第18話 誕生日のちトイレ
3月16日。
オレにとっては、特別な日だ。
ママの誕生日。
そして、年中さんももうすぐ終わりだ。
来年から年長さん。そして、1学年上の翔太は小学校へと進む。
(翔太、小学校でうまくやっていけるかなぁ)
もう3年ぐらいの付き合いだ。さすがに情が芽生えてしまって、ついつい気になってしまう。
(まあ、ガールズバーで泣いてたら慰めてやろう)
それぐらいしかできないし。
あいつはママ関係でも結構苦労しているから、大変だ。
息子の前で「女の子が欲しかった」と口走るような親は、あまり褒められたものじゃない。
でも、ママについては、オレも
「ねえ、ママ、出てきてよ」
「…………」
何度もドンドンドン、とドアを叩いても、トイレに引き
どうやら、徹底抗戦の構えのようだ。
(大人気ねえ)
すでに
もう年長さんになるのに、おもらしするのは恥ずかしすぎる。
「ねえ、ママ、もう出てきてよ。もう我慢できない……」
「…………」
いくら懇願しても、反応がない。
焦燥感で胸がジワジワするたびに、尿意が限界を超えていく。
さて、なぜこんなことになってしまったのか。
話は、ママの誕生日パーティーが始まった時まで
◇◆◇◆◇◆
「ママ、お誕生日おめでとう!」
「ありがとう~~~~」
ママはケーキに立てられたロウソクの火を吹き消した。
テーブルには豪華なオードブルが並べられている。
オレが子役として稼いだ金で買ったもので、かなり奮発した。
「もう。こんなことしてくれなくてもいいのに」
「いつものお礼」
オレがそう言うと、ママは困り眉を作りながらハニカんだ。
「じゃあ、忘れないうちに渡しておくね。誕生日プレゼント」
「誕生日プレゼントかー。もらうのは随分久しぶり。えーと、7年ぐらいかな?」
オレの中で『7年ぐらい』が引っかかった。
今オレが4歳と10か月ぐらいで、徳美と前世のオレが別れたのがその2年半ぐらい前だ。
つまり、最後に誕生日プレゼントを渡したのは、前世のオレということになる。
「パパからはもらわなかったの?」
「そんなにマメな人じゃなかったから。お金も甲斐性もなかったし」
「ふーん」
(なんでそんなヤツを選んだんだよ)
内心で悪態つきながらも、表情に出さなかった。
レッスンで身に着けた演技スキルが、こんなとこで役に立つなんて。
「さて、プレゼントはなにかなー」
ママはラッピングを破かずに、丁寧に剥がしていく。
ラッピングもリボンも大事にとっておくつもりなのだろう。
「おおー」
プレゼントを見ると、ママは目を輝かせた。
うさぎのガラス細工がつけられたネックレスだ。
すぐに身に着けてくれた。
「スミレスミレ、どう? 似合ってる?」
「うん。ばっちり」
「ありがとう。スミレ。大事にするね」
それからしばらく、オードブルを食べながら話していた。
職場のこと。幼稚園のこと。子役の仕事のこと。他にもいろいろ。
話の過程は覚えていない。
だけど、次の一言が引き金だったのは覚えている。
「もう少ししたら、一人暮らし出来るぐらい稼げるかも」
次の瞬間、空気が凍り付いた気がした。
ジメジメしたオーラが、ママから漏れ出ていた。
「ねえ、ママ、そんなにダメかな?」
「え、全然ダメなんて思ってないけど」
「本当? でも、最近どんどん遠くなってるよね」
「遠く……?」
オレには全く心当たりがなかった。
たしかに子役の仕事と幼稚園で忙しくて、その後はママはガールズバーのお仕事で、生活時間がかみ合っていなかった。
でも、それは仕方がないことで、それ以外の時間はなるべく一緒にいるようにしている。
「ねえ、あなたもママを捨てるの?」
「そんなことするわけないよ」
「でも、もうママがいなくても大丈夫なんでしょ。それって、もうママはいらないってことよね」
混乱しすぎて、視界がぐわんぐわんと揺れる。
ママ、こんなことを言う人だったか?
もしかして、病気のせいでおかしくなってる?
とりあえず、今は落ち着かせないと。
「必要とかじゃなくて、ママはママだよ。ママのことは大好きだよ」
「でも、ママがママじゃなくてもいいんじゃないの?」
さらに頭の中にハテナマークが浮かんでいく。
ママが何に怒っているのか、
「そんなこと、言ってないよ」
「でも、ママはもういらないから……」
「違うよ!?」
慌てて否定しても、ママの表情には陰りが差したままだ。
「じゃあ、一人立ちの準備なんてしないで」
「……どうして、そんなこと言うの」
今までの努力を踏みつけられるセリフに、オレの胸は痛んだ。
だけど、ママはオレよりも悲痛な声で訴えかけてくる。
「安心できないの。アタシがなんのために生きているのか、生きてていいのか……。スミレは生きてくれているだけでいいの。全部、ママがなんとかするから。だから、ずっとにいよう? ずっとお世話をさせて?」
正直、ママがなんでそんなことを言っているのか、オレには理解ができない。
だから、本心をぶつける。
「でも、ママ。オレはママに少しでも喜んでほしい。楽してほしい。本当にそれだけなんだよ」
「……なんでわかってくれないの?」
それだけ言い残すと、ママはトイレへと入って、出てこなくなってしまった。
「えぇ…………」
オレは意味がわからず、立ち尽くすのだった。
◇◆◇◆◇◆
それからしばらく経って、オレはトイレのドアを叩いている。
最初は「すぐに出てくるだろ」と達観していた。
だけど、ママはトイレにいるのが大好きだ。
本気で
ママが出てくる前に、オレのタイムリミットが迫ろうとしている。
「ねえ、ママ。愛してる。好き。宇宙で一番好き。だから、ドアを開けて?」
「……トイレを使いたいからでしょ?」
(め、めんどくさい……!)
頬を引きつらせながら、必死にかける言葉を考える。
「完全に否定はできないけど、この言葉は本心からだよ」
「でも……信じられない。たまにスミレが何を考えてるのか、わからないの」
「オレはいつも、ママのことを考えてるよ」
「……ごめん。どうしても信じられないの。今変なことをしているのに、許してくれる理由がわからない。優しくしてくれる理由がわからない。自分の娘なのに、スミレの心がわからない。こんなダメな親の誕生日を祝ってくれる意味がわからない」
「全部、ママのことを愛しているからだよ」
本心だった。
正直少し面倒くさく思っているけど、ママへの気持ちは揺らいでいない。
「ごめん、嬉しいけど、いまいち喜べない」
その言葉を聞いた瞬間、カチンときた。
オレはありったけの愛を伝えているのに、感じ取ってくれていない。
今日だってママの誕生日を盛大に祝うつもりだったのに、こんな変な話をしている。
いくら大好きなママとはいえ、我慢の限界だ。
「もう知らないっ! ママのバカっ!!!!」
オレは勢いのままに家を飛び出そうとした。
だけど、最初の一歩を力強く踏み込みすぎて、チョロチョロとおしっこが漏れてしまった。
「あー…………」
なんともしょっぱい親子喧嘩である。
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