を横に振った。
そして、吐息を漏らすように、告げる。
「私は、私たちは、一緒に死ぬために病気になった」
そのセリフが耳に入った瞬間に、寒気がした。
「そんなわけ……」
「私が決めた。私が気付いた。あなたに否定されても、私は止まらない」
「何を言ってるんだよ」
「じゃあ、力づくで止めてみてよ。その小さな体で止められるなら」
「無理心中するつもりなら、なんでオレを呼んだんだ?」
「徳美が愛した人達だから。徳美があの世にいっても、多分、私は一緒の場所にいけないから」
オレたちは土偶みたいな扱いかよ。
九条はオイルライターの火を点けた。
今は小さな炎だ。
でも、それが地面に落下したら、オレたちを包むほど大きくなるだろう。
さっきから感じていた刺激臭。
ガソリンの匂い。
車から抜いて撒いたのかもしれない。
オレは必死に止めようと、走りだした。
その瞬間――
「やめろっ!!!!」
九条が突き飛ばされた。
オレじゃない。
クズ男が、束縛を解いてタックルしたのだ。
「死なないでくれよ。知ってる人が死ぬのって、怖いじゃんか」
「はあ!?」
「病気とか難しいことはわからないけどよ。死ぬのって、怖くて悲しいことだろっ!」
「でも、私は死にたい! もう生きていくのがつらい」
「知るか! 悪いことをしようとしているから止めるだけだ!」
「悪いこと!? どうして悪いことだと言い切れるの!?」
クズ男は自信満々な顔で言う。
「皆が言っているから! 学校の道徳で教わったから!」
「はあ!?!?」
なんていうか、クズ男のアホさ加減が末恐ろしい。
「お前は僕よりもバカだ! おおバカだ! 小学校からやり直せっ!!」
なんとも幼稚な思考だ。
でも、それだけに反論する気も失せてしまう。
あっけに取られた九条は、ライターから手を離した。
オレはなぜか泣き始めたクズ男を横目に、九条の目の前へと歩く。
「なあ。九条」
「なに?」
「ほら」
オレはバッグから缶を取り出して、放り投げた。
「……ビール」
ここに来るまでの間に買っておいたのだ。
「飲むぞ」
オレは自分の分の缶を取り出して、九条の横に座った。
「いや、殺す気? 肝臓悪いって言ってるでしょ」
「死ぬ気だった奴が言うことか?」
「……まあ、いいか。って、それ、エナドリでしょ」
オレが持っているのは、愛してやまないエナドリ。
ちゃんとコンビニで買ってきたのだ。
ちなみに、ビールは個人の酒屋で駄々こねまくって買ってきた。
めちゃくちゃ大変だったから、ゆっくり飲んでほしい。
「その体でエナドリを飲むとか、死ぬ気?」
「オレは死なないよ。生きるために飲むんだ」
「まあ、確かにそうね」
オレたちはプルタブを開けて、軽く乾杯した。
そして、飲む。
久しぶりのエナドリ。
格別だ。テンションが上がっていって、
九条も「ぶはぁーっ」と気持ちのいい声を上げている。
「なんか、ビールがうまいから、死ぬのがバカバカしくなってきた」
「生きるのは辛くて、死ぬのはバカバカしい」
「本当に人生って、クソ」
「全くだ」
「でも、それで生きていくしかない、ってことかぁ」
九条は床に寝ころんで、天井を仰いだ。
ボケーッとしながら、ビールを器用に飲んでいる。
「なあ、成人したら一緒にビールを飲まないか?」
「ナニソレ。未来の約束?」
「パパも一緒にいいか?」
クズ男だけは無視する。
「前世でも一緒に飲んだことなかったし、いいだろ。今のオレは美少女だし」
「まあ、美少女と飲むと考えると悪くないかぁ」
「ね~~~。パパはダメなのかい?」
正直、クズ男のダル絡みは迷惑だ。
でも一応、ダメ男も今回は活躍してくれたから、このまま借りを残したくない。
「はあ。好きにして」
「純玲! ついにデレてくれた!?」
クズ男は告白をオーケーされたみたいに大喜びだ。
オレとしては気持ち悪くて仕方がない。
「あ、お姉ちゃん。ここどこ?」
「あ、徳美ちゃん……」
クズ男の声で起きたのか、 徳美ちゃんが目を覚ましてしまった。
「あ、お姉ちゃん、元気になってる?」
「そう?」
オレとしては自覚がない。
でも、徳美ちゃんが言っているから、本当に元気になっているのだろう。
「よかった~~。お姉ちゃん、ずっと沈んでたから」
「……そっか」
思わず、生暖かい息を吐いた。
「ね~~~。徳美~~~。おっぱい揉ませて~~~」
いつの間には出来上がっていた九条が、徳美ちゃんに絡み始めた。
「おい! やめろっ!」
「あはははは! なんだか楽しいねっ!」
「純玲ちゃん。パパって呼んで~~~」
「よいではないか~~~。よいではないか~~~」
酔っ払いとクズ男のせいでメチャクチャだ。
でも、結果的にいい感じに収まった。
残り余命1年。
もう抱えている問題はないだろう。
このまま穏やかに、一緒の時間を大切にいて生きていこう。
そう願った。
それなのに。
ママは、想定よりも早く旅立った。
――――――――――――――――――――――――――――――
公開がかなり遅れました。
満足の出来になるまで、時間がかかってしまいました。申し訳ございません。
読んで頂き、ありがとうございます
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